663-私が書いた母の遺言状 | ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

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【アメリカのどこで撮ったかわすれた)
れはウヤフジ(ご先祖様)が、金ばかりが

人生じゃない、貧乏しても金があった時以上に

楽しい生活が出来るんだと教えてくれているんだと思う。

また、人生を諦めたらあかん、人間は何歳になっても、

たとえ病気になっても、身体のどこかを使って

諦めずに頑張れば、夢がかなえられるということを

教えてくれたと思う。

病で倒れたお蔭で、あんたはエッセイや詩の勉強も出来た。

もし、ダが健康でまともな生活をしていたら、

本も書けなかったはず、友達との友情や妹弟愛も

起こらなかったはず。

病気になったお蔭で、貧乏になったお蔭で、

同級生や妹弟があんたのためにお金を

出して本まで出版してくれた。
 
 フリムンであるあんたの本が何千人もの人達を笑わせ、

唸らせ、泣かせ、元気づけ、また、

フリムン徳さんの応援団が日本にもアメリカにも出来た。

さらに、フリムンソングまで出来た。

これは、どんな大金持ちも、どんな大きな会社の社長も、

どんな有名な人でもそう簡単にはできることではないと思う。

これはあんたの努力と運と縁がそうさせたと思う。

あんたを見守りながら目に見えない糸で皆さんを

つないでくれたのは喜界島のウヤフジだと思う。その縁を作ったのはあんたの努力だよ。                   
 
 私は、あんたが小学生の頃は下の弟や妹の子守りを

押し付けて、遊び盛りの子供のあんたから友達と

遊ぶ時間も勉強する時間さえも奪いとり、

親として何もしてやれなかった。

あんたはその悔しさから、弱いものいじめを

やるようになったと思う。

その反動で中学時代は逆にいじめられて村八分にされて、

中学校への3年間の登校下校は人目を避けて一人ぼっちで、

朝は早く、帰りは遅く、遠回りしてよその村を通り家に帰る。

たった13歳、14歳の子供がまるで警察に

追われる犯罪人のような苦しい悲しい青春時代を過ごした。

あの時代は貧しくて幼いあんたの助けがないと

野良仕事ができなかったのよ。

あんたの小さい時の苦労を思い出すと私は

涙が止らないのです。ほんとにまなかったと思っています。

今になって遅いけど、この親を許してね。