岡崎市にある真福寺へ行きました。
真福寺とは、かなりの古い歴史があり、推古天皇二年(西暦594年)に、物部守屋の息子である真福が大化の改新後に逃げて来て、この地に造ったとされるお寺だ。
なんでも真福が、山の頂きより霊光かがやき端雲たなびくのを見て、不思議に思い訪れたところ、滾々と湧き出る泉があるのを見つけた。
その泉から薬師如来が水中より出られ、再び泉の中に姿を消されたそうで、感激した真福はここに御堂を設立したのが始まりであるそうだ。
薬師如来のお寺である。
鎌倉時代が最も栄えたとあり、三十六坊が在ったという大寺院だった様です。
この真福寺は、岡崎市内の小中学校の遠足先だった事もあり、私も小学校と中学校の時に遠足で来た思い出がある。
小学校の時は、弁当を広げて食べている私達の頭上に、白髪頭の方が見ている心霊写真が撮られ、ひと騒動あった事を思い出す。
今思えば、あの白髪の老人は、私の過去世の私であったと思うが、あの時は怖くて怖くて、クラスのみんなで震えていたのを思い出します。ホント平八爺ちゃん(過去世の私)、人騒がせでした!
平八爺ちゃんとは、源義平が名を変えて平八と名乗っていた時代です。前のブログで書きました。
数年前、沖縄出身の能力のある人から指摘を受け、毘沙門天様が呼んでいるよ!言われ、どこだ?と感で探したら、この真福寺に祀られている毘沙門天のお堂の仏の神だったという経緯もあり、私がここらあたりで動いていた事が判明したのだった。
真福寺からひと山越えた南に瀧山寺があり、ここにも薬師如来が祀られるお堂があり、そこにも過去世は出入りしていたそうだ。
んんん、ここは役小角関係である。それも・・・だが、その話はまたいつか。
ここでは、観音様の仏像に源頼朝公の歯が埋められているとう。なるほど、過去世の私である平八がやった事だと判る。
なぜなら、私は頼朝公の異母兄弟だったからね。
現生で行った事のある場所、それは結構過去世に自分が居た場所だという事は多々だ。
その典型的な話です。
本日真福寺へ行ったのは、毘沙門天様から来いと言われていまして、訪ねました。
まあ、九星でいうと私は今年は停止の年。いままでやって来た事にブレーキが掛かったり、なにかと運が停止する年である様で、現にちょっと色々ありまして、その事と思われます。
いつもは車でお堂の前まで上がり参拝をするのだけど、本日は正門でもある仁王門から入る事にしました。
仁王門で一礼し入って行くと、いつくかの石仏達がお迎えしてくれます。
途中に宿坊であった場所、今は何もない場所で表示も無いのだが、ここで寝泊まりしていたんだという場所を通りすぎ、神仏混合の入口鳥居の前にあるお堂、まずは毘沙門天様にご挨拶であります。
毘沙門天様は、優しく迎えくれました。言葉は少なく、もうすぐ来る激動の時、その時にはお力を貸して下さるという意味の言葉を頂きました。
お不動様や本堂、歴代和尚のお堂、その裏にある白龍社、村積み山の神の下手になる八所神社、奥の院の白山社、全てを回りご挨拶。
だけども、これと言って特別な事はなく、まあ、挨拶に来たと思えばよいか?と、この時点では思っていましたが・・・
帰りしな、五輪塔?供養塔?かな?その場所から声が掛かりました。
なんだろうな?と思い挨拶をすると、なんと!過去世で一緒に動いていた仲間達が私を呼んでいました。
勿論、目では見えませんが、その塔の所で数名の方々が私に声を掛けてくれました。
「平八殿!大丈夫だよ、我等も陰ながら力を貸すぞ!大丈夫だ!がんばれ!我等仲間はお前の後ろから力を貸すぞ!」と言ってくれるではありませんか?
あらら!と思ったら、私でも私では無い私が涙ぐみます。
嬉し涙が出てくる感情になりました。その近くの石像さんもニッコリして私を見つめてくれました。
ああ、運が悪くなり何かしらの事が全てに近い程、停止されそうな運気なのだが、それを気に掛けて呼んでくれたのは、この方々だったんだ!と悟り、感激致しました。ありがとうございます。心強いです!
私は何度も頭を下げ、その場を去りました。
今これを書いていて、再度その時の映像を頭に浮かべお礼を申すと
「おぬしにして貰った恩は忘れない。その恩に報いる為にも我等は応援するから、気に病むな!」という声が聞こえてきます。ほんと、ありがたい事であります。合掌!
話を戻すが、真福寺の仁王門へ行く階段を下りて行くと、途中に変な声が聞こえました。
「ぐわ、ぐわ」なんだ?
その声がする所へ行くと、ネズミの様な、でもネズミではない。
なにか知らない生き物がそこに横たわっていました。ぐわぐわと鳴きます。でも動けない様な感じでした。
棒でちょっとつついてみました。手にはネズミには無いものがあります。
ももんが?ももんがって野生でこの辺にいるか?
あ、何だったけ?名前が出て来ない。
後で調べて、そうそうムササビでありました。
ムササビの赤ちゃん?これを見せられて私への神からのメッセージ?
なんだ?なんだ?どういう事?
可哀そうだが、親は?と回りを見ても見当たらない。
これをどうせよ?という事か?んんんんん??????
このムササビの赤ちゃんを拾って、私が育てる?
いやいや、私にはそういう知識は無い。どうしようか?
このままでは野垂死にだな。だが私はムササビの赤ちゃんを育てるのは無理!
散々考えたあげく、そのままその場に置いておいて触らない事にしました。
神仏に、このムササビをどうかよろしくお願いしますと祈り、そのまま放置。
これ、私は非情な奴と思われるかな?
このムササビの赤ちゃんの神のメッセージは?
自然界の命である。
それを拾って育てるのも一つの慈悲だが、それが自然界に取って良い事か?
確かに命は大切である。
だが、育てる事も術も知らぬものが、それを拾ってなんとする?
拾って結局は死なせる事になれば、それも悲しみを生むだけでもある。
自然動物である。病気も持っているかも知れぬ。それでも拾うか?
散々考えたあげくの答えは、あるがまま、あるがままを受け入れよという事なんだと悟りました。
自然界の命とて運命がある。
巣から落ちて死すのも、それも運命であり宿命。
昔保健所から殺処分予定の子犬をもらって来て育てた事を思い出した。
人の勝手の殺処分、そこから救う事も一つの善意であると思って引き取った。
だが、その犬は大人になってすぐだが、不慮の事故で亡くなった。
その時、死する運命の子はやはりそういう運命と宿命があると悟りました。
あるがまま、あるまま、茨木県の神から受けた言葉。
自然災害があろうとも、津波で社が流されようとも、あるがまま受け入れるという言葉。
それを表しているのかも知れないと思いました。
更に、このムササビの赤ちゃんは私を表している?
新しい事に踏み出した事により、新しい事への試練。それは過酷かも知れない。
一見過酷かも知れないが、その命が助かる事があるなら、それも運命であり、自らの運命と気力があれば生きるという事を表しているのかも知れないと思った。
ゆえにこのムササビ赤ちゃんは、この場は神仏および自然界の神にゆだねる事にしました。
救ってあげればよかったかな?でも私には無理!
という事は、このメッセージは、今後起こるかも知れない自然災害。
自分を守れなければ、他人など救えない。家族でさえも同じであるというメッセージと思います。合掌。
〇春分の日・自然神への感謝祈り&ご来光祈り神事
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日付:令和6年3月19日~20日(一泊二日)
集合時間:午前10時
集合場所:三島駅北口(新幹線)
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交通費は割勘ですので、参加費は前後致します。
宿泊費は含まれています。
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次回のイベント(神事等)| 慈愛の光サークル
まだ慈愛の光サークルへ登録してない方、一般の方は是非ご参加下さい。参加費が安くなりますよ。
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参加者募集 月会費344円
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