岩佐一亭(いわさいってい)という人は、山岡鉄舟が飛騨高山で過ごしていた頃、つまり鉄舟の少年時代の書道の師として知られている。
もともと一亭は、呉服商の長男だった。しかし、家業よりも学問への関心が強かったようだ。そのため、家業を弟に託した。親の理解もあったのだろう。
一亭は、書の手ほどきを受けていたころの3年間、毎日3合の墨汁を使用して、「一」の字を書き続けたと言い伝えられている。学問への関心とともに、技術の習得にも並々ならぬ熱意を示していたようだ。
「合」というのは、約0.18リットルのことだという。3合だと、私たちがよく目にする飲料水のペットボトル1本分ほどの墨をすって、「一」の字を書き続けたということになるか。
のちに一亭は、書道に関して、大道定慶から弘法大師流入木道51世を受け継いだ。さらに後年、一亭から52世を受け継いだのが山岡鉄舟だった。
また一亭は、和算、武術、尺八なども習得したらしい。岩佐家には、一亭について、次のように伝わっているそうだ。
「一亭は仏道に帰依し、安心立命の道を明らかにして、殊に親に仕え、孝愛の情厚く、人呼んで「仏市右衛門」と言い、その名は四方に普(あまね)きため、其の門下に入り、子弟の誓を結ぶ人多かりし」
「市右衛門」とは一亭のこと。若き山岡鉄舟は、このような一亭から書道をはじめとして、様々なことを教わったに違いない。

■『山岡鉄舟 書の師匠 岩佐一亭』/郷土出版社(昭和62年)