「三途の川の幅は狭かった」 ①
「もうこの人は死んでいる」と1人の医者に宣告され、もう一人の医者には「あと2時間しか持たない」と言われた時、私は三途の川の川岸に立ち、天国で勢ぞろいしたウヤフジご先祖)達と対面し、2日間の天国旅行も経験した。
そう簡単には出来ない天国旅行も経験したフリムン徳さんには、人生は旅であったような感じがする。
南の小島、喜界島を15歳に出て、大阪17年、南米パラグアイへ移民してジャングルで1年半、ロスアンジェルス12年、シアトル5年、南サンフランシスコ1年、モントレーの山奥17 年と、50以上の職業を変えながら、移り住み、69年の人生を生きてきた、この「モントレーの山奥から」はフリムン徳さんの心の叫びである。
59歳で身体障害者になり、ベッドの上で心の底から叫けびながら、したためたエッセイ集「モントレーの山奥から」である。
やればできる、諦めたら、アカンネン。大阪で、サラリーマン、絨毯カーテン家具や、夜逃げの運送や、叩き売り、おでんや、パラグアイで農業、ロス、シアトル、南サンフランシスコで大工さん、ここモントレーの山奥ブラッドレーのベッドの上で、文章の書き方をを見よう見まねで覚えた。
私はどの職業でも「これは、絶対できると思い込み」、諦めずに頑張れば、努力すれば、見よう見まねで覚えた職業で飯が食えた、生きられた。多くの人は生きるのは難しい、難しいと言うが、生きるということはそう難しい事ばかりではではないと思いもする。
頑張るだけではない、深く、深く、より深く考えながら頑張ったら、必ず、いい知恵が湧く、チャンスが来る。私の頑張り、努力を見た人の誰かが、助けてくれた。その巡り合いはウヤフジ(ご先祖様)が導いてくれたと、確信している。
私は、文章の書き方を勉強し始めてから、「深く、深く、より深く考える」ことに気づいた。大工にしろ、商売人にしろ、今思うと、その時は深く考える事が少なかった。あまり、時間をかけないで、思い付きでやっていたような気がする。続く