426 -おぢばがえり | ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

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0526
(弟道雄撮影)
「おぢばがえり」

 天理市は信者の方々の古里である。

天理教の人達は

天理市に来ることを「おぢばがえり」というようだ。

いたるところで、「おかえり」の言葉が各所に

書いてある。

昔若い頃、大阪で商売をしていた時、商売の暇な時に

気晴らしの場所を見つけて、大阪、京都、奈良など、

歩きまわった。


そんな時に見つけたのが天理教本部であった。

教会本部の敷地は非常に広くいくつもの建築物に囲まれた

広い、広い庭は私の心を洗ってくれる。

庭には砂利が敷き詰められゴミ一つ落ちていない。

その広い庭を14,5人の制服を着た女生徒が塊りになって、

通って行った。

まるで絵のような風景に見えた。

4、5本の松の木が、上に向かってまっすぐ伸びている。

ただそれだけである。

 
私の住んでいる界隈の家々に植えられている松は、

わざわざ、曲げられて盆栽のようになっているの

ばかりだから、まっすぐに伸びた松の木は珍しい。

ひょっとしたら、杉の木かもわからん。

今度行った時に確かめてみよう。

私はこのシンプルな広さを見ていると、

商売の煩雑さから逃れて、気晴らしができるように思った。


広くて分厚い板でできた、広い階段の前に靴を脱いで、

本殿へ上がろうとすると、黒い天理教のハッピを

着た若い男が、靴を並べてくれた。

本堂の周りにめぐらされた廊下も分厚くて広い板で

出来た広い廊下である。天理教の本殿は、庭も、廊下も、

何千畳もありそうな畳の部屋も、目を見張るほど広い。

もし、畳屋がこんなに沢山の畳の注文をもらったら、

嬉しさより、先に、唸るかもしれない。


廊下を回っていると、四つん這いになって廊下を布で

磨いている人を何人も見かけた。

何かを口ずさんでいる。

聞こえたのは「あしきをはろうてたーすけたーまえ

てんりんおー のみーこと)であった。

四つん這いになって廊下を磨きながらも天理教の御神楽歌

(この聞きなれない言葉は今この分章を書きながら

辞書で探した)を口ずさむ天理教信者の人は

真面目な人達に違いない。

だから天理大学は柔道が強いに違いない。


本殿を一周りして、階段を降り、靴を履こうとしたが、

ピカピカに磨いてくれてあった。


その昔、松下幸之助は天理教の本部を 見学、

その繁. 栄発展ぶりをまのあたりにして、

事業経営のあり方に思索. を重ねたという。