おはようございます
今日は21:30くらいに寝たら、4:50に目が覚めて…おじいちゃんみたいな生活。
とても気持ちいいです
朝起きたら、雨止んでました
今日は自転車出動の日なので、よかった~
昨日はですね、お友達のよっすぃが逗子に来てくださり、
・浪子不動
・逗子海岸のイタリアンレストラン「カンティーナ」
雨が強くなってきたので、葉山観光を諦めて…
・レストラン「アクアマーレ」 でお茶して
1日堪能してきました
なんと6月26日はよっすぃのおばあさま浪子さんの命日だったそうで、それで浪子不動へお参りに行ったのでした。
命日続きな2人、家族のことをまた思い出し、温かい時間が流れる1日になりました
横須賀美術館、建築から近代的・独特で、景色も良く、とても良い美術館でしたよ
レストランもいい雰囲気でおすすめです
さてさて、先日、またまた逗子文化プラザにて、
映画『放射線を浴びた X年後』 を観てきました。
横須賀市久里浜にお住まいの元遠洋マグロ漁師の方がお話されていて、とても自分に関係のない話ではない、と感じました。
HPより内容を抜粋させていただきます…
米国が1954年3月1日から5月まで、中部太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で行った実験。
キャッスル作戦と名付けられた実験は6回(うち1 回はエニウェトク環礁)。
3月1日に爆発させた「ブラボー」は広島に落とされた原爆の1千倍以上の破壊力があるとされ、近海で操業中の第五福龍丸(乗組員23人)が被ばく。
同年9月、無線長の久保山愛吉さんが死亡した。
このビキニでの原子力実験により、その周辺にあった第五福竜丸含めて、たくさんの漁船、漁師の方が被ばくします。
ですが、その9か月後、
日本政府は、1954年12月、被ばくした魚は、人体に影響を及ぼすものではないとして、放射線の検査をすべて打ち切った。
そして翌日からは、すべての魚が水揚げされた。
その直後、日本政府とアメリカ政府は、公文書を取り交わしている。
アメリカ政府が「完全な解決」を条件に、慰謝料として200万ドル(当時、日本円にして7億2千万円)を支払うという文書。
日本政府は、その条件を受け入れ、事件は完全な解決とされた。
慰謝料は、4分の3が、魚の廃棄や魚価が下がったことによる損害に、残りは、第五福龍丸乗組員の治療費などにあてることが閣議決定されている。
政府により、この問題の終止符が打たれていまします。
ですが、その後、この問題がどうなったか、元高校教師の山下さんが調査を進められます。
そうすると、いろいろなことが見え始めて…
というお話。
元漁師の方は比較的若い年齢で、亡くなった方がたくさんおられました。
その死因はガン。
普段食べているお魚…危ないのでは???
と純粋に疑問を抱いてしまいました。
そして、福島原発。
まだ放射能は漏れています。
この現実から、将来、どうなっているのか。。。
この映画を見て、切り離せないのです。
とても考えさせられました。
昨日、行った横須賀美術館。
そこでの展示が「記憶の街」ということで、戦後のアメリカ色に染まっていく横須賀の街を写した写真がありました。
原子力船の入港に反対するデモ。
軍事に反対するデモ。
そんな住民の方の戦いもありつつ、今の横須賀があるんだととても気になりました。
わかっている人は、わかっている。
でも、この世の中の流れは???
疑問を感じてしまいます。