「死にたくもあれば、生きたくもあり」
年寄りは、「もう、いつ死んでもいい」という人と、
「まだ、長生きしたい」。人それぞれのようである。
だが、私は「死にたくもあれば、生きたくもあり」
である。
なぜなら、私は2012年に、突然倒れて、
倒れて、2日間も三途の川ぶちに立ち、
勢ぞろいして私を待っていた優しそうな顔の、
ウヤフジたちを知っているからである。
ウヤフジたちの顔には怒るということを
忘れた顔であった。
にこにこ、ポチャポチャとした丸顔で、
頭は丸刈りで、まるで戎さんみたいな顔であった。
死んだら、戎さんみたいな顔立ちになるようである。
私はこの世でも72歳まで、生かしてもらって、
好き勝手なことをした。
幸福になるには自分の好きな仕事を見つけるのが
一番大事だと、50以上の職業を変え、
喜界島、大阪、南米パラグアイ、ロスアンジェルス、
シアトル、サウスサンフランシスコ、
モントレーの山の中と、仕事も住む国も
人一倍変えて生きてきた。
そして、親父が世話になった、親戚、
おやじの友人、親父がかわいがっていた
東京の妹もアメリカに呼んで、
アメリカ見物させた。だから死んだ親父が、
私を見守っているに違いないと思う。
親父が生前よく言っていた言葉がある。
おじいさん(親父の親父)がよく言っていたという。
「おじいさんはいつもお前の方に乗って、
守っているからあ、何も心配するなよ」と。
また私は、ええ格好を書きましたなあ、
お許しくだされ