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フッカーのブログ

備忘録のようなものです。

 

 

 

前回、地元の山(米田白山)のことを書きましたが、

 

米田白山と私が住む地域に深く関係する、その道では有名な僧侶がいます。

 

 

 

その名を 播隆(ばんりゅう)

 

江戸時代後半の浄土宗の僧侶です。

 

その功績の最たることは、北アルプス「槍ヶ岳」を開山したことです。

 

槍ヶ岳と言えば、百名山の代表格、登山者憧れの名峰です。

 

登山愛好家からは、『日本初のアルピニスト』とも呼ばれています。

 

 

 

 

そんな播隆がどう米田白山と地域に関わっていたかというと、

 

米田白山の稜線下に、播隆が修行した「三鉢洞」という修行窟があります。↓

 

そそり立つ岩壁の下にあります。

 

この窟に辿り着くには、急な斜面をロープをつたって降下しなければいけません。

 

 

 

米田白山は今でこそ、低山ハイクを楽しめる山として多くの人に親しまれていますが、

 

播隆窟は知る人ぞ知るスポットです。

 

知る人ぞ知る、なもので、ここに来て人に会ったことがありません。笑

 

播隆の当時の佇まいに想いを馳せます。

 

 

 

 

播隆は、米田白山の三鉢洞以外にも近隣で修行していたそうです。

 

 

そして最期は住んでいる美濃加茂市でその生涯を閉じています。

 

美濃加茂市の祐泉寺には、播隆の歌碑があります。

 

 

 

世の人の 恐れ憚る槍の穂も 

 

やがて登らん われ始めて

 

 

 

 

彼は自分が槍ヶ岳の登って満足するだけでなく、

 

たくさんの人が槍ヶ岳の魅力を享受できるように、

 

頂上直下の岩場に大綱や鎖をかけた。

 

 

 

 

なかなかのお人が郷里にいたものです。

 

 

 

 



登山は今の趣味。

昨年の5月にアキレス腱炎を患ってからは、ランニングは自重。

歩くのと登るのは問題なし。


登山と言っても、標高1000m以下の低山を日帰りで登るスタイルです。


登山日記はYAMAPに上げているので、このブログではあまり書いてません。 




今日、家から一番近く馴染み深い山に行きました。

この山は私が小学生の頃から登っていた山なのですが、
今は当時とは比べ物にならないくらい登山道が充実していて、登る人も多いです。


名前を米田白山と言いますが、頂上にある石文字がちょっとした特徴になっています。

たとえばこんな↓(以前のものです)



それが最近は↓


日付の上に大きな空白が。




なので、今日はそこに石文字を造りに行きました。


こんな感じ。↓



急いで造ってスペル間違えたー。。


正 NO MOUNT'

誤 NO MOUUT'



誰かが直してくれることを期待します。


頂上の石文字は名物的なものなので、

YAMAPの登山日記にも皆さんが写真を上げていることが多いです。

その後の様子を恐らく観察できます。



ま、NO MOUNTAIN , NO LIFE. と言うほどでもないのですが、私は。笑




これを上書きするのは全然構わないのですが、


その場合は、何らかの意味でこれを越えるものにしてもらいたいものです。








っと、何故山に登るのか?の問いには、




  「非日常感」



と私なら答えます。








明けましておめでとうございます。




2000年代もはや四半世紀ですか。


あのミレニアムから、もう25年も経つんですねー。

感慨深い。





さて、2025年1月1日は、文字通り元旦を拝みにいつもの山に。




6:30に登山スタート。

予定より遅いので、ハイペースで登る。



時間は7:09。




初日の出。








前日の大晦日は、天気が心配になる空模様でしたが、なんのその。


晴れ渡る清々しい2025年のスタートとなりました。






2025年、怪我や病気なく過ごしたいものです。



よろしくお願いします。