書籍紹介:『思考実験――世界と哲学をつなぐ75問』 | 奈良の石屋〜池渕石材のブログ

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本日は書籍紹介をいたします。

今回取り上げるのはこちら、

岡本裕一朗『思考実験――世界と哲学をつなぐ75問』ちくま新書、2013年

 

 

 

 

少し前に、識者とされる人物が「高齢者は集団自決すればいい」といった主旨の発言をして炎上し、後からそれを「思考実験」だと取り繕うということがありました。

その思考実験て必要ある?、と思うわけですが、思考実験というのは良識を挑発するような極論的状況を想定することが多いので、失言の言い訳に使おうと思えば結構利用できるということなのでしょうね。

 

さて、実際に真面目に提起された75個のさまざまな思考実験を集めてみた、というのが本書です。

最も有名で思考実験らしい思考実験というと、やはりトロッコ問題になるでしょうか。

猛スピードで暴走してくるトロッコの先に5人の作業員がいる、あなたはスイッチを切り替えてトロッコを別の路線にやることができるが、そちらでは1人の作業員がやはりレール上で仕事をしている、さあどうする、というものですね。

 

別に答えを出さねばならないというものではありません。

思考実験というのは、極限状況を想定することによって、日常的な思考回路の陰に隠れて働いている各自の倫理だとか人間観、世界観の根底を炙り出すことに意義があるのだと思われます。

 

本書の特徴は、いわゆる哲学の典型的な思考実験ばかりでなく、文学や映画に登場する仮想的な状況、あるいは哲学であってもべつに思考実験として提出されていない各種問題提起まで思考実験として扱おうというところで、筒井康隆の「ワースト・コンタクト」とか『オデュッセイア』のセイレーンのくだりも思考実験として紹介されます。

あまりにアレもコレもということになってしまわないか、と思うところですが、「自己」「他者」「倫理」「社会」の四つのテーマに即して、70以上の思考実験を次々に解説付きで紹介していく筆者の手際は鮮やかで、熟練ガイドに観光地を案内されるように読み進めていくことができます。

ここでは、やはり哲学らしいハードな思考実験であるスワンプマン(沼男)について少し引用します。

 

「思考実験7 スワンプマン(沼男)

 いま、雷が沼地の枯れ木に落ちるとしよう。私(デイヴィドソン)はその枯れ木の傍らに佇んでいる。私の身体が粉々になる一方で、まったく偶然の一致として(しかも全く異なる分子から)、木が私の物理的な複製に変化する。私の複製、スワンプマンは、以前の私とまったく同じような動きをする。彼はごく自然な素振りで、沼地を立ち去り、私の友人たちに出会い、彼らを見てそれと分かっているように見受けられるし、彼らの挨拶に英語で答えているように見える。スワンプマンは私の家に入り、根本的解釈についての論文を書いているように見える。誰にも違いが分からない。

 

 あらかじめ注意しておけば、デイヴィドソンはこの話を「人格の同一性」の問題として語ったのではない。彼は、ヒラリー・パトナムが議論した「双子地球」の話を受けて、「二人の人が物理的に同じ状態におかれていながら、同じ言葉によって異なる事柄を意味することがありうる」点に注目させたかったのである。しかしデイヴィドソンの意図を離れて、この思考実験は人格の同一性にかんしても、面白い論点を提供してくれる。それは「このスワンプマンは、私と同じ人物なのか」といった問題である」

(32-33頁)

 

これ自体、話だけ聞くと無茶苦茶な想定ですし、「双子地球」って何なんだろうと横道にそれた興味も湧いてきますね。

思考実験ではありませんが、同じように極端な想定のもとで知識とは何かを問うゲティア問題なんてのも有名で、これも調べてみると面白いですよ。

 

筆者は思考実験をパズルみたいに楽しむことにはやや批判的なスタンスで、たとえばスワンプマンのように自己の境界を考えさせる問いでも、実際にクローンなどが可能になりつつある現代のテクノロジー状況を背景に、実践的な問題として考えることを推奨しています。

実際、かつては極論だったけれど今では現実味が出てきている、といった事例もあるようですしね。

自分や世の中をいろいろな角度から見ようとしてみるという意味では、実に訓練になる読書でした。