前の記事の続き…

 

 

 

冬休みの宿題の答えを写す息子に

 

 

 

「正解を書くことよりも

自分で考えたり、探したり、

それでもわからない時は「わからない」って聞いたりして

助けてもらいながら考えることが大事」

 

 

 

そう伝えたかった私ですが、

その背景には、

 

 

 

息子へのこんな想いがありました…キョロキョロ

 

 

 

 

 

いつもの方も、はじめましての方も

ご訪問ありがとうございます!

 

 

 

心屋認定講師 とも花認定カウンセラーで

Big smile mama 認定講師 の

こんのなおみ(なお) です。

 

 

 

 

 

 

私の長期休みの宿題の思い出と言えば、

 

 

 

私が宿題をしている隣に

いつもばあちゃんがいて、

 

 

 

熱心に感想文や自由研究を指導してくれては、

 

 

 

私の意見を「そうじゃないでしょ!」と否定して

「こうでしょ!」と自分の意見を押し付けて来られた嫌な思い出笑い泣き

 

 

 

参照これ→キラキラ蘇る、ばあちゃんとの思い出

 

 

 

 

 

その思い出は、

私の気持ちなんてないことにされた…という

苦痛で苦しい気持ちがあったのだけど、

 

 

 

よく考えてみると、

 

 

 

そこにはデメリットだけではなく、

メリットもあった。

 

 

 

 

 

それは、

 

 

 

自分の意見を言わずに黙っていれば

答え(=ばあちゃんの良かれと言う意見)を

教えてもらえること。

 

 

 

私の意見を言えば否定されて

別の意見を押し付けられるんだったら、

 

 

 

黙ったまま答えを教えてもらった方が

ラクだし、

嫌な気持ちにもならなくていい…

 

 

 

そう考えて

 

 

 

次第に私は、

「自分で考える」ことをしなくなり、

答えを待つようになっていった…

 

 

 

 

 

そこが始まりなのかどうかは定かではないけど、

 

 

 

どうせ考えても否定されるんだから。

どうせ「答え」を教えてもらえるんだから。

と、

 

 

 

何を決めるにも「自分で考える」よりも、

まわりの意見や「正解」を探してきた私は、

 

 

 

その先の進路も、

職業もお父さんの意見に従うばかりで、

 

 

 

「私」を生きている感覚がなかった…

 

 

 

「私」を生きている感覚がなくて、

苦しくて、苦しくて、苦しかったから、

 

 

 

もしかしたら爆発した怒りの背景には

 

 

 

息子にはそんな苦しい想いをして欲しくない。

私みたいに、

「自分で考える」ことをせずに答えを

待つ(見つける)ような人になって欲しくない…

 

 

 

そんな想いがあったのかもしれないキョロキョロ

 

 

 

image

 

 

 

とまぁ、

 

 

 

そんな風に、

私の中にある息子への「愛」に気づいたのだけど、

 

 

 

これを書きながら、

もう一つ奥にあるものに気づいてしまった…キョロキョロ

 

 

 

長くなってきたので、

次に続きます…

 

 

 

 

 

「怒り」が湧きあがってくるのには、必ず原因がある!

その原因を見つけるセルフカウンセリングはコチラでわかりやすくお伝えしています↓↓↓

今すぐご登録される方は、ここをクリック!

 
 

 

◆LINE@

イベントの先行受付や限定企画も行っています。

 

 

 

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

おわりつながるうさぎ