本日は書籍紹介をいたします。
今回取り上げるのはこちら、
倉橋正直『日本の阿片戦略――隠された国家犯罪』共栄書房、2005年
戦前、戦中の日本が阿片を扱い、主に中国大陸を販路として大きな利益を上げていたこと、阿片が大日本帝国にとっていわば戦略資源であったことは、今ではよく知られている事実かと思います。
関係資料をまとめた資料集も刊行されていますね。
本書もまた、日本の阿片取り扱いを主題にした一冊です。
冒頭から引き付けられるのは、筆者が厚生省(当時)の許可を得て自身でもケシ栽培に取り組んだというところですね。
最初は自らの研究室で、後には大学の屋上を使ってプランターでの栽培だったそうですが、ケシというのは強い植物である一方、上手に育てるのはなかなか大変だそうで、また花の色が一種類ではなくさまざまな色の花を咲かせるとのことですが、赤、ピンク、紫、白などの花が咲いたという報告には、単なる歴史研究書とはまた違った魅力があります。
もちろん本書は大日本帝国の阿片政策を厳しく批判しつつ検討するものであり、その点でも読み応えのあるものです。
加えて、政策的・戦略的な観点ばかりでなく、実際にケシの生産と普及とに尽力した二反長音蔵(にたんちょう・おとぞう)、また日本国内で麻薬中毒者の救護を社会事業として行なった生江孝之など、個別の人物に焦点を当てる章もあり、国家レベルの麻薬政策も、その末端を担い、あるいは対策に奔走したのはひとりひとりの人間だったのだと、生々しく感じ取ることができます。
日本の阿片・モルヒネ生産の中心になったのは、現在の内モンゴルに当たる蒙疆地域、そして満州東部などだったそうですが、本書は大阪と和歌山を一大産地とする国内でのケシ栽培に大きく論述を割いているというのも特徴でしょう。
そして筆者の指摘の中で見逃せないのが、この明らかな国際法違反が戦後も裁かれていないということです。
少し引用します。
「敗戦によって、半世紀の長きにわたって、東アジア諸国民に対して行われてきた、さしもの日本の阿片政策にも、ついに終止符が打たれる。また、この時、それまで、この政策にかかわっていた内務省、軍部、および植民地官庁(朝鮮総督府や台湾総督府など)なども、軒並み解体されてしまう(ただし、前述したように、厚生省だけは生きのびる)。
日本の阿片政策は、これまで、説明してきたように、明白な国際条約違反の国家的犯罪であった。だから、それは、日本側が行った数々の戦争犯罪の中でも、かなり重要な位置を占めていた。そうである以上、日本の戦争犯罪を裁く東京裁判は、本来、この阿片政策についても厳しく追及すべきであった。ところが、実際には、ほんの少し取り上げられただけに終わってしまう。日本の阿片政策を全面的に取り上げ、その全体像の解明に努める。――そういった営みを踏まえ、道義的、かつ国際条約違反の責任を追求すべきであった。しかし、残念なことに、そういった試みは基本的になされなかった。むしろ、結果的には、それは、事実上、免罪されてしまう」
(261頁)
筆者は資料の湮滅などを理由に挙げていますが、同時に、長期間にわたって政策的に遂行されたケシ栽培・阿片取引についての資料が完全に抹消されたはずがないとも推測しています。
また、戦前戦中の阿片製造販売に関わって、今も存続する製薬会社三社は、データの消失を理由にモルヒネ生産額についての筆者の質問に答えなかったと記されています。
きっと明るみに出されるべきことは多くあるのでしょう。
戦争責任の問題が今も終わっていないことについて、考えさせられる一冊でした。