カレンダーが最後の一枚になったと思っていたら、あっという間に毎日が過ぎ去ってしまい、
このままでは、あれよあれよと言う間に2020年になってしまう、そんな気ぜわしい毎日です。
先日、同居している娘と相談し、絶対に残しておきたいもの と、生活するのに必要なもの
だけを残して、’大規模な断捨離” を今月中にやってしまおう ということになりました。
結婚して、ベガスに移住したのが、1993年、10年住んだ日本の神戸を最終的に離れたのが
1994年、家を購入して一から私の手で薔薇庭づくりを始めたのが1997年のこと。
60歳でリタイアするまでは、フルタイムで仕事をこなし、週末は土と埋まっていた大小の石を相手に強制労働にかりだされているような、いつ終わりが来るのかも分からないような日々が
続く中で、色々あったけどこの時期の気力と体力が、今の私を作り上げてくれたようにも思う。
家にいる時はいつも、わんこやニャンズを引き連れて一日中庭にいる私を見て、今は亡きジョンに ”お前の庭造りにはもうこれで完成した” ということはないのかと呆れられ、それでもいまだに飽きもせず、雨の降らない砂漠のラスベガスで薔薇庭造りをやっている私は、体力的に無理
だと自分自身が身にしみて感じるまでは、きっと誰にも私自身にも止められないんだろうなあ。
ただ、ひとつ心配で、私の力ではどうにもならないのが、気候の温暖化の影響です。
昨年は、いつも青空で太陽が眩しかったベガスに、太陽が姿を見せない日が続き、経験したこともないようなバッタの大群が押し寄せ、蕾をつけ始めていた薔薇がうどん粉病の蔓延で全滅し、例年なら、いつ満開になって恒例のお茶会が出来るかとワクワクする時期に、立ち直れるか
どうかも分からないようになってしまった惨状の庭と毎日格闘しなければなりませんでした。
それでも被害を最小限度に留めたいと、今年の夏は朝5時から2時間半、夕方は5時からこれまた2時間半、一株一株観察しながらの水やりは欠かせず、1日とて休めない40度超えのここでの毎日の庭作業は、やり終えたという充実感はあるものの、体力的な限界をも感じるものでした。
今の時期は水やりが必要ないので、まだ薔薇の剪定はやっていないものの、ダメになった植物
のあとを整理して、後々手間のかからない 球根や多年草 を移動して植え込んでいますが、
春になってみないと、私の庭もどうなるのか、想像もつかないので、どうなっても悔いのない
ように、今出来るだけのことはすべてやっておいて、後は天運に任せようと思います。
ジョンがなくなったあと、もう2年前の私のお誕生日のことになるのですが、思いがけないことに、私の友人がお誕生日のプレゼントだよと、私のブログの写真から取り出して構成した動画 を、ユーチューブ上に上げておいたから見てね との連絡がありました。
私はウルトラメカ音痴のため、そんなこと言われても、どうやってそれを見るのか すら分からないため、また別の友人に頼んで事情を説明し、教えてもらわなければなりませんでした。
その後しばらくして、私が古いpcに撮りためて残していた写真が私の不手際でほとんど消えて
しまい、新しい今のPCに買い換えて、いくらかは復元出来たものの、今はもう、手元にない
写真も入っているこの動画は、今は亡きジョンやわんこやニャンズも入っているので、今の私には是非とも残しておきたいもののひとつになりました。
断捨離作業の副作用で、忘れかけていたこれをまた再び目にすろことが出来、懐かしい思い出と共に、つかの間の、過去の時間に引き戻されたことは、サプライズの嬉しい時間となりました。
30分くらいの長いものですが、おヒマな時にでもご覧いただけると嬉しいですhttps://www.youtube.com/watch?v=BLadUYZ5yrM