662-私が書いた母の遺言状 | ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

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「私が書いた母の遺言状」               

 あんたは私の死に目に会いに日本へ帰ってこなくてええ。

世間には「親の死に目にも会えない人」と

蔑んでみる人もおるだろうが、何もそんなことは

気にせんでええ。

死に目に会うよりも元気な時に会っているのだから、

それで十分よ。

親の死に目に会うという言葉は表面上の儀式に

過ぎないと思う。私はただ、あんたが、人様に

迷惑をかけないで、人様に好かれてこの世を生きて欲しい。

昔から遠い身内より近くの他人と言う。

言葉は通じなくてもええ、近くの人と仲よう、

楽しゅう暮らすのが一番だと思う。
 
 あんたの力で自由に好きな国々を回って、

やりたいことをして生活してきたのだから、

言葉は通じなくても近所の人とは巧く付き合えるはず。

子供も孫もアメリカにおるのだから、

あんたの好きなようにしたらええ。

いつかあんたが死ぬ時はそこで死んだらええ。

親の元を飛び立った鳥は親元へは戻ってこない。

親の元へ戻って来なくてもええ。

自分が一番長く住んだ所が死ぬ所と思うから。

そこで燃え尽きて、永遠に眠ればええ。

 長男のあんたと私はアメリカと日本と離れ離れで、

一緒に住めなかったけれど、あんたの気持は手に

取るようにわかっている。

私は腹を痛めて生んだ母親だもん。

誰よりもあんたのことは知っているつもり。

他人にどう思われようと、言われようと

何も気にすることはない。

これでええ。

ままにならないのが人生と言うものや。

あの世に行ったらままになれると思う。

 ダが私をアメリカへ呼ぶたびに、

「お母さんの死に目には会いには行かんよ」

言っていたことはようわかる。

あんたは少しええ格好しいのところがあるから、

もしや、どん底に落ちて日本へ帰れないことを

考えての言葉だったと思う。

今はそれが現実になった。

あんたは病で倒れた。

有り金を使い果たした。

家も未完成のままだ。

日本人の誰もいないアメリカの山の中で、

小さなおんぼろのトレイラーで身体障害者の年金で

精一杯の生活をしている。 続く