こんにちはこんばんは子猫ちゃんたち、イケメンだようッ! 師走だね!!!
気が付きゃ今年一年まるまつ新作シナリオ発表してない、というか最後に出した竜眼湖が去年の6月だから、もうまるまる一年半何も出してないことに気付いて戦慄してるよ! もう残り人生わずかなのに何やってんだ!!
さてそんな今回の更新は久しぶりの「シリーズ:マーダーミステリー作るのって難しいよね」のお話。マーダーミステリーのシナリオとかを作る立場での考えのお話なので、興味のない子猫ちゃんは読まなくて良いよ!
「マーダーミステリーってなんだろ?」「どうやって遊べばいいの?」って子猫ちゃんたちは、このblogの最初の方から読んでみてね! ね!
ということでここからは、しちめんどうくさいお話を長文で言語化していくよー! みんなもう薄々気付いてると思うけど、あんまり推敲してないよ! そこんとこヨロシクな上でチェケ!
マーダーミステリーにおける《葛藤》の重要性
ぶっちゃけてしまうが、僕はマーダーミステリーって《葛藤》を味わうために遊ぶものだと思っている。この際異論は認めない、というか、これ自体が重要な要素であることは否定できないはずだ。反論したくなった君にこそ、この話を聞いて欲しい。
まずいつも通り言葉の意味から引いてみよう。
何かしらの選択肢があり、そのうちどうしても切り捨てられない選択肢が複数残ってしまう状態で起こる心の動きが、ここで論じられる《葛藤》だ。
無数の選択肢の中で、採用したくないもの、採用できないもの等を切り捨てて行くという思考/感情の末。最後に残る選択肢がたった一つなら、それが結論だ。《葛藤》は起こらない。
しかし、どうしても切り捨てられない選択肢というものがある。中間を取れるような「たったひとつの冴えたやり方」はない。どれかひとつ、どちらかひとつを選ばなくてはならない。
にもかかわらず、残った選択肢たちは互いに二律背反の、あるいはアンビバレントな関係にある。決して共存できない選択肢、しかし切り捨てがたい選択肢。こんな選択肢に挟まれた時の感情を《葛藤》と呼ぶのだ。
そして、繰り返すが、僕はマーダーミステリーっていうゲームは《葛藤》を楽しむものだと考えている。
人間、生きていれば、誰でも大なり小なりの葛藤を抱えている。
だけど、僕らの人生において、その結論を出すことを迫られること、締切の時間が定められている事って、実はそう多くはない。大抵の場合はほぼ無限に悩んでおけるし、心の何処かに引っかかりつつも放置しておくことだって出来る。(そうでないものが印象に残るので気付かないが)
僕らの人生で言えば、大きいものだと例えば進路だとか、結婚だとか、就職だとか、退職だとか、そんな転機で訪れるだろう。小さいもので言えば、今日の昼飯を和食にするかラーメンにするか、みたいな事もある。
マーダーミステリーで言えば、例えば投票するべき犯人の候補が二人まで絞れたけど、そこから先の決め手がない、なんて時に起こる。どちらのカードを捜査しようだとか、今日の配役は誰を希望しよう、なんて時にも小さな《葛藤》は起こっている。
何故その《葛藤》がマーダーミステリーの設計において重要だと断じるのか。
以前、マーダーミステリーはゲームであり、プレイヤーがキャラクターの行動を通して物語や世界にアクセスできることが重要だ、と説いた。⇒ マーダーミステリーのゲーム論
物語において重要なのは受け手の感情が動くことであり、筋書きそのものではない、といった話に似ている。
マーダーミステリーのインタラクティヴ性を支える「行動」とは何か。実は議論だとか捜査だとか投票だとかではない。マーダーミステリーにおける「行動」とは、プレイヤーの「選択」そのものなのだ。議論でも、捜査でも、もちろん投票でも、プレイヤーはさまざまな「選択」を連続して強いられている。そしてそのたびに大小の《葛藤》が生まれている。
この、マーダーミステリーにおける「選択を強いる」「《葛藤》を生む」仕組みは、時間制限によって生み出されている。
制限時間があり、いついつまでに決断をしなくてはいけない状況だから、選択の強度が上がり《葛藤》が生まれているのだ。つまり、マーダーミステリーというゲームのシステムそのものが《葛藤》と「決断」を軸に作られているのである。
こうした理由で、マーダーミステリーではルール説明と共有の段階で、「全体のフェイズ説明(いつ投票フェイズがあるのか)」「何に対して投票するのか」「最多票になったらどうなるのか」については、明確にしておいた方が望ましい。
そのゲーム中で最大の《葛藤》と「決断」のタイミングをあらかじめ明確にしておくことで、プレイヤーに制限時間を意識させ、《葛藤》の発生を誘導することが出来る。逆に言うと、これをしないことで、大きな武器を一つ捨てる事になってしまう。――それを上回って余りある何かが無い限りは。
前述したように、人生の中でも印象に残る《葛藤》には、常に締切が、時間制限が存在したはずだ。時間制限があるから葛藤するのではない。時間制限があるので「決断を強いられる」から《葛藤》が生まれ、感情が動き、印象や記憶に残るのである。
君の作るマーダーミステリーが、プレイヤーの印象に、記憶に残るものであれかしと欲するのならば。そのための感情の動きを作るために、《葛藤》のデザインは必須になる。
ここまで言っても、まだ《葛藤》は重要ではない、と主張できるだろうか?
とは言うものの。「マーダーミステリーは《葛藤》を楽しむものだ」と言われて「いや!?」と言いたくなる気持ちも、実は、分かる。
何かしら「エモい」お涙頂戴の筋書きに巻き込まれ、「はいここで葛藤して下さい」みたいな稚拙なシナリオに巻き込まれた経験が、これを肯定しづらくさせているのだろう、と想像する。
冷めるよね。わかるよ。そしてそこで冷めてしまったら、「ハイハイ」って気分になりながら、それでも場を白けさせないために、道化を演じるしかない。そんな経験が、君にも少なからずあるのだろう。
だけどね。
それらは多分、《葛藤》のデザインの失敗例なんだ。
そして、どうするとそういう失敗をしてしまうのか、というお話が、今日の主題だ。
《葛藤》が重要、と聞いて苦い顔をしてしまうような人にこそ、今日の話は聞いて欲しい。
君のシナリオのプレイヤーにあんな思いをさせないためには、どうすれば良いんだろう?
トロッコ問題に学ぶ
「トロッコ問題」をご存知だろうか? と言って、知らない人も珍しかろう。倫理学上のジレンマの提示として、最も有名な題材であろうと思う。
よく御存知の通り、トロッコ問題とは以下のようなお話だ。
前提
(a) 線路を走っていたトロッコが制御不能になった。このままでは、前方の作業員5人が轢き殺されてしまう。
状況
(1) この時、たまたまAは線路の分岐器のすぐ側にいた。Aがトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもBが1人で作業しており、5人の代わりにBがトロッコに轢かれて確実に死ぬ。Aはトロッコを別路線に引き込むべきか?
※文章はWikipediaより引用/写真はphoto.ac
要は、君がこの様な状況に置かれた時に、「何もせずに5人を見殺しにする」か? それとも「1人を犠牲にし(殺し)て5人の命を救う」か? という、正解のない二択を迫る大変に趣味の悪い設問である。(更に言えば、恐らく主題は「死なせる人数によって行動の正当性は判断できるのか?」というところであろう)
前段の《葛藤》の定義で言えば、「どちらも採用したくない選択肢」であり、かつ「制限時間が設けられている」。だから《葛藤》は発生しなくてはおかしい。
にもかかわらず、この設問で《葛藤》が生じることはない。
実は、《葛藤》が生じるためにはもう一つの大きな要素が不可欠である。トロッコ問題は、少なくとも「《葛藤》のデザイン」という観点で言えば、とてもわかり易い失敗例なのだ。
説明をする前にもう少しトロッコ問題について触れる。
Twitter(うるせぇおめぇなんかTwitterだ)上でも数年おきにこのトロッコ問題が話題に上り、トレンドに上がり、車輪が再発明され続けている。SNS等でトロッコ問題について話している流れを見たことはあるだろうか?
これについて発言する者で、「何もせずに5人を見殺しにする」と「1人を犠牲にし(殺し)て5人の命を救う」の選択肢の間で悩む者は一人もいない。
まず、出題者に対する怒りの感情が投下される。その中には「俺はこんな選択はしない!」と息巻く者もある。(※「選択しない」は設問上の「5人を見殺しにする」を選択したのと同義になるが、こう吠える者はそれに気付かない。そもそも文章を読めていない)
そして続くリプライは、「どちらの選択肢でもない第三の選択肢大喜利」が始まる。
こうした例がこれだけ観測されるのであるから、少なくとも本邦の、我々の顧客層の一般的な感覚がこれだ、という認識で問題なかろう。
トロッコ問題、爆速でトレンドから去ってがっかりしているw
— イケメン@マーダーミステリーオンラインGM (@IkemenGM) August 21, 2023
正解は既に出てるけどな!!! pic.twitter.com/IYxe4WFj3B
※ちなみに正解というわけではないが、ほとんどの回答者は(二択の中でなら)「1人を殺して5人を救う」を選ぶそうだ。どうでもいいけど。
これが「《葛藤》のデザイン」の失敗例だ。ここで《葛藤)は生じないし、生じる筈もない。読んでいる君だって悩みはしなかっただろう。
マーダーミステリー(や、明るくはないがストーリープレイング)での《葛藤》のデザインの失敗というのが、つまりこれだ。
「こういう選択肢を与えられればプレイヤーは悩み、煩悶し、苦渋の決断を下すだろう」という甘い甘い考えのもと作られた《葛藤》をシナリオに押し付けられ、君は閉口するのだ。
こういう「トロッコ問題のような」状況で、何故《葛藤》は生じないのか?
その答えは、「当事者性の無さ」だ。
そこに「プレイヤー」が介入していないから、なのだ。
《葛藤》の当事者性
では、《葛藤》の当事者性とは何か。
前述のトロッコ問題で言えば、そもそも決断を強いられているAは何も悪くない。
何も悪くないのに、いきなり1人と5人の命の載せられた天秤を押し付けられ、どちらかを選択せよと言われているのだ。理不尽な話なのである。
状況的に言って、ここで押し付けられている「天秤」とは、すなわち「選択肢」だ。
どちらも選びたくならない選択肢だけをいきなり押し付けられ、「どちらかを選べ」と言われるから、反発が起こる。出題者に怒り、あるいは第三の選択肢大喜利を始めたくなってしまう、のだ。
要するにだ。
二律背反の選択肢の中で思い悩み、《葛藤》するためには、その設問の選択肢そのものを自分で選び取らねばならないのだ。
これが《葛藤》発生のための第三の、そして最も重要な要素である。
《葛藤》が生じるためには、まず前段として、そこに無数の選択肢が無ければならない。
中には当然のように切り捨てられる、考慮もせずに外されるような選択肢も含まれるだろう。(これらは時として「選択肢」としてすら認識されない)
そして、選択肢を切り捨て、減らし、切り捨て、減らして行った先で、どうしても捨てられない選択肢が複数残った時。そこで初めて《葛藤》は生まれる。
何より、この過程を自身の意志で行ったという実感がない限り、《葛藤》は生じ得ないのだ。
このことを「当事者性の有無」と言っているのである。
君がもしも「ああ、今シナリオに《葛藤》を押し付けられているな」と感じた経験があるのなら、思い返して欲しい。
二律背反で板挟みにしてくる選択肢は、本当に自分で選び抜いたものだったか? 「どう足掻いたってこの二つしか無いだろう」と考えざるを得ないような選択肢では無かったか?
あの「トロッコ問題」を、いきなりドヤ顔で出題されたみたいな状況ではなかっただろうか。
押し付けられた二律背反は、反発を覚えることはあっても、《葛藤》を生むことはない。
ここで本当に重要なのは、選ばせたり切り捨てさせたりする選択肢の方ではない。この取捨選択を、プレイヤーが自分自身で行ったという、実感の方だ。
極論、誰がプレイしても残る選択肢は同じであって良い。どう足掻いてもこれが残るといった設計で良いのだ。本当に大切なのは、プレイヤーに「選ばされてる」と思わせないこと。「自分で選んでいる」と実感させることの方だ。
ゲームの制作とは、畢竟、選択肢の制作だ。そしてゲームのプレイとは「選択すること」だ。
ここが他の(小説や漫画や映画といった)創作物と大きく異なる点だろう。プレイヤーは選択し、その結果として、物語そのものに、あるいは世界そのものにアクセスできる。これがプレイの「体験感」を作る上で重要な考え方だ。
にもかかわらず、《葛藤》する上での選択肢を押し付けてしまったら、少なくともプレイヤーにそう感じさせてしまったら。君は、君のゲームのプレイヤーを、「読者」としてしか扱っていない事になってしまう。
人は、自分で設定した選択肢だからこそ、その間で《葛藤》出来る。
例えトロッコ問題と同じ状況になったとしても、「自分の決断の結果」そのふたつの選択肢のいずれかを取らなくてはいけなくなったのなら、そこに《葛藤》は発生し得るのだ。
『不正解』を作るな
上記で概ね《葛藤》のデザインについては一通りまとまった。
《葛藤》を生じさせるために重要なことは三つ。
① 二律背反の選択肢
② 制限時間の存在
③ ①の選択肢の当事者性
これらの具体的な手法についてはここでは論じない。ゲームデザイン関係の本や、桜井政博氏のYoutubeでも見たほうが、きちんと勉強できると思う。と言うか、具体的な方法があるんだったらワイにもくれw
しかし、もうひとつ大切なことをお話させて欲しい。《葛藤》のその先の話だ。
君が《葛藤》をデザインしたのならそこに不正解を作るべきではない。
これは理想論として聞いて欲しい。だが、プレイヤーに《葛藤》を強いたのであれば、その選択の結果に正解と不正解を作るべきではない。《葛藤》を求める以上、プレイヤーにクイズを出題しているのではない。《葛藤》した時点ですでに正解なのだ、というプレイ感を目指したいし、目指して欲しい。
プレイヤーが真剣にシナリオに向き合い、《葛藤》の末に出した結論は、常に正解であるべきだ。二律背反の選択肢を与えたのなら、そのどちらの結末も正解にしたい。
たまにある(個人的に)体験感の低いシナリオと言うのは、「作者が考えた最も尊い結末」があり、正解と不正解が存在している。いや、おそらく作者自身に聞いたら否定するだろう。否定するだろうが、プレイヤーがそう感じてしまった時点で《葛藤》は生じていないし、プレイ感は最悪に近くなっている。
いわゆるトゥルーエンディング問題と言ったらピンと来るだろうか。
ここで一つゲームの例を出したい。
『デトロイト:ビカム・ヒューマン』という名作ゲームだ。PS4、PS5、Steamで遊べるはず。
フル3DCGで形作られたドラマを、プレイヤーはさまざまな主人公として、幾度も決断を強いられながら生きていく。そして、プレイヤーの決断によって壮大な物語が分岐していく。
僕がぶったまげて腰を抜かしたのは、その分岐のエグさである。
選択はその多くが「どちらが正解か」とても悩ましい。そして同時に「どちらも正解であり、どちらも不正解である」と、決断する前から感じられる選択肢だ。
自身の決断の結果によって分岐したシナリオで与えられる選択肢であるから、当然当事者性は高い。どんな苦しい選択も、めちゃめちゃ自分の責任である。
このエグいまでの分岐、どう見ても不正解だろというような選択肢の先でもちゃんとドラマが展開していくさまには、心底ひれ伏したい気持ちになる。選択肢が増えれば増えるほど、フル3DCGゲーム世界の構築の労力は、天文学的に増えていく。それをやりきったのがこの『デトロイト:ビカム・ヒューマン』をいうゲームだと、僕は認識している。
「どちらの選択肢も正解にする」「《葛藤》した時点でプレイヤーは正解している」という鉄の意志を感じる作品だ。もし環境的に可能であれば是非プレイして欲しい。特に初見プレイでの不安感と、シナリオ分岐を見た時初めて知る圧倒的なボリューム感が忘れられない。金額以上の体験価値を与えてくれると思う――もしも、この『《葛藤》のデザイン』の話を気に入ってくれていれば尚更だ。
ここまでは成し得ないまでも、すべての《葛藤》の末の決断は、プレイヤー自身に「正解だった」と感じて欲しい。いつもそう思ってシナリオを考えている。
この正解/不正解については、「プレイヤーがどう感じるか」の方がウェイトは大きい。
二択の選択肢の「どちらを選んでも正解」だったと事後プレイヤーに感じさせてしまったら、自分の「選択」と《葛藤》に意味などなかった! と感じさせてしまい、大きな徒労感を与える。
「どちらも正解」という選択肢の選択は、「正解など無いクソ問題に向き合わされた」と憤らせてしまう。
あくまで《葛藤》した時点で正解。上記の例はその真逆で、《葛藤》したプレイヤー自身を否定させる形となってしまう。
プレイヤーの《葛藤》をこそ尊重するためには、こうしたデリカシーが必要になる。肝に銘じておきたい。
てなこってね、
「いやお前、『考えている』は良いけど、結果として一年半なんもしとらんやんけ!」が今回のオチっちゅーことでねひとつ。ケヘッ。
《葛藤》ってな泣きゲーや鬱ゲーにしか無いもんじゃないんだよってぇお話と、《葛藤》デザイン失敗例(like a トロッコ問題)、選択肢の当事者性、最後に《葛藤》の先へ、っちゅーこって、四段階のお話をさせてもらいましたけどね。
いやー考えちゃえば考えちゃうほど難しいのが創作活動ってなもんでね。それでも書きますけどね。だって遊んだ人に「面白かった」って言われたいからね。もっともっと。
\チクショウ来年は見てろよ!!/
ってなこって今回の話はお開きでやんす。
これずっと前から色んなとこで話してきた内容なんで、いつか書き遺しとかないとなーって思ってたんで、エイヤッと書けて良かった良かった。
いやー、マーダーミステリー作るのって、本当に難しいねぇ!
いやもうホント、ここまで読んでくれた子猫ちゃんにはもうね、オンセ鯖の宣伝とかする必要はないと思うんでね。そんくらいの人だと思いますんでね。今回はしませんけども。ええ。
・・・え?
まだいないの? オンセ鯖?
あの設立もうすぐ五年、6,300人ものマダミストが所属し、日夜いくつものセッションが公募されてて、何なら最近遂に案件も来たでお馴染みの、あのサーバーに、本当にいないの!?
もぉ! そういう事は早く言ってよね!
そんなドスルデェDiscordサーバーは、ここだよ!!!!
五年間居座って遊び続けてるツワモノも、今日配信でマーダーミステリーっていうのを見て! っていう初心者子猫ちゃんも、最近じゃUZUでいっぱい遊んだけどGMありでも遊びたくなってって子猫ちゃんも、たーくさんいて君を待ってるよ!
テストプレイ卓もバンバン立ってて、たくさんのシナリオがオンセ鯖を経由してくれたよ!
大丈夫、ここに来ればキミもきょうから仲間サ!
さっそく今夜からでも一緒に叫ぼう心から!
レッツ・マーダー!!
多分年内最後の更新かもね! 良いお年を! イケメンでしたッ!!
意外とまだ誰も語っていなかったマーダーミステリーにおけるプレイヤーの考え方・立ち回り方をまとめた怒涛の12000字!
勝利を呼ぶ五箇条があなたを後悔から救います!
お値段なんとたったの¥300!! ハーゲンダッツひとつ分くらいの値段で今日から君も強者になろう!
そして叫ぼう心から、レッツ・マーダー!!












