書籍紹介:『新・韓国現代史』 | 奈良の石屋〜池渕石材のブログ

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本日は書籍紹介をいたします。

今回取り上げるのはこちら、

文京洙『新・韓国現代史』岩波新書、2015年

 



日本のお隣・韓国の現代史についての概説です。

筆者は本書の十年前にも『韓国現代史』を書いているのですが、本書はその後の韓国社会の情勢変化も織り込んだ改訂版ということになるでしょうか。

 

韓国現代史という主題となると、言うまでもなくその原点のひとつが1910年の日本による植民地化(強占)であり、本書も韓国併合に至る東アジア近代の状況から説き起こして、朴槿恵政権期までを論述範囲としています。

当然そのテーマの中心は政治史であり、日本の植民地支配の歴史、またそれに対する反省の欠如なども鋭く問われるわけですが、他方で本書は韓国固有の歴史を描くものでもありますので、李承晩時代から朴正煕、全斗煥と続く軍事政権期、そして民主化以降の時代を通じての韓国社会史、経済史も概観されます。

 

とりわけ民主化に至るまでの韓国の歴史は、朝鮮戦争を頂点とする北朝鮮との緊張の歴史でもあり、国内における右派・左派の分断を孕みつつ、相当に血塗られた経験を経てきたことがわかります。

また、韓国内における分断というと、近年では相当克服されてきているようですが、地域対立というのは興味深い観点でした。

日本人の私からすると、韓国というのは外交関係の相手として考えることが多く、そうなるとついつい相手はひとつの国として一枚岩の対象だと思い込みがちですが、実は先方の中にも断層や亀裂が走っているというのは、自国を顧みても当然と言えば当然のことでもあり、目から鱗といった感じにもなるところでした。

少し引用します。

 

「朝鮮王朝末期から植民地期にかけての半世紀余りは、激しく人口が流動化した時代であり、それは人びとの実に多様な出会いを演出した。1940年代の戦時動員は別にしても、40年の時点ですでに日本(120万人)や中国東北地域(130万人)など300万人の朝鮮人が海外にあった。植民地時代の初めの頃から海外移住者には慶尚道出身者が多く、日本でも慶尚道出身者の比率がもっとも高い。農民層分解の過程で土地との結びつきを失った慶尚道の農民たちは、まず近隣の釜山や大邱に、さらに江原道の炭鉱、そして海外へと移り住んだ。

 これに対して南東部の湖南の農民たちの多くは、忠清道の炭鉱やソウルをめざしたといわれる。とりわけ百万都市となったソウルでは、わずかな職場や商権をめぐって新旧の住民同士が入り乱れて争った。貧しい湖南の農民たちは、そういう酷薄な都市にあって親睦会や同窓会、契(朝鮮式の頼母子講)など扶助組織に結束せざるをえなかった。そうした湖南人の姿は、ソウルや忠清道の人びとに差別的な湖南イメージをひろく植えつけることになった。

 こうして植民地化での歪な近代化とこれにともなう社会変動や人口の流動化は、多様な形で吹き出すことになる反目や抗争の遠因となって戦後の韓国社会に影を落とすことになる」

(24-25頁)

 

特に引用中でも触れられている湖南地方とそれ以外との対立というのは、大統領選や国会選挙などの際の投票行動などにも顕著にあらわれ、また済州島四・三事件や光州事件といった流血の事態とも相まって、韓国社会における国民的記憶をどのように表象するかという問題にも絡んでいくそうで、本書の通奏低音のようなものにすらなっています。

 

本書一冊を読んで韓国についてわかったつもりになってはいけないだろう、とは思いますが、隣国について知っておくのはやはり大事なんだろうなと感じた次第です。