地域おこし協力隊を2年3ヶ月で辞めて
故郷の奈良に戻ってから半年を過ぎました。
今のところ、ほとんど毎月のように愛媛に通っています。
両親とも90近いので、病院通いや介護保険の手続きをしながら
パートの仕事をして、という生活です。
協力隊を辞めても元赴任地の北条に通っている理由を
大まかに言うと、
・大切な友人がいるから
・やり残した事があるから
・自分の場所、自分の一部だから
というところでしょうか。
でも、地域おこし協力隊として北条に来てから
最初の半年位は、どんな結果になるのか
想像もつきませんでした。
北条の自然の美しさを伝えたくて
まずはインスタやブログやYouTubeを始めましたが、
「こんな事やっていて本当に役に立つんだろうか」
と思うこともありました。
協力隊の任期は最長3年。
終われば無職で延長も出来ないので、
地域の活性化に取り組みながら、
自分の生き方を見つける事も大事な目標でした。
考え過ぎて疲れた時は、一人で海に行って夕陽を眺めたり
ネコに話しかけたりしていました。
海や空に包まれると、胸の奥がスーッと楽になる。
海辺のネコにもどれだけ癒されたか分からない。
美しい自然に囲まれて癒される心と、
地域活性という経験したことのない仕事のプレッシャー。
楽しいと苦しいの間を行ったり来たりする日々。
そんな時、思いもかけない「お誘い」を受けました。
それは、バンド活動でした。
「あんた、歌唄わんかー?」
え?歌ですか?もと合唱部ですけど、ちょっと違いますよね。。。
《 地元のおやじバンドのメンバーになる?! 》
北条には、地域の名前を背負った「おやじバンド」があります。
平均年齢60代。
私は子供の頃ピアノを習っていて、
大学時代には軽音サークルでキーボード担当として
学園祭やライブハウスで演奏していました。
ところがキーボードではなく、何曲か歌えと言うのです。
歌は決して得意じゃないのに、
地域の人の誘いを断る勇気は、当時の私にはありません。
もうやぶれかぶれで、1人カラオケで練習しました。
愛媛マラソン沿道で応援ライブ。
歌いながらランナーに手を振り声援を送る。
コロナ禍直前の愛媛マラソンでの応援ライブを終えて、
ボーカル担当はなんとか免れました。
(下手な歌を歌ったら見事に無罪放免された)
その後はキーボード担当のお助けメンバーとして
私も「おやじの一員」になりました。
今思うと、地域の一員になるのに役に立ったのは
仕事が出来る事でも才能がある事でもなくて、
趣味の音楽と、お酒が好きな事だったように思います。
バンドで演奏して、ステージが終わったらみんなで飲む。
それは完全に素の自分に戻れる時、
任務を忘れて心の底から笑える時でした。
そして奈良に帰った今も、バンドのライブがあると
都合のつく限り練習やライブ演奏に参加しています。
来るのを待ってくれている人がいるのは本当に嬉しいし、
海辺や松山城や道後温泉でバンド演奏するのは、
以前の自分からは想像もつかない幸せを感じます。
《 大事な友との出会いも音楽から 》
さて、私が協力隊を辞めても赴任地に通う理由の3つ、
その全てが詰まっている一軒の家があります。
それは、建築士である友人が海辺の古民家をリノベーションして
私の生活スペースも作ってくれたこの家。
私が北条で過ごす時は
彼女と彼女のパートナー、そして2匹のネコと一緒に
このリビングで過ごしたり、
共通の友人が来てみんなで食事をしたり。
ここに来れば、会いたい人に会えて、やり残した事を続ける事が出来る。
私の居場所がある。
彼女と出会ったのは
協力隊として北条に引っ越して来た時。
アパートの下の部屋に住んでいたのが彼女でした。
部屋に遊びに行ったら、リビングにはCDではなく沢山のレコード。
私もよく知っているタイトルをいくつも見つけて興奮しました。
「こんなレコード聞くのはたいてい変態だよ」なんて大胆な事を
初対面で言ってしまう私を、彼女は面白いと思ったそうです。
自然素材にこだわる建築士として個人事務所を構えた彼女。
普通に会社員を続けていたら出会わなかっただろうと思います。
50歳を過ぎてから何でも話せる友達を得た事は
移住が引き寄せた思いがけない幸運でした。
(彼女のホームページへのリンクです)
当時住んでいたアパートの窓から。
東の山から朝日が昇って来るところ。
《 宝モノは意外な所に転がっている 》
私は会社員時代、仕事をするのが好きなタイプでした。
それなのに脱サラしようと思ったのは、
80歳になっても続けたいと思う好きな仕事を見つけたい
と思ったからです。
自分の気に入った場所で仕事がしたかったので、
地域おこし協力隊としての移住にチャレンジしたわけです。
会社員時代には「プロ意識」や「スキルアップ」が
仕事には大切なことだと思っていました。
協力隊になっても最初はそういう感覚に無意識に
とらわれていたような気がします。
何か成果を見せないと自分の存在が認められないような、
そんな不安感がありました。
でも、2年と少しの間暮らした北条という町の事を
今も自分の居場所だと感じる事が出来るのは
仕事の成果というよりも、
素のままの自分と人との出会いがあったから。
昔からそばにあった音楽のおかげで
本来の自分として人と向かい合う事が出来ました。
今日は、音楽から繋がった出会いについて書いてみました。
私という人間を変えた大切な出会いです。
次回はまた別の、思いがけない事から繋がった出会いについて。
つづく