いま、『徳育資料 第三編 奥貫友山翁詳傳』を読んでいる。以前、奥貫友山のことを記したけれど、その時とは違うことが書いてあった。念のために、前回に参考とした『埼玉県の近世災害碑』を確認したところ、私の誤記だと気づいた。そのため、以前の投稿を修正しておいた。


そして、あらためて「奥貫友山翁詳傳」から紹介してみたい。
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⋯要するに翁(奥貫友山のこと)は寛保二年八月出水當時より翌年四月下旬に至るまで、約八箇月の長期に渉りて、この偉大なる博愛事業を遂げられたるなり。しかしてその救恤を受けたるもの今一々枚擧すべからずと雖も、凡そ近郷四十八箇村、十萬六千餘人の多きに上れりといふ。

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地震、水害、干ばつなど、いつ起こるかも分からない。じわじわと、あるいは突然やってくる。一人ひとりが日頃から備えをしておくことは重要だ。

奥貫友山は、「いときなきより心身をくるしめ、家を富ましめたる⋯」と評されたようだ。苦労して貯蓄したのだろう。それを惜しみなく被災者のために使ったわけだ。

食料や水の備蓄、簡易トイレなど、災害時の備品については、時々テレビや自治体の広報などで触れられている。私は十分な備えをしていないけれども、ひとまず、災害時の備品を扱っているホームセンターなどの売り場には行ってみようと思っている。





<参考文献>

『徳育資料 第三編 奥貫友山翁詳傳』(埼玉縣教育會編、大正元年)