鈴鹿天ヒゲリニューアル。イオンモール鈴鹿ベルシティに「天ひげ」という天婦羅屋があります。商業施設としての集客力はさておき、いまひとつ。オープンとして1年。お店に手を加えました。暖簾、看板のへんてこなグラフィックを一掃して、岡崎の天ヒゲに準じて直しました。サンプルショーケースも棚板増やして、目線にメインのサンプルが並ぶ様にしました。⇒⇒⇒家族連れが多い商業施設なのに一人客が利用するカウンター、その上、かまどと、油はねを防ぐ耐火ガラスが開口部に入っていて、カウンター正面から料理が提供できません。思い切って、カウンターを撤去して、テーブル席に。意匠の軒の下部の下がりが、和の設えとして変。隠すため、暖簾のデザインを変えました。⇒⇒⇒店の入り口を入ると、6人がけのボックス席が3卓。サービスがしづらく、1、2名連れのお客様が利用してしまい効率が悪そうです。テーブルレイアウトを変えて、2名卓の組み合わせで、4,6,8名の利用に対応できるようにしました。⇒⇒⇒商業施設ですが、いわゆるチャラい意匠をやめてしまいました。後は、料理長、店長。モチベーションあげて、お客様にもてなしてください。じょじょに・・・・。
愛のなせる業。2トントラックを駆って、名古屋へ。イオンモール鈴鹿のリニューアルのため、施工業者に打ち合わせを兼ねて、設えの材料を届けに・・・。 アクセルべた踏みで、4~5時間のところにあります。到着して、支給する材料をおろして、大工さんたちと打ち合わせ。打ち合わせ、2~3時間。そして、東京にとんぼ返り、一人運転で・・・・つっかれたたぁ~。Zzz…(*´?`*)。o○ SAで、お母さんに電話。「今 談合坂・・・・」ヾ( ´ー`)十年ほど、前になりますが、お母さんが、神戸に一人住まいのとき、ワゴン車を駆って逢いに行って、・・・・その日とんぼ返り、・・・・・東京に帰って、自分の携帯電話を忘れたのに気がついて、・・・・・・再び神戸に戻って・・・・携帯電話を受け取って、・・・・再々東京へ。今では、出来ないねぇ。若かったのかな?お母さん「いえ、愛のなせる業」♪(*^ ・^)ノ⌒☆
ビー・ジーズが50周年!!ビー・ジーズが50周年を記念して、ベストCDが出ているそうです。50周年って、あの伯父さん達、一体何歳?と考える反面、自分が年をとった事に気づかされます。 ビー・ジーズの歌が全編を流れ、とりわけテーマ曲「メロディ・フェア」 (Melody Fair) を含むサウンドトラック盤は日本で大ヒットしました。二人がトロッコに乗って・・・・ラストに流れていました。原作・脚本:アラン・パーカー監督:ワリス・フセインマーク・レスター トレイシー・ハイド土曜の夜が眠らないことを教えてくれた映画。ディスコ世代を決定的に定義づけた映画。映画のサウンド・トラックは爆発的ヒットでサントラとしては驚異的な売上枚数、4000万枚。ジョントラボルタを一躍スターに。監督はジョン・バダム、脚色は「セルピコ」のノーマン・ウエクスラー、撮影はラルフ・ボード、編集はデビッド・ローリンズ、音楽はビー・ジーズ(バリー、ロビン、モーリス)余談になりますが、ジョン・トラボルタの白いスーツ、紳士服のコナカの前身、日本テーラー株式会社製。はいているロンドンブーツも、日本製。ディスコで、チークタイムがあった時代。日本が、元気に頑張っていた時代です。今でいう、都市伝説。ビージーズが、「サタデー・ナイト・フィーバー」ヒットの後、日本に来日。「あそこ、売りに出ていないの?・・・・」「3人のお金を、集めれば買えると思うんだ・・・・いくらかなぁ?」「売りに出てません。・・・・・皇居」
でいだらぼっち=チョコ・べー子供達をつれて、校庭に。ボースカウトや、大学生のボランティアのお兄さんたちの催し物。人形劇、模擬店、アスレティック・・・・・子供達、楽しんでいます。そんな中、息子と娘、影踏みを始めました。 そんなとき、娘がポーズ。おとうさんは、子供の頃のお菓子のコマーシャルを思い出します。「森永チョコ・ベー」 影を見て、そん残像を山や、地平線に映し出す、単純な遊びです。江戸時代以前から有るのでしょう。地方にも、大巨人、妖怪として、いろんな伝説として、残っています。場所によって呼び方が違うようですが、「でいだらぼっち」とか、「ダイダラボッチ」(大太郎法師)とか・・・・。 宮崎駿監督の「もののけ姫」とか、水木しげる先生の「ゲゲゲの鬼太郎」にも、登場しています。まだ放映されてるかどうかわかりませんが、名古屋の海苔やさん「浜乙女」のコマーシャル。名古屋に出張の時、JR名古屋駅の改札の外。柱の内照サイン看板にモデルアニメの「でいだらぼっち」が未だ使われています。