350- トシコ ムトーさんの人生を読んで | ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

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99  「トシコ ムトーさんの人生を読んで」 

 読んでいて、地震や、地震や!! 

グラッ、グラッ、ガクゥー、ガクゥー、と地震に

やられているような感動を覚えた本。

1週間前に読んたけど、「こんなすごい人が

世の中におるんだなあ」と、まだ頭の中が

余震で揺れているみたいである。
やることなすことがほとんど、当って儲ける。

また廃人同様になったり、男に逃げられたり、

最後は財産は天国に持っていけないから、

最後の人生は破産を選んだ。 

こんな考え方は普通の人間には通用するはずがない。

普通の人の何倍じゃない、何十倍も度胸のある人の人生、

それがムトーさんの人生である、女の人生である。

こんなすごい女の人生、私の人生で初めて知った。

JAPANESE IN AMERICAという本の中の97人の

中でも飛びぬけて光っていた。



 日本の会社で、自分に向いてない仕事だった為、

居眠りを頻繁にした。

眠くなるとナイフで机に穴を掘る。

その穴がどんどん増え、社内中の噂になり、

みんなが見に来るようになり、ついに常務

にまで知れ渡ってしまった。

その常務に首にされるんじゃなく、

有名な画廊を紹介されて、またその画廊に「女性自身」

を紹介され、漫画「小さな恋人」を8年間連載する。

大当たりをする。

ピーク期には一ヶ月に週間、月刊、新聞など

25誌以上に記事を書く。ついてる女と頑張る女。

私が故郷喜界島の早町中学生の頃、志戸桶村の1年先輩が、

授業中に机の前の部分に穴を開け、

箸のよう細く削った竹で、鳥籠みたいにして、

メジロを飼ったのを思い出したが、

彼は今頃の何の仕事をしているだろうか。



 一人の女性であるが、私は女と言いたい。

女のほうが、たくましい様に思えるから。

そんな一人の女が31歳の時に、スーツケース

1個でアメリカへきた。

手持ちの金なし、ワーキングビザなし、英語だめ、

タイプだめ、車運転だめ。

ここはフリムン徳さんの私と似ている。

徳さんも、パラグアイから旅行のビザで来て、

手持ちの金3ヶ月生活分あり、ワーキングビザなし、

英語だめ、タイプだめ、大工だめ、

紹介者の条件なし、よう似ている。



 彼女はデパートメントのカード売り場で、

カリフォーニアカード会社名を発見。

早速そこに電話をし、「グリーティングカードの

絵を書きたい。入社試験を受けさせてくれ」、

と申し込み、採用される。

その会社に美術学校行きたいから、

奨学資金を出してくれと頼んだら、

ほんとに出してくれた。

成績がC以下になると取り消すと言われたので、

すぐに先生に、「私は奨学資金で

きているので落第すると困る。

先生よろしくお願いします。」と必死で頼むと

「アー、それぐらい大丈夫だよ」と言われ救われた。

 ようこんなにずけずけと誰が言える!!

このフリムン徳さんも、パラグアイから

ロスアンジェルスへ来た時はオイルショックの時で

仕事がなかった。

「障子を作ります」の広告を見つけて、

その会社へ乗りこんで一ヶ月ただ働きしますから、

使ってくださいと交渉して仕事を取った。



 彼女は今度はアメリカでも一番大きい

グリーティングの会社に変わろうと思い、電話をした。

作品を送ると確実性が薄いと思い、アポイトメンとを取り、

カリフォーニアからミズリー州まで飛行機で飛び、

自分の作品を見せて採用された。

ここも徳さんが、アメリカのビザを取るための手紙を

大阪から出さず、わざわざアメリカの領事館のある

神戸の郵便本局まで行って、

さらに速達で出したのと似ているようだ。



 彼女は不景気でこの会社が閉鎖、今度はディズニーの

副社長の家の犬と猫に餌をやる仕事を見つける。

食事は冷蔵庫の中のを適当に食べてよいとのこと。

彼女が食べたものが、副社長夫人が旦那のために

特注した最高級のものばかり。


たちまち婦人の逆鱗に触れ、副社長の書斎に呼ばれた。

ここからがムトーさんの催眠術にかかったように会う人、

会う人が彼女に有名な会社、有名な仕事、

有名な人を世話してくれる。

信じられんばかりの超有名人、ディズニーランドなど

超有名会社の仕事を任せられる。

助け神がいつも彼女と行動を供にしているよう

に思えてならない。

フリムン徳さんも御客さんから家一軒、もらったり、

したことがあるが、ごく普通の人間ばかりだ。

ムトーさんの歩いてきた道は上流社会ばかりだ。


 
自分の自伝「人生は片道切符」をたったの29日で

書き上げたらベストセラーになり、映画化までされる。

やることなすこと、うまいこといきよる。なんとついている人。

だが、やはりつかないこともあった。

40歳から50歳まで10年間直感を全部失い

廃人同様の生活を送る。

もうこれで終わりと思いきや、そうではない、

これからまた素晴らしい活躍をする。55歳になって、

家を一軒売って、当時アメリカでタンゴの

トップダンサーであったフェリックス チェベッツ氏に

入門してアルゼンチンのタンゴを始めた。

猛練習をして四ヶ月目にはスープリームアワードと

言う特別最高賞も受賞。それだけではない、

四つの大会で毎回受賞している。

彼女には歳は関係ないのだ。

だから、名前もトシコ ムトー?

めちゃくちゃの努力家である。



 今度は独学で、四柱推命を勉強して、

財産なんて天国へ持っていけないからとインド人との

愛を取り破産する。私も真似してみたい。

でもそこまでの度胸をつけるにはよっぽど、覚悟し、

悟らないとできないように思う。ムトーさんの人生、

これは血筋と思う。私はウヤフジがさせているようでならない。       

育ち盛りの子供四人を抱えて、針と糸の行商を始め、

後に九州一の京染め呉服店を築いた、

ムトーさんの祖母がダブって見えてくるみたいである。

ムトーさん、元気をくれて、おおきに、おおきに。

 フりムン徳さん