重松清氏の小説の話ではない。

 

今から13~4年ほど前、NHK総合テレビで1年ほど放映されていたTV番組の話である

視聴者から懐かしい思い出話と、それにまつわる歌を募り、思い出部分を毎回違った漫画家がカラー漫画にし、エピソードとして紹介する内容であった。

Wikipediaにも放映時間は載っていないが、夜10時45分から始まる15分のミニ番組だった。

漫画家によって絵柄は大きく異なるし、取り上げられる歌も、明るいのや切ないのや色々だが、やはり青春のほろ苦さ、哀しさが感じられる回が個人的には印象に残った。

エピソード、歌、絵柄、この三者がピタリとマッチした時、何とも言えぬ切なさを覚えたものだ。

 

最初に魅かれたのは、まだ暑さが残る9月の、沢田研二の「時の過ぎゆくままに」の回だった。

投稿者は女性。確か中学時代の憧れの若い女性の先生の家へ遊びに行った時に聞かせてもらった歌がこの歌で、卒業後、数年経ち、その先生が病気で家で療養しているときいて見舞いに行くと、浴衣姿の弱々しさを感じさせる姿で先生は迎えてくれた。

その時も聞かせてくれたのが「時の過ぎゆくままに」

…大人への階段を上りかけている「私」は、この歌と先生に、まだ見ぬ大人の世界への期待と少しばかりの不安を抱いた。そんなエピソードだったように思う。

 

**********

 

翻って私自身にとり、「あの歌」は何だろう?

そう自問した。

人生の節目、転換点、或いは黄金時代を象徴する歌は幾つか思い当たる。

だがその時頭に浮かんだのは、渡辺美里の「マイ レボリューション」であった。

 

全国指折りと、これだけは自負できる超難関高に入ると同時に、今度は大学受験へのレールが敷かれ、今度はそこに向かえという不文律があったが、生徒たちの自主性に任せるといえば聞こえはいいが、「君たちは優秀だから」と妙な買い被り方をされ、その実手抜き授業を繰り返す無責任な教師の授業にすっかり嫌気がさした。おまけに無責任教師は母親たちに「女、ギャンブル、アニメに嵌まらなければ大丈夫」とのたまい、それを真に受けた母から、当時「キャッツ・アイ」や「うる星やつら」に傾倒していったのを咎められ、余計に反感を抱く。

幼少期からの趣味であった鉄道は、この時期、国鉄の末期で、妙ちきりんな改造国電やジョイフルトレインが乱発し、それまでの重厚長大さが失われ、ずっと買い続けていた「鉄道ファン」という雑誌も買うのをやめるなど、何をやっても詰らないと感じ、成績は下がる。授業をサボることを覚え、周囲から不良扱いされる。

随分と荒んだ気持ちでいたものだった。

年が変わり、高3が近づくと、流石に大学受験を意識し始めたが、何からどう始めたらいいのかわからず、苛立ちが募る。焦りと不安だけが嵩んでいった。

 

そんな年の春、ヒットしたのがこの歌だった。

「マイ レボリューション」勝手に“自分革命”と直訳し、兎に角がむしゃらに荒っぽくてもいい。緻密でなくてもいい。ひたすら目の前に迫りくる難敵に立ち向かい、蹴散らさねばならない。

自らを精神的に無理やりに鼓舞し、手前味噌だが、なりふり構わず猛勉強を始めた時の、テーマソングとして、この歌が何度も何度も頭の中で流れたのだった。

余談だが、この歌を作曲したのは小室哲哉である。

TKと称される前、更にはTMネットワークの「GET WILD」で大人気を博すよりも前の仕事である。今でこそ悪く言われ、すっかり時代遅れのように扱われる氏だが、人の心を揺さぶるものを生み出したことには間違いない。私は決して氏の仕事までも否定する気にはなれない。

 

暫く後、実際にこの番組でも「マイ レボリューション」が取り上げられたが、思い入れの強い分、失礼ながら、番組中で紹介されたエピソードは、自らのどん底状態から這い上がった経験に比べれば大した話ではなく、やけに軽っちいものに思えた。

だから、「時の過ぎゆくままに」を消してしまったことを悔やんだ後、レコーダーのHDDに気に入った回だけ残し始めていった中からも、「マイ レボリューション」は漏れている。

 

…まぁそんなことを思うのは、当の本人だけであって、私自身の“思い入れエピソード”も、シニカルな目で突き放して見てみれば、恵まれたお坊ちゃんのワルぶりっ子、遅れた“反抗期”でしかなかったのかもしれない。

だが、それでも、今でもあの前奏曲を耳にすると、当時の「まだ何者でもない」自分が、懸命に何者かになろうと、必死に正体のわからぬ「何か」への脱皮を試みてもがいていた頃の、不安と、そこに差した一筋の光のようなものに、訳知らずわくわくし、すがりつこうとしたことが思い出される。

そして、当時の気持ちのひとかけらが甦り、途轍もなく懐かしい気持ちになる。

「大丈夫、最善ではないかもしれないが、きっと何とかなるよ。」

当時の自分に語りかけてやりたくなる。

 

**********

 

そんな折、忘れられないエピソードに巡り会った。

オフコース「生まれ来る子供たちのために」の回である。

YouTubeで検索したら、奇跡的に、この回の漫画部分だけをアップロードして下さっている方がいた。

何年か前の深夜、それを見つけ、久しぶりに動画を再生してみたが、自分でも恥ずかしいほど、ボロボロと涙が零れ落ちた。

論より証拠。ご紹介する。

 

 

「夏子の酒」の尾瀬あきら氏の手による、内省を怠らずどこまでも誠実に患者と向き合う若き研修医の人柄。

心の奥底で死を覚悟しながら、辛さを表に出さず明るく気丈に振舞う若き女性患者の清冽な生きざま。

手元に残った「あの歌が聞こえる」の8回分のエピソードを録ったDVDを探し出し、見返してみた

恋人との別れ、大切な人との死別。

そんなエピソードがやはり心に残る。

だが、この回は特別だ。

何というか、この世に生を享け、今、こうしてものを考え、感じていること。それも命あってのことなのだが、その命もやがて尽きてしまう。

どんな偉い人も、どんな目立たない生き物も、全ての生命はいつか尽きる。

そしてまた新たな生命が誕生する。

生と死の営みの連鎖。

そうした深遠で哲学的なものを感じたのであった。

 

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今、コロナ禍で、普段ならどんなところへ出かけよう?何をしよう?

そんな当たり前の日常が、根こそぎ失われ、多くの人が普段と違う連休を過ごしていることだろう。

そして、予想だにもしなかった命が、予想だにもしないタイミングで、突然失われ続けている。

人との接触を意識せず、楽しく過ごせた日々を、この歌の「あの頃」になぞらえ、「あの頃に帰りたい」などとチープで甘えたことは毛頭言うつもりはない。

人の生死を嫌でも意識し、覚悟せねばならぬ今、命の重みというものを考え直してみる意義がある。

 

そして、今日はこどもの日。

最初に敢えて反感を買うことを書くが、私は子供が嫌いだ。

可愛いと思うのは赤ちゃんの時だけ。

後は「きぃ~~~~~~っ」と奇声を張り上げ、所構わずドタドタと地団太を踏み鳴らし、騒ぎ立て、喚き、泣き散らす。

そんな奴らを可愛いなどと思えるほど、私の心は大らかではない。

それにも増して、そんな無節操な奴らを生み、育てているというだけで、偉いもののように傍若無人で身勝手に振舞う、優遇されて当然と思いあがる、社会性を欠いた、子供の親たちがもっと嫌いだ。

「子供が大事」などと口ではのたまいながら、ベビーカーに乗せたまま目も配らず、何がそんなに大事か知らないが、スマートフォンばかり見ている今どきの親の大半がものすごく嫌いだ。

どうせ子供のご機嫌伺いばかりして、碌に躾もせず、勝手放題なのだろう。

そんな無法連中を「社会の宝」だなんて絶対に思えない。

碌な躾もされない者が、身体だけ大人になっても、年金を収め、巡り巡って自分の年金を担ってくれる層になるとは思えない。

いずれ年金制度は先細りあるいは崩壊に至ることだろう。

私はそう悲観している。

 

…そんな私が敢えて言う。

子供を持つことになったのならば、せめてこの社会に於いてやっていいこと、悪いことをきちんと教え、少なくとも成人するまで、食事を与え、危害を加えず、守ってやらねばならない。

虐待なんてとんでもない。

生んだ以上、責任をとるべきだ。

 

この連休中、巣籠り生活のあおりで、萩尾望都の「残酷な神が支配する」を読んでいる。

「海外が舞台のサスペンスもの」程度の認識しかないまま、読み始めたのだが、主人公の少年は、母親の再婚相手の富豪即ち義父に、実は夜な夜な歪んだ性的欲望の対象にされ、虐待どころか蹂躙され続ける。

そして少年は、夫を善人と信じ切っている母親が、捨てられてしまうのを恐れて、母親にも誰にも、自分のされていることを訴えられず、一人、義父の鞭に耐え続けている。

 

…こんなことをするのは人間だけだ。

どんな他の生き物だって、子育てこそせず、放置するものはあれど、知能が増せば増すほど、子を庇護し、食べ物を与え、一人になっても生きられる知恵を授ける。

 

特別優秀でなくてもいいではないか。

良識ある、まともな人間に育てあげる責任が親にはある。

こんなことを記すと、やれ、周囲の大人が無関心だとか、親だけで育てるのは大変だとか、挙句の果てにはカネがないとか、抜かすか思うかする奴らが出てくると思うが、甘えるな。

この世に生を享けた以上、誰にも、どんな生き物にも、生を全うする権利があり、自らもそれを維持する義務がある。それが言い過ぎならば、維持する最大限の努力をする必要がある。

 

今、この瞬間、生命を授かっているということの有難味を今一度再認識してみてもよい。

生きたくても生きられずに生命を終える人だって生き物だって大勢いる。

これまで当たり前だと思ってきたことが、当たり前とは決して言えない今だからこそ、そして今日がこどもの日だからこそ、この長話を綴った意義がある。

否あってほしいと願っている

 

以上、敬称略。

前回の続き。

 

「志村けんのだいじょうぶだぁ」は、丁度大学受験を控えた頃に始まった。

時間帯こそ違うが、月曜夜フジテレビ。

「良い子 悪い子 普通の子」を思い出させた。

尤も「だいじょうぶだぁ」は夜8時からの放映で、だからこそ大学受験期にもかかわらず、夕食後、あるいは遅い夕食時に、そのまま見ることができたのだと思う。これがもし「欽ドン」と同じ夜9時からだったとしたら、多分見れていなかったかもしれない。

「じいさんばあさん」が最初に来ることが多かった。

じいさんは勿論田代まさしで、ばあさんが志村けんである。孫娘が松本典子。

3人がコタツに入っており、「じいさんや」、「ばあさんや」をかぶせてくるところから始まる。爺さんが懸命に話を元に戻そうとするのだが、婆さんがどんどん話を脱線させていき、爺さんがツッコミを入れる。

お決まりの脱線パターンがあって、昔のヒット曲の替え歌が飛びだすというのがお約束。

「ボケにしないでよ!ジャカジャン!」

「ウッソバイ、ウッソバイ、ウッソ バイバイバイ」

「にっちもさっちもどうにもブルドッグ、バウッ!」

「とぼけた顔して ババンバーン バンバンババババ ババババーン」

「だ~れのせいでもありゃしない~ みんなおいらが悪いのさ~

チンポコチンポコリ~ン チンポコチンポコリ~ン」

 

そして締めは

「アハハ、ウフフ、エーヘヘのオーホホでダッフンダ!

僕らの合言葉はダッフンダ!

それでは皆さんまた来週 (ばうっ)」

というものだったが、志村けんの訃報を機に、ちょっと家探しして、昔ファミリー劇場でやった録画DVDを見つけ、初期の回を見てみたが、最初期は「アハハ、ウフフ…」はなく、松本典子が祖父母が死ぬ話をさりげなくして、爺さん婆さんが「まだ生きてるよっ!」とツッコミを入れて終わっていたことを知り、驚いた。

 

「だいじょうぶだぁ」は前半ショートコント、後半は「クイズなんだろな」→ゲストの歌→「人間ルーレット」の流れとなる。

 

「クイズなんだろな」は、志村けんらが「なんだろな」と客席に問いかけたら、客席が「何でもねぇよ」と答えるのがお約束であった。

いわゆるドッキリビデオで、仕掛けられた人たちの可笑しな反応を面白がる中、最後の人がどんなリアクションをとったかを出演者4人に当てさせるというもの。

番組中盤頃から、解答時限が近づくと、急かすような効果音が「ポッポン ポ ポッポン」と流れ出し、最後は「チーン」と鳴って、志村けんが股間を突き出すのがお定まりとなった。

 

「人間ルーレット」は、会場から抽選で1組(4人で1組だった)が選び出され、初期は出演者による間違い探しクイズによって当たった回数分だけ挑戦権を与えられるというものだった。後に間違い探しクイズはなくなり、挑戦も1回のみになったと思う。

ルーレットマンという、端がくるりんと丸まった髭のおかしな扮装をした兄さんが中央に縛りつけられ、更に外周の商品名を記したリングを田代が回し、スイッチを入れると、ルーレットマンが縛られた内周が逆向きに回りだす。

「♪ツッツクツッ だいじょうぶだぁ」と勢いよくラップ調で曲が始まり、「ル~レットマ~ン!」とルーレットマンが叫びながら、ぐるぐる回転する。

録画したDVDの初期回を見てみると、ルーレットマンの叫び声が、馴染みあるのとは違い、「ルーレットマン!」「マ」「ン」の間が詰まっていて、まだまだ試行錯誤中という印象である。

壇上に上がった挑戦者グループが最初のスイッチを押すと、内周の円盤が止まる。ルーレットマンが真っ逆さまで止まると、良しとされた。

やがて「だいじょうぶだぁ」は低速再生になってゆき、外周のリングも回転速度が遅くなる。

いわば「特賞」は「ケンちゃん賞」で、ハワイ、グアムなどへ4人全員行けるというもの。他にもダイヤモンドリングや、豪華グッズ(ベルト、鞄など)、8ミリビデオカメラ、ビデオデッキ、スクーター、ウォークマン、腕時計などがあったが、いわゆる「スカ」はタワシ1年分やトイレットペーパー1年分だったが、トイレットペーパーになると、志村けんの裁定でウォークマンなどをつけてくれることもあったようだ。

 

この番組のメインとなるコントは、それこそ一つ一つ挙げていけばキリがないが、やはり筆頭格は「変なおじさん」であろう。

石野陽子(現いしのようこ)ら若い女性が集まる場所に、教師やコーチ、医者のふりをして平然と入り込み、女子たちに抱きついたり、口をつけたジュースを間接キッスで飲んだり(目を見開いて輝かして、真顔になって一気飲みするのがおもしろい!)する内、本物の教師らが来て、

「どうしたんだ!」

「このおじさん変なんです」

「何だ君は!?」

「何だチミはってか!?」

(相手(田代まさしや桑野信義)に、「あっあっあっあっ」とすがりついて、「えいっ」と袖にされるのがお約束)

「そうです、私(ワタス)が変なおじさんです」

「♪変なお~じさん 変なお~じさん

変なお~じさんだこりゃ 変なお~じさん」

大概、片手を上方に突き出し、もう一方をシュタッとそれに向ける動作の踊りをする中、たまに後ろを向いて、お尻をくねくね振るのが大好きだった。

最初は唖然とする周囲が、段々落ち着きを取り戻し、変質者を見る目になってくると、唐突に目を真ん中に寄せ、「だっふんだ!」というと、ガラスが割れる音がして、周囲がズッコケるというもの。

一度、夏の放映で、縁日でお面がいっぱい並べられている中に変なおじさんが混じっていて、お面を選ぶ女性を驚かすという趣向があった。

あれも腹を抱えて笑ったものだ。

 

他にいくつか思いつくまま挙げてみる。

 

「おハナ坊」といって、知的障害なのかなー?と思わせるそばかすだらけの女の子(石野陽子)が、「♪おハナ坊~おハナ坊~」と一人で歌を歌い、突飛な行動に父ちゃん(志村けん)が振り回されるというもの。Wikipediaによると、母親は買い物に出かけたきり帰ってこないという設定だった。

障碍者を差別しているというクレームが付き、割とすぐなくなってしまったのは惜しかった。

 

「デシ男」も、如何にも志村けんらしいコント。

志村演じる、「デシ、デシ」が口癖の、恐ろしくうすのろな男が、田代まさしらに「あれやれ、これやれ」と指導されるのだが、すっとこどっこいな失敗ばかり繰り返し、例えばビヤホールの店員では、継がれたビールを運ぼうとしてズッコケて、ビールを客に全部ぶっかけてしまうような失敗をやらかし、最後はクビになる。

 

柄本明がゲストに出ると決まって出てきた芸者ネタ。それと柄本がレンタルビデオ屋でこっそりアダルトビデオを借りようとしたら、店員が志村演ずるボケた婆さんで、わざわざ大きな声でタイトルを読み上げちゃうコント。

 

中期以降だったと思うが、「ウンジャラゲ」、それに「パイのパイのパイ体操」。

「パイのパイのパイ体操」は、「ママとあそぼうピンポンパン」のパロディで、かつての「みごろ!たべごろ!わらいごろ!」でも、秋野暢子を迎えて「ピンピンピン体操」というのがあったが、こっちはちょっとエッチである。

体操のお兄さん(志村けん)と、お姉さん(石野陽子)が、お互いに他の出演者を従えて男女の組に分かれ、男側が「♪パイのパイのパ~イ」と女性チームの胸を触る仕草をすると、お返しに女側が「♪チンチロリ~ン」と、今度は男性チームの股間を下から撫で上げる仕草をする。

 

エッチネタといえばこんなのもあった。

松本典子が彼氏役の田代まさしの行動を、「エッチなことされるのかしら。も~!まさしったらっ!」って感じで、どんどん勝手に妄想を膨らませてしまうのだ。

同じフジテレビ放映ということもあってか、このネタでは決まって、TVアニメ版の「めぞん一刻」のBGMが流用されていたし、他のコントでも結構「めぞん-」の面白曲が随分流用されていた。

 

少し後の方になると、シリアスな話が展開していたのが突然、都はるみの「好きになった人」になり、出演者が皆盆踊りを始めるというのもあった。

 

Wikipediaにも載っていないコントで、当時すごく好きだったのは、志村けんがおかまの美容師に扮するネタである。

志村はオーナーか先生の役柄であり、弟子(デシではない)に、女言葉で教えようとするのだが、すぐヒステリックな裏返った声で、「小池っ!」、「小池っ!バカタレが!」と連呼するのだ。

短期間で消えてしまったのは、多分「小池さん」がいじめられるというクレームが来たからではないかと思っている。実際にスタッフか誰かに「小池」という人がいたのだろう。「天才バカボン」の、ラーメンが大好きな小池さんとは関係ないと思う。それともポテトチップスの「湖池屋」がもしかしたらスポンサーになっていて、物言いがついたのだろうか?

 

最後は、オチのないしみじみとした人情噺。

Wikipediaによると「シリアス無言劇」というのだそうで、そこにも紹介されているように、しみじみとしたBGM(宗次郎なのだそう…)をバックに、主に志村けんと石野陽子が夫婦を演じ、ところが誤解から夫婦にすれ違いが生じ、仲たがいして別れる。志村演ずる夫が、妻の本心に気づいたときは遅かった。妻は不幸な死を遂げる。

あるいはその逆に、妻が出奔し、夫が一人で子育てをし、苦労の末、一人死に絶え、妻と生きて再会を果たせず。

長年連れ添った妻を亡くし、一人残された老人が、妻の遺体を背負って海に入り、そのまま入水自殺を思わせる。

…などなど。

他のコントでも、志村けんと石野陽子は夫婦役を演じることが多かった。

特にこの「シリアス無言劇」では、息の合った夫婦役が欠かせなかった。

当時、その内、2人は結婚するのではないか?と思いながら見ていた。

それほどぴったりと息の合った夫婦役だった。

 

当時、大学受験~大学生だった私は、お笑いを見ているのに、どうして時折こうしたオチも笑いもない異質とも見えた人情噺を入れるのか?と訝った。

今にして思えば、人を笑いものにするのではなく、自分が笑いものになろうとした志村けんの、あれは普段おちゃらけたコメディアンの裏に秘めた、真面目で秘めやかな思いの現われだったのではないかと思えるのである。

 

素顔は照れ屋で生真面目で、もしかすると神経質な人だったのではないかと私は思う。

「♪カラスの勝手でしょ~」と替え歌を作り、当時のPTAから槍玉に挙げられたが、晩年の「天才!志村動物園」では、動物好きで優しい、ちょっと照れ屋な志村けんの素顔が垣間見えた気がした。

 

この「天才!志村動物園」では、嵐の相葉雅紀に目をかけていたという。

番組は「志村」の名はそのままに、相葉雅紀がMCを受け継ぐという。

惜しいことに、4日の2時間スペシャルは見逃してしまった。

相葉雅紀に限らず、志村けんは、「だいじょうぶだぁ」の田代まさし、桑野信義、後のダチョウ倶楽部の特に上島竜兵など、自分の後輩に随分目をかけ、取り立てる傾向があった。

それだけに“愛弟子”の田代まさしの、薬物使用による逮捕には、心を痛めていたことだろう。

 

「志村けんのバカ殿様」も今となっては歴史の長い番組となり、改変期の度に、少し遅れて今でも新作が放映されそうな気がしてならない。

「バカ殿」は、あの真っ白なメイクに海苔みたいな分厚い眉、おちょぼ口に紅をさした志村けんの姿がとにかく滑稽でならないが、桑野信義のクソ真面目な家老、何かと殿さまにツッコミを入れる田代まさしの側用人が両輪でいた頃が懐かしい。

そして、やはり初期のエッチなすごろくが面白かった。

ところどころにお風呂があり、胸も露わなAV女優が扮した腰元が湯船に浸かって「おいでおいで」をしている。

そのお風呂に当たり、おっぱい丸出しのお姉さんと混浴できる時の「バカ殿」の嬉しそうな顔ったら!!

1990年代後半頃から、TV業界全体に、自主規制の流れが強まり、かつては女性の胸は2時間ドラマでも欠かさず出てきて、幼少期には母の掛け声とともに、両手で顔を覆い、その実、指と指の間に隙間を作って、こっそり濡れ場を見るというのが密かな楽しみ(?)だったのだが、「ワースト」とか「俗悪」とか、誰が何と言おうとも、子供というものは見たいものは見たいし、興味あるものは興味をもつ。それを大人の都合で、封じ込めようとしても無理だろう。個人的にはそういう適度にエッチなネタを小出しにして慣らしていったほうが、却って良識や節度が身に着くのではないかとさえ思っている。

 

覚醒剤だってそうだ。

私が子供の頃は「西部警察」で時折、ヤク中のホステスが豚箱に入れられる場面が出てきた。ホステスのミニスカートをゲンがまくり上げると、太ももに痛々しい黒い点々が無数にある。

それでヤク中と判明し、留置場へ入れられるのだが、禁断症状が出た時の苦しみようはひどいものだった。あれを何度も見て、「間違っても麻薬に手を染めたりはしない」と思ったものだ。

臭いものには蓋ではなく、寧ろ見せたほうが生々しい記憶となって刷り込まれることもある。そう思えるのである。

 

鉄道趣味人としては、「バカ殿」といえば、東京に越してきて以来、縁の深い西武鉄道で、地下鉄乗り入れ用に製造された6000系電車を思い出さずにはおれない。副都心線直通対応改造が施された際、前面のFRPがそれまでの銀色から白一色に改められた。

その姿に、鉄道趣味の世界では、誰からともなく「バカ殿」という愛称(?)がついた。それまでは車体色と同じ、バランスの取れた銀色だったのが、いきなりまさかの白一色。誰がきいても納得するあだ名だと思った。

 

 

志村けんの笑いは、繰り返しになるが、決して他人を笑いものにしたり、馬鹿にしたり、ましてや素人を肴にしたりするものではなかった。

実は真面目で、シャイな素顔をコメディアンという姿で覆い隠し、自らがすっとぼけた馬鹿(…といってしまうと語弊があるかもしれず、うすのろ位が適当なのかもしれない…)を演じ続けることで、寧ろ人から指をさされて笑われ、笑いものにされるのを良しとしたのではなかったかと思う。

馬鹿を演じる芸人が、売れてくると、実は俺はかしこいんだよと文化人を気取ってみたり、馬鹿を演じる機会を減らしていったりする人が多い中で、志村けんは最後の最後まで、その存在だけで笑われることに徹した稀有なタレントだったと思う。

 

少なくとも我々視聴者を不愉快にさせたり、不幸にさせたりする笑いではなかった。(PTAからは相当目の敵にされたようではありますが)

だからこそ、今も「志村けんさんありがとう」という趣旨の追悼番組が続くのではないかと思っている。

 

志村けんの早すぎる死が報じられた日の夜、政治家たちが、「身をもって新型コロナウィルスの恐ろしさを伝えてくれた」と、まるで自分たちの政治的伝達に都合の良い出来事として引き合いに出しているのを目にするにつけ、彼らのこじつけというか、身勝手さというか、ご都合主義というか、とにかく浅墓さを感じさせられたのであった。

そんなことはわかっているんだよ。

志村けんが、幾ら過去にヘビースモーカーで肺炎を患ったことがあったとはいえ、こうもあっさりと命を奪われてしまうなんて…と、有名人の中でも知名度が抜群に高い人だっただけに、新型コロナが尋常ではないことに気がついた人は多いはずだ。

そんなことをいちいち会見で言わなくてもいいではないか。

有名人なら、政治家のしもべなのか。

最後の最後に道具みたいに引き合いに出されて、

ただ悼むでは駄目なのか。

 

今も、外出自粛要請は続いている。

新聞の投書や、Yahoo!ニュースのコメントの多くに寄せられた、志村けんの笑いの同世代人の言葉のほうが、よほど氏がもうこの世にはいないということの哀しみや喪失感を如実に伝えているように思える。

 

物心ついた頃から慣れ親しんできたお笑いタレントが、突然この世を去ってしまったことに対し、ぽっかりと心に穴が残ってしまった気持ちだ。

親より若い、小学生時代にどれだけ真似したかしれない人が、いきなりこの世を去ってしまったことが未だ実感し難い。

今でも、この騒ぎがいつしか終息に向かった頃、「だいじょうぶだぁ」と、いきなり元気な姿でひょっこりTVに出てこないかな…と思ってしまう。

発掘した「だいじょうぶだぁ」の100枚以上あるDVDを、何年かかってもいいから、じっくり見返し、思い切り笑おうと思っている。

それが、志村けんさんへの一番の供養に思えてならないからである。

 

お笑いビッグ3と呼ばれる、タモリ、たけし、さんま、このいずれが亡くなったとしても、志村けんに対するような思いは、恐らく抱き得ないだろうと思う。

 

 

幼少期から変わらぬ笑いを有難うございました。

志村けんさん、貴方の笑いは、我が家の団欒の歴史そのものだったといっても過言ではありません。

どうぞ、安らかにお休み下さい。

 

(以上、一部除き、敬称略)

話題としては既に古いのかもしれないが、やはりこの人のことには触れておきたい。

 

新型コロナ禍のせいで、行きつけの映画館が逸早く閉まってしまうわ、週末の外出自粛要請のせいで、出かけるネタがなくなるわで、食い物の買い出しにわざと遠出をして、退屈を紛らしたりしている。

この前の金曜には、職場の仲間と焼肉会を強行しようとし、“焼肉屋は換気がいいから大丈夫だぁ”などとうそぶいていたのだが、言い出しっぺの大の飲み会好きの姐さんが、自ら自粛を申し出、お流れとなった。腹いせ(?)にその日の帰り、安い肉を山ほど仕入れ、家で焼肉会を敢行。6パックで力尽き、もう当分肉はいいや…と、こちらの肉欲(…と書くと、全く別の意味になりそうですが…)は、ひとまず十二分に満たされたのであった。

 

このコロナ禍の尋常ではない感は、終わりが見えず、拡大の一途を今も辿っているところにある。

とりあえず、今のところ幸いうつってはいないらしい。

3月に激しく咳込むことが増え、一時期「これはヤバイのでは…?」と思ったが、熱もないし、倦怠感もない。食欲は旺盛で、味覚はしっかりある。

というわけで、元から暖冬だったのが、少し暖かくなり、どうやら明け方に布団から肩を出して寝ていたようで、目覚ましが鳴る前に、寒さで目が覚める日が続いた。すなわち、寝冷えによる風邪のせいだろうとタカをくくっている。

 

自分が元気だから、「その内収まるさ。」、「外国帰りや年寄りや持病持ちがかかるんだ」と、どこか対岸の火事のように思っていた。

事実、最初は東京ではあまり感染者が広がった話は聞かず、大阪でライブハウスに行った連中が感染したという話を読み、元々そっち方面の趣味が薄い自分は、「アホが、唾の飛ばしっこする狭い場所に飛び込みおって…」などと思っていた。

今にして思えば、東京での感染が報じられだしたのは、オリンピック延期が決まってからのことである。

オリンピックを強行するために、“東京はコロナ被害が少なくて安全”とIOCにアピールしようという、意図的な情報操作、隠蔽工作を疑わざるを得ない。

前にも記したように、元々私はオリンピック反対論者なので、巷で言われるようにオリンピックを第一にも、最優先にも、楽しみにさえ思っていない。

得体のしれない外国人が大挙して押し寄せ、ただでさえ人の多い東京を一層混乱に陥れるどころか、例えば京都にも今年は行けないな…などと迷惑に思う気持ちしかない。

だからオリンピックのために、東京のコロナ禍を隠していたのだとしたら、とんでもない話だと、多分人より強く思っている。

「東京では騒ぎは大きくはならないさ。」

「夏にはオリンピックをやらなきゃいけないから。」

「オリンピックのために、コロナも収まってくれるさ。」

そんな楽観論を東京人に植え付けたのは、他ならぬオリンピックだったのではないかと思っている。

 

そんな根拠なき楽観論に対し、最初に「おやっ?」と思わせたのは、志村けんが感染したと報じるニュースだった。

「今じゃ結構な年のはずだしねぇ…。」

「ものすごいヘビースモーカーだって話だしねぇ…。」

「まぁその内治ってくれるだろう。」

そんなことを思いながら、時折Yahoo!ニュースを見ていたが、意識がないと書かれていて、意外に重症なのか?と思い、「峠は越した」という記述を読み、一安心。

その矢先に、突然「志村けん死亡」の文字が。

嘘でしょ…。

それが最初の偽らざる思いであった。

だって、いかりや長介はリーダーで最年長だし、仕方ないとしても、高木ブーだって、仲本工事だって、カトちゃんだって、健在じゃないか。

何で飛びぬけて年の若い志村けんが先に死んじゃうんだよ。

他のメンバーが旅立っていくのを見送って、最後に志村けんが生き残るものだとばかり思っていた。

それがいきなりである。

 

物心ついた頃には、既に志村けんをTVで見ていた。

まだ関西に住んでいた頃、親が志村けんのことを“見習い”と言っていた微かな記憶がある。

「8時だヨ!全員集合」の後、「Gメン75」を見ようと頑張っているのだが、既に布団を敷いていて、いつしか眠り込んでしまうのがお約束であった。

その後、東京へ越し、夜7時から「まんが日本昔ばなし」→「クイズダービー」→「8時だヨ!全員集合」へと流れるのがお決まりのパターンであった。

志村けんの印象も、最初は一人だけ若い人がいる、というものだった。

 

「8時だヨ!」の最初のコントが始まると、いかりやの「オイッスー!」という掛け声から始まる。客席の子供たちが「オイッスー!」と元気に答えるのがお約束であった。

志村けんは加藤茶とともに、ボケた子供の役柄で、いかりや長介に叱られてばかりいたイメージがある。

そんな志村けんが俄然存在感を増してきたのは、番組中盤の「少年少女合唱隊」のコーナーであった。白いベレー帽を被り、白いスモックを羽織った出演者たちが童謡を真面目に歌うのだが、やがてそこから脱線し、志村けんが暴走。

「東村山音頭」はこのコーナーの派生で出てきたものであった。

「♪東村や~ま~ 庭先ゃ多摩~湖 狭山茶どころ 情けが厚い…」

と「4丁目」はまともだが、次の「3丁目」の

「♪チョイとちょっくら来いと チョイと来てね」

あたりから、段々怪しくなり、最後の「1丁目」になると

「♪ワ~オ 1丁目 1丁目 ワ~オ…」

と志村が絶叫し、バレエ「白鳥の湖」のチュチュの股間に白鳥の頭が生えた姿が可笑しくて可笑しくて…。

その次に一時期流行った、志村けんが婆さんの恰好で、婆さんの人形を手に、激しく踊りながら、合いの手に「ア~ア」とすっとぼけた声を入れる。

Wikipediaで調べてみたら、「ディスコ婆ちゃん」というのだそうだ。

 

親の仕事の都合で東京へ越してきたのは1976年秋のことで、当時虫取りに明け暮れていた私は、泣いて嫌がったものだが、東京には色んな電車がいっぱい走っていると親になだめすかされて、渋々東京へやってきた。

想像の東京の住まいは、ビルが道の両脇に林立し、幹線道路沿いの何故か1階は八百屋。店の脇の黒い鉄階段をカンカンと上がり、2階の住まいへ入る。窓をちょっとでも開けようものなら、車の音と、排気ガスで耐えられない。仕方なく窓を閉め切ると、部屋は薄暗く、外へもおとおち遊びに出られない。

…そんな光景を浮かべていたが、東京の住まいは、田んぼこそなかったが、思ったより畑が多く、想像していたよりもましに思えた。

 

翌年春にはクラスも変わり、その頃には東京にもすっかり慣れたのだが、テレビの効用も計り知れない。

「8時だヨ!」は相変わらず見ていたが、毎回テロップで、少し先の公開生放送の観客募集告知が流れる。

渋谷公会堂だと、家族総出で、それぞれチラシの裏などに宛先などを書き留め、後で足りない部分を補い合って、応募葉書を出した。

我が家も2度ほど当選し、その頃父は土曜日も仕事だったが、夕方渋谷で待ち合わせ、レストランで夕食を摂り、渋谷西武などで時間をつぶしてから、渋谷公会堂へと向かった。

 

丁度、「ディスコ婆ちゃん」が流行っていた頃だったと思う。

コーナー終盤で、志村けんが、手にはめていた婆ちゃん人形を客席に放ってくれるのだが、あれが欲しくて仕方がなかった。

後に早口言葉が流行ったのも、この「少年少女合唱隊」だったと思う。

「ぶりっ子」と言われていた頃の松田聖子が出ていた記憶があるので、もうしばらく後のことだろう。

 

歌の後でまたショートコントがあり、私が関西に住んでいた頃は、カトちゃんの「ちょっとだけヨ」の印象が強いが、仲本工事の体操コーナーもここで、後の「ヒゲダンス」もここだった。

その頃、私は小学校高学年で、学芸会だか何かの催しものの時、皆で舞台から退場する際、ふざけてヒゲダンスのまねをしたら、見ていた母親から後で叱られた覚えがある。

 

正月2日に、家族で日劇へドリフの生舞台を見に行ったことがあった。

正面中央、前から2列目という、ものすごくいい席であった。

そんなに混んでいなかったと思う。

最初にドリフのコントがあった。

アイドル歌手の歌が挟まれるのも「8時だヨ!」と同じだ。

時折、出てくる女性アイドルに「アパッチ」という3人組がいた。

キャンディーズ人気にあやかれ、とばかりに、トライアングルなどこの手のアイドルグループは当時多数居た。

アパッチはその中では、ちょっとセクシーなお姉さん路線で、ピンクレディーの2人が「カルメン77」「渚のシンドバッド」で着ていた超ミニの、全体をラメであしらったワンピースを、アパッチも着ていた。

このテーマで、こんなことを書くのは不謹慎極まりないが、ほぼ最前列で彼女らの歌をローアングルから仰ぎ見る格好で見聞きすることとなったので、嫌でも衣装の下が見えてしまう。

それが見えてもいいものだと頭ではわかっていても、お姉さんのパンツを至近距離でまじまじと見るのは、ものすごく極まりが悪く、間違っても「わー、パンツ丸見え」などと口にできる雰囲気ではなかった。

正月の日劇のドリフの舞台といえば、個人的にはアパッチ以外の何物でもないのだが、家族間でなかったことになった話題をおいそれと周囲に話せるはずもなく、又、当時の私はものすごくまじめな優等生で通っていたから、そのイメージを壊すことは絶対にできない。子供ながらに見栄があった。

 

冬休み明けに、学校で休み中のことを作文で書いて読めと言われた。

勿論アパッチのことには触れずに、日劇のドリフの舞台を観に行ったことを書いた。

すると当時同じマンションに住んでいたクラスメイトの母親から、ウチの母がこう言われたそうだ。

「〇〇君(私のこと)、ドリフを観に行ったんですって!ワーストですよっ!」

 

ウチの母は平然としていたそうで、事実、我が家では「ワースト」と言われたお笑い番組を禁じられたことは一度もない。「8時だヨ!」と同じく、少し前に「ワースト」と言われていたお笑い番組に、「みごろ!たべごろ!わらいごろ!」というのがあった。

伊東四朗と小松政夫、キャンディーズらが出ていたのだが、小松政夫演じる政太郎が、キャンディース3人の悪ガキトリオのワリを食らい、いつも伊東四朗のお母タマにしゃもじでぶっ叩かれ、一人哀しみにくれる小松政夫。「しらけ鳥音頭」を歌いだす。

デンセンマンの電線音頭では、ベンジャミン伊東の「人の迷惑顧みず~」となぜかコタツにゴム長で上がって踊り狂う。

突然閃光と共に「ワーッハッハッハッハッ 遥か遠くニューギニアの火力発電所から100万ボルトの電線をひた渡り、やって来ましたぁ! そうです。私がデンセンマンです!」

そしてデンセンマンが今度は踊り狂う。

「♪チュチュンがチュン チュチュンがチュン

電線にスズメが3羽とまってた…」

「クレヨンしんちゃん」のアクション仮面登場シーンを見るたびに、デンセンマンを思い出しすのは私だけでしょうか?

子供心に、ニューギニアっていう国は、どんなに煌びやかな電飾の光輝く王国なんだろう?と想像に胸膨らませたものだ。

西田敏行の名を知ったのは、「おんな太閤記」ではなく、「もしもピアノが弾けたなら」でもなく、堺正章の「西遊記」の猪八戒でもなく、この「みごろ!たべごろ!」の「カバ大将」なのである。

 

話が脇に逸れたが、ウチの母は教育熱心なほうだったとは思うが、例えばカトちゃんの「うんこちんちん」を真似しても、叱られたことはなく、寧ろ面白がってくれるような人だったので、「あれを見ちゃいけません。これを見ちゃいけません。」と言われることなく、当時の人気お笑い番組を自由に見せてもらえたことに感謝している。

 

「ヒゲダンス」の少し前の頃だったと思うが、「からすの勝手でしょ」とか、「ぞうさん」の替え歌で「♪そうよ ち〇ち〇が好きなのよ~」(〇の部分、自主規制)とか、デタラメ英語でア~ミ~マ~、ユ~ヤ~ユ~、ヒズヒムヒ~、シ~ホ~ヒ~」とか、志村けんが流行らせたギャグは、「ワースト」の面目躍如たるものばかりだが、当時の小学生にはそれが面白く、みんなこぞって真似をした。志村けんの影響力は計り知れないものがあった。

 

あと、ついでに言えば、今ではすっかり定番になっている、ジャンケン前の「最初はグー」も志村けんが始まりであった。

 

「8時だヨ!」は終わりはいつも、「ドリフのビバノン音頭(いい湯だな)」で締めくくられる。

「♪ババンババンバンバン」の合いの手に、カトちゃんが、「宿題やったか」、「歯磨いたか」、「お風呂入れよ」、「頭洗えよ」、「風邪ひくなよ」などと言ってくれるのが嬉しかった。

当時、ハッカが大嫌いで、サクマ式ドロップスの缶で、バナナやパインだと思って白いドロップを嗅いだら、ハッカで、父に食べてもらったりしていた私は、ライオンのこども歯磨き・バナナ味だけがどうにか耐えられた。特にイチゴ味は辛くて絶対に嫌だと言っていた。

シャンプーが目に入らないよう目を閉じて、息を止めるのも大の苦手で、もっぱらシャンプーハットを被っていた。

それでもカトちゃんが言ってくれるのだから…と歯磨きも、洗髪も我慢してやった。

 

中学に上がり、当時のお笑いは「欽ドンの良い子悪い子普通の子」が一躍人気となった。

夜更かしの今では信じられないことだが、夜9時から始まる「欽ドン」の前に風呂に入り、歯を磨き、布団まで敷いて、パジャマで見終わったらそのまま寝ていた。

「良い子悪い子普通の子」は月曜放映だったが、元々「欽ドン」は土曜夜8時で、「8時だヨ!全員集合」と完全に競合していた。

その戦いを勝ち抜いた「8時だヨ!」だったが、今度はその「8時だヨ!」を脅かす番組が裏に登場した。

「オレたちひょうきん族」である。

1980~81年頃の突如として起こった漫才ブームの中で、一番人気はツービートであった。

当時ほどアイドルの勢力地図が大きく塗り替えられた記憶はない。

僅か数年の内に、松田聖子、河合奈保子、田原俊彦、近藤真彦ら新人アイドルが次々とトップスターに上り詰め、先に記した「良い子 悪い子 普通の子」からの派生で登場したイモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」がずっとベストテン1位だった。

ドリフのコントは、念入りに作りこまれたコントである。

「ひょうきん族」の中心はビートたけしで、その笑いは、即興的なものに思えた。

流行に敏感な当時の親友が、逸早く「ひょうきん族」に鞍替えし、「面白いから一度見ろ見ろ」とあまりにしつこく言うので、一度「8時だヨ!」をやめて「ひょうきん族」を見てみたことがあった。

確か茹でたタコの先っちょを婚約指輪に見立てたコントがあったと思うが、私はあまり気に入らなかった。

だから「ひょうきん族」は、もろに世代だが、その1回きりしか見ていない。

 

タケチャンマンとか、ブラックデビルとか、女子アナ(長野智子でしたっけ…?)の「懺悔」とか、この後フジテレビがひた走るバラエティ路線への舵取りの象徴のような、悪く言えば軽薄短小。ノリでかますようなお笑いや、いじめを想起させたり、他人をあざ笑う笑いがどうしても個人的には好きになれなかった。

後で「タケシムケン」という番組があったほどだから、志村けんとビートたけしは良好な関係なのだと知り得たが、個人的にはたけしの笑いは、たけし軍団らが熱湯コマーシャルなどで「あちあち…」と困惑するのを高みの見物を決め込んで物笑いにするイメージがあって、好きではない。

 

だから、これ以上、好きではない引き合いに出すのは申し訳ないのだが、素人いじりや横柄な素ぶりを感じさせるとんねるずはもっと嫌いである。

全盛期でさえ、ほとんどちゃんと見たことはない。

 

…さて話がネガティヴな方向に逸れてしまったが、80年代に入ると、一度、仲本工事と志村けんが、競馬のノミ行為で書類送検され、「8時だヨ!」の出演もしばらく謹慎処分となった。

3人で番組をこなさねばならず、一番人気の志村けんが抜けたドリフは物足りなく思えたが、逆にいえば、それでもよく持ちこたえたと思う。

そんな影響や、マンネリ化が囁かれ始め、視聴率が落ちてきた。

とはいっても、元々が40%とか30%とかだったのが、20%台に落ちたというのだから、今の基準とはまるで違う。今なら20%台ならお化け番組クラスであろう。

 

やがて高校受験を控え、テレビを見るのも大幅に減らし、いつしか「8時だヨ!全員集合」も見なくなっていたら、1985年に終わってしまった。

かつて「欽ドン」を廃止に追いやった「8時だヨ!」が、今度は「ひょうきん族」に負けて終焉に追い込まれてしまった。

残念ながら最終回は見ていない。

やはり高校受験を機に見なくなっていた「西部警察」が、同時期に最終回を迎えたが、「大門死す」のほうはしっかり家族で見たのとは対照的である。

 

ほどなくして「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が同じ土曜8時1時間枠で始まった。

加藤茶と志村けんという、ドリフの2大人気者のみに絞った番組で、冒頭はTHE DETECTIVE STORY」という探偵もの。

後半は、視聴者からの面白ビデオコーナーで、投稿画像を募る企画は、初めて見たと思う。

例えば幼児が立ち上がるのを喜んで写していたら、その子供が急にドテッと前からコケたら、ビデオカメラを回していた爺さんもコケちゃったとか、そんな内容が主だった。

今に至るyoutubeなどの走りといえるのではないだろうか。

確かTHE DETECTIVE STORY」の中だったと思うが、志村が、お得意の婆さんになって、3つつながりのデンデン太鼓を叩きながら、「だいじょうぶだぁ~」と妙な抑揚をつけて言うと、相手も同じように言う。

何だか新興宗教のような趣があったが、その3つつながりの太鼓が妙に可笑しくて、それが「志村けんのだいじょうぶだぁ」に発展していく。

 

字数制限に引っかかってしまったので、一旦打ち止め。

次回へ続く。

前回の続き。今回は甘いもの。

 

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からいも団子(味のくらや・宮崎県)(840円) 

今回初めて食べた。

蒸した薩摩芋(宮崎では唐芋というらしい)を混ぜてついた餅に、粒あんが入り、たっぷりきな粉をまぶしたもの。

あんこは甘すぎず、さっぱりと上品な味わい。

ボリュームたっぷりで、食べ応え十分。

店屋のおっちゃんの口ぶりでは、これまでも出店したことがあるようだったが、記憶にない。

きな粉好きとしては不覚。

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チョコマロン・4個入(北海道・六花亭)(519円)

「マルセイバターサンド」で有名な六花亭は、前半は専用ブースを展開していたが、後半も輸送で来ており、この品を見つけ、衝動買い。

これも初めて。

柔らかいココアスポンジでマロンクリームを挟み、側面をチョコレートで覆ったもの。

マロンクリームに練り込まれたラム酒がミソで、複雑な甘みと旨みが広がる。

2年半前の夏、久しぶりに北海道を訪れた際、この店の札幌本店でしこたまお菓子を送ってもらったが、この品はなかった。

多分冬季限定なのだろう。


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あんバタサン ・4個入(北海道・柳月)(600円)

これもお初。

噛むとホロリと崩れるクッキーで、あんこ入りバタークリームを挟んだもの。

あんこの甘みとバターの塩気のバランスが絶妙で、しつこすぎない濃厚な風味が展開する。

マルセイバターサンドとはまた違った世界。

昨年の朝ドラ・「なつぞら」で、革新的な和菓子屋が生み出した新製品のモデルは、この品だろうか?


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とろとろわらび餅・よもぎ・あずき各300g

(わらび屋本舗・大阪府)(各540円)

過去に何度か食べている。

その名の通り、とろりと柔らかいわらび餅である。

甘さ控えめなあずき味も旨いが、苦味がアクセントのよもぎ味がとりわけ美味。


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えがわの水ようかん(福井)(800円)

毎年リピートしている。

黒糖の入ったこしあんのさっぱりと上品な甘みが、えもいわれぬ魅力である。

福井県では、冬に水羊羹を食する風習があるらしく、羨ましい限りだ。

駅弁大会の直後に例年開催される福井物産展では、本品以外にも色々な福井県産の水羊羹が売られるが、私は結局これが一番のお気に入り。

柔らかいプラ製トレイは数多くの仕切りがあり、添付の木べらで掬うと、幅がぴったり。

ついつい欲張って、トレイをどんどん食べ進めてしまう。

遂に800円に達してしまった。

数年前は600円台だったのにねぇ。


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玉出木村家・パン各種


・ベネティアーナ・ハーフサイズ(518円)

クッキーみたいな甘いカリッとした生地の表面にアーモンドと砂糖が散りばめられ、中はオレンジがふんだんに練り込まれている。

オレンジの香りと、アーモンドのカリッとした食感がアクセント。

この店の看板商品。


ウィンナーショコラ(259円)

柔らかいパンをドーム状にチョコレートで覆い、中はカスタードクリームと、その下にもチョコレート。

チョココーティングは、この手の品では他に見ないほど分厚く、薄紙トレイのギザギザにまで覆い被さる。

このパンを食べる時は、皿を敷くか、ビニール袋の中で紙を剥がさないと、折角のチョコレートがボロボロと落ちて勿体無い。

チョコレート好きな甘党にお勧め。


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マロンロール棒(291円)

ロールデニッシュ・りんご(216円)

マロンロール棒(左)は久しぶりに食べた。

栗のシロップ漬けが甘くて柔らかいクッキーぽい生地に植わった中にも、マロンペーストの層がある。

このパンも甘い。

ロールデニッシュ(右)は、今回はりんご味。

他にも幾種類かフレーバーがあるが、りんご味が一番サッパリしている。

濃厚なバナナ味などよりも、近年の甘さ控えめ志向には合っているかもしれない。


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雪山パン(598円)

これも毎年欠かせない。

玉出木村家版シュトーレンといったところか。

たっぷりまぶった粉糖の中は、固めのスポンジが三角柱状。

中はドライフルーツだが、洋酒の味はせず、これなら子供も嫌がらずに食べるだろう。

チェリーがアクセント。

この店から出品される中では一番値の張るパンだが、シュトーレンだと思えば安い。

前に大将に聞いた話では、クリスマス時期に売り始め、この駅弁大会で終売となるとのこと。


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かくして今年の駅弁大会訪問はお終い。

結局、前半、後半各一回しか行かず、2ちゃんねるで話題になった弁当などは色々あったが、気になるものはある程度食べたつもりである。

リピートが大半を占めた弁当に対し、今年は寧ろ甘いものに初めて食べたものが多かった気もする。


駅弁を巡る環境は厳しいと思われる中、魅力的な味と巡り会える場として、色々な品をできるだけ紹介してくれる場であってほしいと思っている。

 

前回の続き。

買って帰った弁当のレビューである。

 

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うなぎとあなごのごはん (京都駅)(1,800円)

昨年は、鱧(はも)も入った“三重奏”だったが、今年はうなぎとあなごの2種類に絞られた。

鰻は香ばしい焼き加減。対するあなごは煮穴子。

タレのしみ込んだご飯が絶品で、食欲をそそる。

昨年同様、気の毒なくらい、客が寄り付かないが、矢絣模様の蓋、それを丁寧に紙テープで留め、自家製の割り箸にちゃんとした山椒がつくなど、弁当としての作りは良い。

昨年の記事で、不人気ゆえ、来年は来ないだろうと記したが、予想に反して1品魚は減ったものの、今年も再会できたことを喜ばしく思う。

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のどぐろとサーモンといくらの弁当(新潟駅)(1,530円)

ここ数年、毎年必ず食べている。

実演ブースでは、今年は初登場の「のどぐろとにしんかずのこさけいくら弁当」と併売で、店屋としてはそちらを推したいのか、チラシには「にしんかずのこ」が2週続けて載り、この弁当は完全にチラシから黙殺されてしまった格好だが、こっちのほうが好みなので、何を推されようがこちらの意思は変わらないのである。

高級魚・のどぐろの塩焼き、サーモンの漬け焼きの二大スターをメインに、いくらの塩気が味を引き締める。

炙りのどぐろよりも寧ろ特筆すべきは半生の漬けサーモンの美味さで、のどぐろだけだったとしたら、この弁当をこんなに気に入ることはなかっただろうと思う。

下のご飯が酢飯ではなく、茶飯なのもよい。

魚と実によく合っている。

八角形の容器に、盛り上がるように配された魚を見て、さぞやご飯の量が多いのだろうと思いきや、残念ながら、ご飯は少々上げ底。

それでもボリュームあり。

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・ビビンバ牛肉どまん中(米沢駅)(1,500円)

「牛肉どまん中」といえば、かつてはこの駅弁大会で長蛇の列を誇った超人気牛弁だった。

直球のネーミングが受けたのか、甘辛牛煮込みは細切れ肉とそぼろのみで、牛弁としては大したインパクトを感じず、個人的にはなぜこの弁当が突出して人気なのかよくわからなかった。

特に駅弁大会においては、目を引く新作が人気を集める。

特に牛肉弁当は、駅弁大会では毎年のように対決企画になり、例えば佐賀牛駅弁のように、値は張るが見た目も味もインパクト絶大な弁当が出てくると、相対的にこの弁当の地位が下がってしまったのかな…と思っている。

恐らくは、東京駅でいつでも買えるからというのも、近年この駅弁大会での不人気ぶりの大きな要因ではないかと思っている。

 

さて今年の新作「どまん中」は、ビビンバ弁当。

旧来の細切れ牛煮込みはすっかり脇へと追いやられ、代わりにビビンバと、その上に乗せられたピリ辛牛焼肉がとにかく目立つ。

更にコチュジャンが付く仕様だが、袋の中にあるのを忘れて使わないまま食べてしまった。

それでも糸切唐辛子のせいか、十分辛く、甘辛牛肉煮込の味を期待していると、裏切られた思いがするだろう。

 

ところで「どまん中」とは、この牛弁のことではなく、そもそもコメの品種名のことである。その意味では、すっかりビビンバ焼肉弁当に様変わりしてはいるが、これも「牛肉どまん中」の一種といえるだろう。

確かにこの弁当のご飯は美味しい。

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ぶりかまめし(富山駅)(1,200円)

駅弁大会へ行くようになって以来、唯一毎年欠かさず食べ続けている弁当。

2週目は実演ではなく、実演されているのは、新作の「源 令和のかがやき」のほうで、「ぶりかまめし」は輸送であった。

十分なサイズのぶりかま煮焼きは、骨ごと食べられて柔らかく、甘辛味に山椒を振りかけることもあって、さながら味は鰻のかば焼きのよう。

分厚く濃厚なぶりかまを受け止めるのは、ほんのり酸味を効かせた酢飯。付け合わせは甘酢生姜、わかめに、富山名産白えび焼と独特な脇役が揃う。

とりわけわかめの有難味をこの弁当では感じる。

わさび菜入りの酢飯も、濃厚で強烈なぶりかまがあればこそ、絶妙なコントラストを醸し出す。

尚、この駅弁は冬季限定だが、駅弁大会に限らず、京王百貨店地下でも買える。

以前は自社管内オンリーだったJR東日本直営の「駅弁屋祭」でも、北陸新幹線が富山に通るようになったせいか、冬季なら東京駅の店で買えるようになった。

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ながさき鯨カツとステーキ弁当(長崎駅)(1,404円)

以前は一度駅弁大会から姿を消していたが、数年前から再び毎年見かけるようになった。

前は後半のみのこともあったが、近年は通期で出店。実演販売されている。

 

今年は初登場の、鯨ステーキとお馴染み・鯨カツを相盛りにした駅弁がメイン。

従来の「ながさき鯨カツ弁当」も姉妹品として売られ、又、鯨カツも単品で売られている。

 

歌川国芳の巨鯨絵図をあしらった素晴らしい掛け紙が際立つ。

 

今回の鯨ステーキこそ、幼少期に何度も食べた懐かしの味だが、記憶に残る鯨ステーキはとにかく硬くて噛み切れず、指を口の中に突っ込んで、筋張った鯨肉を引っ張り出しては引きちぎって食べたものだ。

 

それに比べれば、この弁当の鯨ステーキは噛み切りやすく、随分と食べやすい。

売り子のおばちゃんから、付け合わせの緑色の液体はわさびダレで、辛いので気を付けてと言われたが、恐る恐るかけてみると、飛び上がるほどの辛味ではなく、寧ろよいアクセントとなった。

 

例によって鯨カツのほうは肉薄のペラペラだが、それでも鯨というだけで有難く、懐かしく感じる。

 

他にない独自性絶大な弁当として、これからも出店してほしい調整元である。

次回へ続く。