聖書箇所(ルカの福音書 4:16-30)の要約
イエス様は、安息日に会堂でイザヤの書を読み、聖書の御言葉が実現したと言われます。
人々が「この人はヨセフの子ではないか」と言うと、イエス様は預言者は自分の郷里では歓迎されないと言い、エリヤ時代のやもめとエリシャ時代のナアマンの話をされます。
すると人々は憤り、イエス様に害を与えようとします。




【示された聖書箇所】
21 イエスは人々に向かって話し始められた。「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」
22 人々はみなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いて、「この人はヨセフの子ではないか」と言った。
24 そしてこう言われた。「まことに、あなたがたに言います。預言者はだれも、自分の郷里では歓迎されません。
29 立ち上がってイエスを町の外に追い出した。そして町が建っていた丘の崖の縁まで連れて行き、そこから突き落とそうとした。
30 しかし、イエスは彼らのただ中を通り抜けて、去って行かれた。



【思い巡らし&気付き】
イエス様の働きは、旧約で預言されたキリスト(メシア)の働きです。アーメン!
「いつもしているとおり安息日に」とは、イエス様がいつも安息日に会堂で礼拝されたことを意味しています。
イエス様が公生涯を始めるに当たり、郷里ナザレの会堂で読まれた箇所は、イザヤ書のキリスト(メシア)が遣わされて行われることに関する預言でした。
「捕らわれ人」「目の見えない人」「虐げられている人」は、人間の霊的状態を示しています。
預言によれば、キリストは世に来てそのような人々を解放します。
イエス様は、今日この聖書の御言葉が実現したと宣言されます。
イエス様こそが、人類に自由と回復を与えるために世に遣わされたキリスト(救世主)なのです。
イエス様の御言葉を聞いた人々は皆、イエス様を褒め、その恵みの御言葉に驚きますが、しかし、彼らは「この人はヨセフの子ではないか」と言って、イエス様がキリストであることに対しては疑問を抱きます。
彼らの先入観が邪魔したのです。
イエス様は、奇跡を見なければ信じない彼らの頑なな心と先入観を見抜かれ、神様は選ばれた者だけを救われると言われます。
特にイエス様は、イスラエルの歴史の中で最も堕落していたエリヤの時代に起こったことについて言及し、人々の不信仰と頑なな心を警告されます。
先入観は、救いの障害物となるのです。
揺るぐことない信仰を持つためには、純粋な心で神様を求めなければならないのです。




【祈り】

主を信じると言いながらも信頼しきれていない私の信仰の薄さを告白します。
また、兄弟を愛していると言いながらも、偏見をもって接していたことを悔い改めます。
信仰からかけ離れた生活ではなく、日々、示された御言葉に従って歩めるように、私の心を新たにしてください。
反キリストのサタニストどもの悪巧みが主イエス様の時に暴かれ、阻止され、裁かれ、罰せられますように。
一人でも多くの方がこの「憩いの水のほとり」に訪れ、主イエス様と出会い、罪の悔い改めに導かれてイエス様を信じ罪赦され、救われますように。
主の御心がなりますように。 ナザレ主イエス・キリスト様の御名で祈ります。アーメン!

 

 

 

 

 

 

【おまけ】

 

目に見えるものだけに価値を置く生き方は、いずれ目に見えるものに裏切られます。

 

 

あなたは、イエス様と隣人を愛するため生まれたのです。

真の神様が、あなたを愛するため生んでくださいました。

あなたは、創造主なる神様の愛の結晶なのです。

 

他人を妬まず妬まれないようにすれば、人生に勝利できます!
妬みと貪欲は偶像礼拝なのです。

主イエス様を信じ、主イエス様に従い、主イエス様と共に、謙遜に生きていれば、自ずと貪欲と妬みから遠ざかることができます。

ですから、勝利の人生には、主に在って、貪欲と妬みに勝利することが必須です。アーメン!