何もないという幸せ | いよひめのつぶやき

いよひめのつぶやき

シングルマザーが母業を引退して海辺の街にフラリとやってきた。ラムネ色の海とトンガリ帽子型の山に囲まれた暮らしの話。

観光地でもない田舎を訪れて地元の人と話すと、

最初の反応は高確率で

「よくもまあこんな何にもない所へ」という言葉。

 

語尾に必ず!マークが付いて、

その後に「ようお越しになられましたね」

という意味の言葉か、

「どうしてわざわざ」という質問が続く。

 

自分だけなのかとも思うが、少なくとも

私が生まれ育った奈良の人と

今住んでいる北条の人はよく口にする言葉だ。

「何もない」なんて

否定的な言葉を口にしながらも、

「そうですね、本当に何にもないですね」

とは言われたくないのだ。

 

誰もが必ず心の中のふるさとに

自分だけの小さな宝物を持っている。

 

小さく見える赤い灯台と

遠くの島影だけ。波もない。

天気のいい日にこっそり一人の時間を楽しむ場所だ。

 

田舎に「ある物」はつまり

ずうっと昔からそこにあった空気のようなもの。

ずっと変化しない物に対して、

人は魅力を感じにくいのかもしれない。

毎日見る空、山、海、畑。

 

 

桜が見頃を迎えたり、夕陽がだるま夕陽になったり、

そんな事はやっぱり話題になる。

自然に囲まれているから自然に無頓着なわけでもなく、

むしろ自然の景色グルメである。

普段見慣れているからこそ、

結構なレベルでないと感心しないのかもしれない。

 

 

私ならこの位の夕陽でも感動するのだけど。。。

この辺りでは「だるま夕陽」にお目にかかって

初めて話題になるようだ。

 

 

↑これなんかは「おー!雪だるまがスノボしてる!」

と思って喜んだし、

島が浮いて見えるのにも心ときめく。

だるま夕陽の撮影にはまだ成功していないけど、

こんな程度で喜んでいる初心者である。

 

「何もない」って最高じゃないか。

そう思う人は最近かなり増えたのではないかと思う。

何もない=ずっと変わらない だとすれば、

変わらない事には大きな価値がある。

その事にもっと沢山の人に気づいて欲しいと思う。

 

そう言えば、私も奈良にいた頃は

奈良が好きで通ってくる他府県民に

「何にもないのになんで?」って言いながら

「穴場のいい所はいっぱいあるけど教えないぞ」

と思ったりしていた。

 

よその人にはあまり教えたくない、

とっておきの場所。

移住先でもそんな場所を見つけられたら、

その移住はきっとうまくいくんじゃないだろうか。

 

毎日見ている鹿島。

遠浅の中洲のところにカモが集まっている。

ただそれだけの景色を見ているだけで

胸がスッキリする

とっておきの場所。