私は我が国がコメで世界に貢献する国であって欲しいと思っている。稲作や水田を消滅させたくないと思っている。

それには米価は安くなければならないとも思っている。マクロの全体像で見れば、「増産、輸出、大規模化」の三点セットによってそれが実現できると考えており、いろんなところに書いてきた。内容は省略しよう。

 

ただ、どうもその実現には悲観的にならざるを得ない。農政は農林族に牛耳られ、石破・小泉改革の増産政策は頓挫した。利権や権力闘争がまかり通っては、コメは袋小路に追い込まれ絶滅してしまう。

 

今は「何とかファースト」がはやっているが、そうではなく、皆がそれぞれ何かを我慢し譲りあい、農業界の世論を変え、成長産業にする土壌を作るより他ないと私は思っている。夢物語と思われるかもしれないが、今の農業界の議論を聞いているといつも違和感を覚えてしまう。

 

誰が何を譲るかについてはここでは置いておくが、一言で言えば、私が違和感を感じていることである。

 

譲る代わりに得るものは何か。例えば離農した農家は地代を得、消費者は安いがおいしいお米を安定して得、大規模農家は生産性を上げ事業収入を得、JAは准組合員での事業拡大を得、集荷業者や卸は扱い量の増加を得、輸出業者はコメの海外販売を得、等々と言ったことである。

 

誰かが何かをちょっと我慢すれば、こうした利益は得られ、今の「農業界の世論」(違和感を感じる論調)を変えるのが可能になるのかもしれない。利権優先社会では夢物語かもしれないが、これは二宮尊徳の「分度推譲(ぶんどすいじょう)」の考えであり、コメ騒動は「堂島市場」をはじめ江戸の昔に返って考えてみてはどうかと思うのである。大切なのはパフォーマンスに走らないリーダーである。