■山岡鉄舟、最後の稽古

明治21年7月8日、山岡鉄舟の最後の稽古が行われた。鉄舟は次のように語った。

「今日はお前達に最後の稽古をつけてやるが、もし今日の稽古が平素と変わるようであったら、無刀流は俺の死後、ブッ潰してくれ」

「いまや、私は病気が重く、身体の衰弱も甚しい。とても腕力、血気の力はない。いまこそ真正の試合をする時である。さぁ、道場へ行ってためしてみよう」

このことを耳にした医師は驚いて、稽古の中止をすすめた。しかし、鉄舟は次のように話して、稽古をしたのだった。

「どうせ不治の病気ゆえ、稽古をせずに寿命をのばしても、十日か二十日しか持たないだろう。そんな短い日時を生き長らえるより、四十年来苦心してきた剣道の試験をするのが、私の希望だ。この好機を逃がすわけにはゆかない」

稽古は普段と変わらぬ激しいものだった。そして、「四十年来苦心してきた剣道の試験」により、無駄でなかったことを確かめ得た。「一心をこめてやれば、必ず成功することは間違いない」と。

この後、鉄舟は門人に抱えられて、居間に戻った。「さすがに疲労の色を浮かべていた」という。

<参考文献>

•『史談無刀流』(浅野サタ子著、昭和45年、宝文館出版)など。