病室に案内される前に、身長、体重を計ります。160cm、40kg。
シンガポールで測った時より3kg減って、今年になってから10kg減となっていました。栄養が採れない分身を削っていたようです。

病室は4人部屋、真ん中に通路があって窓側に2つ、廊下側に2つあります。ベッドとベッドの間に空間が設けられ2枚のカーテンで仕切られていますので広い感じがします。
部屋の両脇にはトイレが設置され、1人でも行きやすいです。

看護師さんは若くてキレイでスタイルが良くて優しいです。話方はフレンドリーと患者に余計な緊張をさせないように気遣ってくれます。

慶応系のお医者さまも若くてイケメン揃い。ベテランのお医者様は紳士的で優しいので安心して治療を受けられそうです。

検査に関しても検査内容、リスクや注意事項など説明され、それを書いた書面にサインをします。
既往症などの問いの最後に、あなたはガンの告知をして欲しいかの問いもありました。
私は本人、家族にも知らせて欲しいに○をしました。

何しろ、出産以外で入院したことがない私には初めてのことだらけでした。
取り敢えず、脱水症と黄疸治療の点滴をしながら、原因究明のための検査が続きました。

体力のない私には検査はきつくて、苦痛でした。胃カメラのついでに十二指腸の入り口を塞いでいるもの細胞を摂取するときは、優しい先生ですら、肩を抑え込み格闘します。そのたびに、ゴメンネ、ゴメンネと声は掛けてくれるものの、手は緩めません。
仕事熱心には頭が下がりますが、検査嫌いがますます嫌になりました。
疲れ果てて合間はよく寝られました。



おはようございます。
今、こんな景色を眺めながら生活をしています。

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ここは、さいたま市にあるとある病院の7階717号室、ID番号7○○7××を割り当てられ、主に愛されていることを実感し、反省と感謝の日々を送っています。

入院は30数年前、出産で虎ノ門病院に入院したのが最後です。大病はもちろん、あまり寝込むこともなく元気に過ごしていたことを今更ながら感謝いたしました。

シンガポール旅行から帰って来て病院に駆け込み点滴をしてもらって帰ったところまではご報告してありましたね。その4日後、胃カメラの予約日でした。最初、23日と言われたのですが、旅行の出発日なので帰って来てからにしました。もし、23日に受けていたらシンガポール旅行は中止になっていました。冥土の土産にどうしても行きたいと言う気持ちもあったのでしょう。だから、体調が悪くても旅行を優先しました。

胃カメラの日は次女が付き添ってくれました。検査は思ったよりスムーズで10分ほどで終わり、説明を受ける間まで点滴をして待っていました。

写真を見ると胃はキレイです。ただその奥十二指腸で胃を塞ぐものがあり、胃から食べたものが腸に流れない事がわかりました。
今まで吐いていたのは、胃に溜まった食べ物が行き場がなく逆流していたようです。病院宛に紹介状を書くので入院のつもりで直ぐ行くようにとのことでした。

自宅に帰り入院の準備をしました。パジャマは新しいのを買い揃えるつもりでしたが、長女が卵巣嚢腫の手術で入院したさい使ったパジャマを届けてくれました。

この週、次女はツインズが新しい保育園に移ったので慣らし保育で休みを取っていました。
翌日、2時お迎えでしたので、ちょうどその合間に病院に付き添ってくれました。

次女は受け付けで手続き後、手際よく私を車イスに乗せ次々と検査の場所に運んでくれます。ようやく担当医が決まりました。診察を待つ間ベッドに案内され、担当医の先生がわざわざ足を運んでくれました。
物が二重に見えるほど視力が弱くなっていた私には、お医者様のお顔はよく見えませんが、
「大変だったね」と優しい言葉を掛けてくれ脱水症と黄疸のため点滴と入院の指示を看護師にしました。
地獄に仏とはこのことかと思うほど安堵しました。
このような経緯で、4月5日から私の入院生活は始まりました。




シンガポールから帰国便はエアーチャイナでしたので、北京経由になります。6時間後、北京国際空港へ午後3時頃到着しました。気流が悪く私は吐きっぱなし。機内食は口に合わないので食べていないので水ばかりでしたが。

空港ビルの建物は立派でしたが、係官の態度が怖い、命令口調でまるで軍隊のようでした。タクシー乗り場での案内すら怒号に聞こえます。

どの国のタクシーの運転手さんも親切でしたが、この国は勝手が違います。空港近くのホテルは下町の中にありました。(写真は水没したスマホの中で消えてしまいました)
トリプルベッドの部屋は広くはありましたが窓もなく寝るだけの部屋、乗り継ぎのために利用する客が多いようです。
レストランらしきものも併設されてホテルの並びにも、それらしき物もありましたが、とても入る気にはなりません。北京ダックの晩餐の計画でしたが、私はベッドへ潜り込み、食事をしに娘と孫は空港に戻りました。

「お母さんヤバイよ」と帰って来た娘が私の顔を見るなり言います。洗面所の鏡を見ると目の周りが落ちくぼんで死相のように思えました。慌ててベッドに戻り、ひたすら祈りました。ここでは死にたくない無事に日本に帰してくださいと。いつの間にか寝てしまい、気が付いた時は朝でした。

6時半にはチェックアウトし空港へ、何とか羽田行きの便に間に合い、午後には羽田、3時過ぎに浦和に無事に到着しました。
私は駅前の医院に駆け込み点滴をしてもらい、荷物を自宅に置いた娘が迎えに来てくれました。旅行中も私の汚物をそっと始末したり、気遣う娘に感謝しました。
英語も話す内容は私が考え、話すのは娘、聞き取りは孫の役目とチームプレーで乗り切りました。
この旅行のコンセプトはホテルでノンビリするでしたが、私の体調を考慮したかのような旅でした。本当に家族旅行で良かった、招待してくれた娘に感謝です。
お付き合い頂きありがとうございました。