天保期から明治初期にかけて、麹町には「お鉄牡丹餅屋」があり、流行っていたそうだ。小豆、胡麻、黄粉の3種の牡丹餅が、お鉄という看板娘の影響もあって、たいそう評判だったらしい。

 山岡鉄舟は中条(景昭)氏と連れ立って、その牡丹餅屋の前を通り掛かった。

「鉄っさん、餅でも食べようか」

中条が言うや否や、鉄舟はもう店に入って行った。そして、鉄舟は20盆を注文した。鉄舟と中条で10盆ずつだ。1盆は5個盛りだという。小ぶりの牡丹餅だと伝わっているので、大男の鉄舟にとっては、特別に多量というわけではなかったかも知れない。しかし、中条にとっては多量に思われた。


 店員は注文通りに牡丹餅を運んできた。そして、鉄舟は10盆をたちまち食べてしまった。中条は10盆のうち、ようやく3盆を食べたところで箸を置いた。鉄舟はそれを見ていた。

「あとはどうするのか」

「これは残すつもりだ」
すると、鉄舟は次のように言うのだった。
「注文したものを残すなど、そのような見苦しいことがあるか。よし、予が食べる」

そう言って、鉄舟は残りの盆にある牡丹餅をすべて食べてしまったという。




古書店で見つけた40枚余の原稿。誰の筆跡なのだろうか。この原稿は小倉遊亀関連資料の中にあったものだという。よく知られた鉄舟の逸話が記されているけれども、若干相違するものもある。上記の話はこの中に記されているもの。前回の「茹で卵」の話も同様だ。