イケダムネオ人生学習帳 -32ページ目

イケダムネオ人生学習帳

「ことばは感情を変え、行動を変える。行動が変われば習慣が変わり、人格が変わる。人格が変われば、集まる人が変わり、ひとの運命が変わる。」  日々の気づきを言霊に託し、変えてみせます。私の運命。

4月21日、2日目。朝食、これもうれしい。欧米スタイルのブッフェ形式にパンが並んでいるが、その横にフォーもあった。フォーの作り方がわからないので、突っ立っていると、給仕の女性が、フォーを作ってくれる。日本の旅館で受けるサービスのように自然でそつがない。フォーとフランス仕込みであろうパンのおいしさで、ベトナムが好きになっていく。「地球の歩き方」の地図を破って、だいたいの目安をつけて、歩きだす。第一地区近辺にはモニュメントがいくつかあり、ゆうきさんのお勧めは統一会堂と、戦争記念館。地図でみると十分に歩いていけそうな距離だと判断し、いざ出陣。ドンコイ通りのひとつ手前の通りを歩いていくと、ヨーロッパ風の白壁の建物に出くわす。ベトナム人民講堂らしく何かはわからないが、そこでベトナムの郊外からきたアベック(古いね?この言い方)と記念撮影。素朴でやさしい笑顔は、ついぞ渋谷のネーチャン、ニーチャンには見かけることがない。

何かほっとする。さて、目的地の近くには来ているのだが、同じところを約30分ほどまわっていると、ヤシの実じジュースをうる青年。飲んだはいいが、20万ドンふんだくられる。皆さん、ヤシの実ジュースは3万ドンがいいとこです。私はなんと7倍ふっかけられました。で、やっとのこと、統一会堂に到着。ただ、午前中の開館時間はすでに終了していて、ぶらぶらしていると、「ダンナサン、ダンナサン」と声をかけてくるバイク白タクの青年、だまされたばかりなので、完全無視を決め込んで歩いていくと、日本語で語りかけてくる。顔をみると、少しはふっかけてきそうだが、ワルには見えない。こんな時、皆さんどうしますか?私は一応信じてみます。翌日には1時間で10万ドン(約600円程度)で3時間ホーチミンガイドをする約束をしました。それが今後3日間行動を共にするタン君でした。29歳で現在日本語学校に通学中の苦学生。当面の目標は在ホーチミンの旅行代理店で職を得て、安定したいとのこと。


さて、3時にホテルに戻り、シャワーを浴びてしばし休憩。読みかけの3冊の本でもひも解いてみるが、やはり

南国で読書よりも睡眠。タイガーBEERをかっくらって2時間ほど睡眠。


今回の旅の本題である、ユウキさんとの会食。ユウキさんは、現在、ベトナムのある(これは内緒です。現在日本への輸出に際して、害虫およびその駆逐の工程が、農林水産省の基準に合わないと日本に輸入できないので

その工程管理全般をやる。)フルーツ輸出会社の仕事をしておられる方です。


日本人が集まる居酒屋でお話を伺う。自分のアイデアを話してみて、ユウキさんの意見を聞いてみる。ベトナムのエンジニアの中で、日本語+優秀な人間はたぶんいないだろうし、英語であればできるエンジニアがいる。

また、できるエンジニアはUS$で1500~2000もらっているものもいて、これは平均の7~10倍のサラリーを稼いでいるらしい。そんなエンジニアがわざわざ日本にきて、日本語を勉強してブリッチSEとしてやるかは疑問が残る。あとは、ベトナム政府へのDEPOSIT金もエンジニアがだすメリットがない。この場での結論として、日本に呼んで、ブリッチSEとして機能してもらうのは難しいのではないか。。。つまりはベトナムに居住しながら、日本のジョブをこなすことは問題ないし、そちらのほうが現実的ではないのか。なるほど、日本いて想像するより、ソフト業界は盛況らしく、稼いている。つまりは私がベトナムに来て、または仕事を携えてベトナムでのパートーナーを探すしか道はなさそうだと一人合点して、この話は終わり。次に日本人経営のカラオケに行く。経営者のデヤマさんとおみやげのせんべいをかじりながら歓談。彼も同世代で、離婚し慰謝料稼ぐために2年前にホーチミンに来たとのこと。アオザイのベトナム人女性と選び、カラオケをうたうありがちなお店ながら、やはり日本人約3000人相手でも十分商売になるらしい。駐在員は給与レベルは日本並みで、日本からのお客さん接待では経費で落とせるので、値段もほほ日本なみ。そこでみた日本人向けフリーペーパー「スケッチ」の内容も充実している。やはり日本人は裕福なのか、日本人村社会相手のビジネスで十分食える素地がある。だからこそ、ユウキさんも日本人社会の付き合いで、お店に頻繁に出入りして、情報収集しているのだろう。


23日、最終日。tanさんとバイクで片道一時間半かけて、クチのトンネル跡を見学。ベトコンの地下室の穴が延々250kmも続いていて、落とし穴のトラップや、B52の爆弾の穴などが約35年前のままに現存している。指定したわけでもないが、ベトナム人として、観光客に見せておきたい場所なのだろう、風光明媚ではないが、戦争の傷跡はやはり見ないわけにはいかない。その夜、ユウキさんのお友達のインドネシア人のアランさんとサイゴン川船上で会食。日本に4年ほどいて、なんでも機械製造工程の管理が専門らしく、広島では造船所に勤務してらしい。日本で知り合ったベトナム女性と結婚して、ホーチミン滞在1年。独立してビジネスをやりたいらしく、今考えているのはバイクの洗浄サービスを日本のガソリンスタンド風にして、サービスすることを考えている。こちらの人間は日本人も含めて、独立独歩というかサラリーマンでいる発想がないことが素晴らしい。ベトナムでもインドネシアでも公務員以外は、安定した職種などないので、いきおい、自分で食うことを考えるしかないということか。



24日、帰国。あっというまの4日間だった。旅をするも身も心も軽くなり、日頃の自分でない自分が現れる。流浪の旅を続けて、野垂れ死する覚悟があれば、いいかもしれないが、その生き方は憧れるがたぶんできない。国を越えて、新たなヒトや風景に出会うのはやはり楽しい。


ベトナムに来て、仕事を探そうと真剣に考えてみよう。5月中旬には翻訳会社三社の結果がでる。やり方を考えていかねば。


ベトナムで暮らすといくらかかる?部屋代込で10万あれば自炊すれば暮らせる。あと営業活動で通訳をやとうと4万、それと健康保険代わりに年間7万円


半年いると約100万か?あと日本での維持費を含めるとあと100万、200万はないとベトナムチャレンジできないか?


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ベトナム、とはいってもホーチミン市とその近郊だけだったが、意義ある旅となりました。

台北経由でホーチミン。これはお勧めです。とにかく安い。往復ですべて込で約38000円。実家の福岡への往復とほぼ同じ金額。九州もベトナムと台湾もシンガポールもすべて南国と思えばさして変わりありません。


さて、4月20日夕刻にホーチミン・タンソンニヤット国際空港に到着。マニラ国際空港もそうだが、日本の地方都市の空港とほぼ同じくらいの大きさ。人だかりをかきわけると、いかにも人相の悪い白タクおじさんが寄ってくる。最初は無視していたが、メーター付タクシーの列が一向に進まないので、白タクおやじに値段を聞いてみると30万ドン、通常の3倍でふっかけてきたが、22万ドンで交渉成立。空港から市内まで約40分。とにかくバイクの量がはんぱじゃない。日本では絶対走っていないような、どうみても20年前のHONDAのカブが走っている。バイク10に対して車1くらいの割合で、バイクの波を車がかき分けていく。信号があるのだか、対向車がいないとなるとどんどん突っ込んでくる。

おもしろい。このわけのわからない熱を感じて、わくわくしてきた。

ホテル到着後、周辺をぶらぶらしてみる。ホーチミン第一地区に位置したホテルで、すこし歩けばそこはサイゴン川。開高健や沢木耕太郎が泊まったホテルマジェスティクもある、一番の都会らしく、シンガポールのオーチャードに似た街並みがあるが、一本路地を入れば、木箱に座って、フォーをつついている姿もあり、ベトナムにきたなと

実感し、そこの料理店でフォーの牛肉とビール2本で夕食完了、しめて8万2千ドン。たぶん、ぼっているのだろうが満足して、初日は終了。


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翻訳トライアル終了して、少し気が抜けたのか、全く、翻訳作業をやる気がしなくて日々過ごしている。半年間、毎日10時間以上、面白みのない特許文章を眺めてきたせいか、少し休みたいのか?本当はこの作業は向いていないのか?はっきりしているのはこの作業はすこし高級な代書さんでしかないことがわかっているからか?この後におよんでまだ迷っているのかね。やっぱ、ビジネスではないよね。



 さて、今、悩んでいることはベトナム行き。なぜベトナムか?結城さんという人に少し興味があるから。年はひとつ上。彼は会社をつぶして、家族、自宅をすべてを失った人。だけど憎めない人で、牧瀬さんの話だと、プラスチック射出成型のベトナム工場の立ち上げにいきなりベトナム移住。すべてを失ったとはいえ、すごい行動力。だけど、それもクビになって、現在、ベトナム産フルーツの輸出に関わっている。自分以上の苦境でも何かをなすようなひとのエネルギーを感じたいから。


思い立ったのは特別な理由があるのではなく、あと人生で元気でいれるのは20年くらい。思い立ったら金はないけど、たぶん、10万そこらあれば、4-5日間は違う空気吸えるかなと思っているから。


一方では、翻訳で飯を食うにせよ、すぐには食えないのははっきりしている。翻訳会社との関係性だけ維持しておいて、食うのは別で考えなければと思う自分がいる。


ベトナムのソフトウエア業界。価格差はどうも中堅pgクラスで現地でus&100で、日本約15分の1。誰もが考える

詳細設計以降の工程をやってもらうには適している。

まずはブリッジSEとして日本の会社でやってもらうことだ。住居の問題と言語の問題。住居はうちに住んでもらえらばよい。2人は住める。あとは日本語のskill upと自分の絡み。

あとはベトナム現地での渡航許可のためのdeposit fee us$8000-15000。どうもにも納得のいかないdepositは共産主義国の名残りか?

絵としてはこうだ。2人のベトナム人で研修名目で雇ってもらい、そこで2年間修行。その間にベトナム現地法人を

作る。あとは日本からの仕事を受ける。大切なことはベトナム現地での関係性を作らないとビジネスはうまくいかないことだ。先兵隊の2人がこちらの意図通りには動かない。それよりも、その2人を出してくれる現法との関係

を作ることだ。


形としては、ベトナム現地法人のrepの形が望ましいか?結城さんのいっていることは的を得ている。現地女性と結婚すれば現地法人を作るのはたやすいが、本質はそこではない。大規模な開発ができる体制があるのか?多くても20人規模の会社しかないようなこともwebには書いてある。 現法のパートナーがいることだろう。やっぱりヒトだ。


国内での確認事項は、日本法人の先駆隊としてホーチミンに出向いてレプとして機能するニーズはあるのか?

それと逆に2人ほどのベトナム人技術者を雇ってくれるところはあるのか?それが可能であれば、その会社の社員とあとは賃貸借契約で住居費(たぶん2人で8万もらうとかでよいのでは)をもらう絵か?


とにかくこの2点についてのブレーンストーミングをお願いしてみよう。