身体障害者になったのは59歳の時であった。
アメリカの政府に助けられた。
生活できるだけの身体障碍者年金がもらえた。年金を納めていたから、つくずくよかったと、胸をなでおろした。
最低限の生活費がもらえるので、安心して、文章の勉強に夢中になれた。文章の”ブ”の字も知らなかった、大工であった私、フリムン徳さんが自己流で文章の書き方を勉強し始めた。石の上にも3年ではない、10年である。
どこの新聞社、出版社へエッセイ、詩を応募してもペケペケであった。「これは何を書いているのか」と言われたこともあった。でも、私は諦めなかった。応募し続けた。エッセイの達人になる夢があるからである。
継続は力なり、本当のようである。
アメリカの日本語新聞、シアトルの北米報知、
ロスアンジェルスの羅府新報、サンフランシスコの日米新聞、北米毎日新聞に一度に8編応募して、5編も同時入賞した事もある。
大工の私には、信じようとしても信じがたいことだった。これが自慢せずにおられるかいな。26年間大工をしていた男の文章がである。頭を叩いても、ほっぺをひねっても、入賞していたのである。なんぼエー格好シーと言われても、ナンジャらホイである。私は今69歳である。歳がなんじゃい、諦めたら、アカンのであると、自分に言い聞かせて、文章の勉強に励んでいる。
運動神経があまりよくない私はどの仕事にも慣れるまで他人より時間がかかった。だから、夢中になって、努力し続けた。努力というものが、実ったら、「あいつは天才」だという人さえ出てくる。人の受け取り方はいろいろだった。
元商売人だった私、元大工だった私、三途の川に二日間も立った私、エッセイの達人になる夢を達成したいフリムン徳さんのエッセイの成長振りを優越感を持って、お読みくだされ。苦笑いしながら、片目をつぶりながら、唸りながら、辛抱しながら、お読みくだされ!!!!
扇千景さんのコマーシャル ”私にも写せます” やない。大工にも文章が書けます” です。
またエエ格好、してしもうた。堪忍しておくんなはれ!!