本日は書籍紹介をいたします。
今回取り上げるのはこちら、
高山文彦『麻原彰晃の誕生』文春新書、2006年
日本にだって大事件、凶悪事件は昔から絶えませんでしたが、平成史上最大の事件といえば、やはり松本サリン事件・地下鉄サリン事件を極点とする一連のオウム真理教による事件が挙げられるのではないでしょうか。
本書は、著名なノンフィクション作家による、オウム真理教の教祖であった麻原彰晃の小伝です。
出版された2006年というと、既に東京地裁での麻原への死刑判決から二年を経ており、オウム真理教がどのようなことを計画し、実行してきたかということについて、少なくともその概要はかなり明らかになっていたはずです。
そこで本書は、凶悪化してからのオウム真理教を追うというよりは、むしろそれ以前の麻原の歩みに照明を当てます。
特に興味深いのは、麻原の家庭環境や育ち方、盲学校に在籍していた時期など、幼年期から青年期にかけてがクローズアップされているところでしょう。
タイトルにある「誕生」の文言が示唆する通り、少年・松本智津夫はいかにして尊師・麻原彰晃へと変貌を遂げていったのか、薬局を開業したり、ヨーガ道場を開設したりといったオウムの前史、黎明期も含めて探求されるわけです。
私のような奈良県の人間としては、麻原が特に注目していた宗教団体のひとつが天理教であり、「オウム真理教」の名称もまた、天理教をもじった言葉遊びのようなところから出てきたものだと書かれているのを読んだときは驚きました。
目川氏という探偵に、麻原が天理教についての調査を依頼する、というところなのですが、少し引用します。
「この手の一般調査は、二十万円を報酬として受けとることにしていた。智津夫は二万円しか持ち合わせがないと言って、それを手付けに置いていった、と目川が言う。
「調査は一日で終わったと思います。奈良県の天理市までは、京都から一時間もあれば行けますから。あの町は、天理教があって生まれたんですね。ですから、チリひとつ落ちてない。だれかが煙草でも捨てると、信者がそれをこっそりひろう。地元の人たちはみな、教祖を尊敬している。最後は天理市役所に行って話を聞いて終わったんですが、いまおぼえてるのはそのくらいなんですよ」
依頼から一週間ほどたって、智津夫はふたたびやって来た。目川重治は、調査内容を録音した百二十分テープ二本を渡した。
「あいにく、今日は持ち合わせがないんです。あとで部下に残りのお金を送らせますから」
と智津夫が言うので、目川は書留の封筒を渡しておいた。その後、残りの十八万円はいつまでたっても送られてこなかった。踏み倒されたのだ。
最初のときだったか、二度目のときだったか、目川重治はおぼえていないというが、教団の名前はどんなのがいいですかね、と智津夫に訊かれたことがある。目川は天理教に因んで「あんり教、いんり教、うんり教……とあ行から順にならべていった。そうして行き着いたのが「しんり教」だった。
「真理教ですか。なかなかいいですね」
智津夫は目を輝かせた」
(171-172頁)
麻原が盲学校に寄宿生として通っていたのは、実際に目に問題を抱えていたからだというのはあるにせよ、家族からすると厄介払い、口減らしといった側面があったようです。
そういったことが人格形成上の傷になっていたとして、もちろんそれが凶悪犯罪を正当化したり許容したりするわけではありませんが、とはいえどういった環境からあのような人物が出現することになったのかという検証は、やはり必要だと思うわれます。
麻原をはじめオウム幹部たちの刑死からも一定の時間が経ち、この事件もやがて完全に歴史的出来事になっていくのでしょうが、そこから汲み取るべきものは何なのだろう、とあらためて考える機会となりました。