664-私が書いた母の遺言状 終回 | ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

ブログの説明を入力します。

けれども、あんたは村八分によく耐えて、よく辛抱して、

自分を反省して、子供ながら、「どうしたら、

人に好かれるか、どうしたら友達が出来るか」を

勉強して、よその村に友達ができた。

それがきっかけで、大人になっても人に好かれる

心理学を猛烈に勉強し、実行するために、

とうとう仕事も数え切れないぐらい変わり、

沢山のお客さん相手で人に好かれるコツをマスターしたと思う。

そうして、苦労して形成された人柄が人に

好かれるようになったと思う。

 それから、あんたはもうひとつ感謝せんならんことがある。

それは死んだお父さんにだ。

私はあんたを産んだが、お父さんはあんた

徳市という立派な名前をつけてくれた。

名は体を表す。そのとおりだった。

その名前のとおり、「徳」を呼ぶ「市」になった。

金は残さなかったが名を残した。

本はあんたが死んでからも読み継がれるから。

自分の思いどおり世界をまたにかけてやりたいことを

して生きた長男のあんたを私は誇りに思う。

もう私もやがて89歳、あと数年の命と思う。

だからここに私の思いを遺言として書いておきたい。

くれぐれも妹弟 ハナサ、ハバサ、仲良く助け合って生きて下さい。

では先に天国へ行って待っている。
あんたは、もっと長生きして、人を喜ばして、車じゃなく、歩いて、ゆっくり、天国へ来たええ。 母より。