書籍紹介:『満州と岸信介――巨魁を生んだ幻の帝国』 | 奈良の石屋〜池渕石材のブログ

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本日は書籍紹介をいたします。

今回取り上げるのはこちら、

太田尚樹『満州と岸信介――巨魁を生んだ幻の帝国』KADOKAWA、2015年

 



「昭和の妖怪」とも呼ばれ、毀誉褒貶の激しい政治家・岸信介の満州時代を中心に扱った一冊です。

 

岸信介というと、学校の社会科などで学ぶときはどうしても、首相として日米安保改定を押し進めたいわゆる60年安保と、それに対する国民的反対運動の問題がクローズアップされるかと思います。

一方では、現在にまで続く日米同盟の基礎を作った政治家としてその先見の明を賞賛され、他方、まったく同じ事績に基づいて、日米不平等体制を固定化させた元凶として批判され、その評価の幅がこれほど大きい人物も珍しいのではないでしょうか。

 

ただ、岸がそのキャリアの根っこの部分を旧満州で形成したというのは、一般にはあまり知られたことではないようにも見受けられます。

しかし実のところ、岸信介という人物がその能力を縦横に発揮した場所こそ満州であり、官僚から政治家へのターニングポイントともなっているわけで、そんな満州での岸に焦点を合わせたのが本書ということになります。

 

当時エリートとされていた内務省や大蔵省ではなく、あえて農商務省を選んだ岸が、産業こそ国策の中心だというビジョンの下、どのようにその経歴を踏み出し、満州で人脈も含めた地盤作りを行ない、政治家として道を歩んでいったかが立志伝風に叙述され、なかなか読ませます。

筆者は明らかに岸信介という個人に惹かれており、またいわゆる自虐史観や東京裁判史観を批判するような歴史認識の持ち主ですので、その点は考慮して受け止める必要がありますが、岸という人間が相当に優秀かつしたたかなやり手であったことは十全に伝わってきます。

 

他方、岸を評価しつつも、その黒い側面への目配りも怠っていないというのも重要なところで、特に満州国と阿片との関わりは、それがなぜ東京裁判で大きく取り上げられなかったのかということも含めて、今なお見直されるべき問題を含んでいるでしょう。

少し引用します。

 

「中国戦線で占領地域が増大したのに伴い、上海では興亜院という占領地に対する政務と開発事業を統一指揮するための機関が設けられた。戦後、政界で活躍する大平正芳、伊東正義らは、現地の興亜院蒙疆連絡部や経済部にいた人間たちである。

 その興亜院によって、阿片の流通を扱う宏済善堂という民間組織が設立され、この組織を仕切っていたのが、里見甫であった。宏済善堂が窓口になり、外国から阿片を輸入していたが、これには英国が深くかかわっていた。植民地のインドから駆逐艦を使って運び、上海で陸揚げしたが、軍艦だから臨検を受けることもなく、堂々と持ち込むことができた。

 だが、アメリカは戦前・戦中から、大陸で満州国政府や関東軍が阿片と深くかかわっている事実を摑んでいた。在中国アメリカ大公使館や陸・海軍情報局からの阿片情報は、現在十点がワシントンの国立公文書館で公開されている。

 戦略物資としての重要性、華北におけるケシの栽培状況、蒋介石軍と日本側との水面下の阿片取引にも言及し、「近い将来、大陸の阿片と岩塩は、日本政府が独占することになろう」と結論付け、警戒していることが分かる。将来的に、貴重な戦略物資である阿片については、アメリカにも国益優先の思考が作用したとみられる。

 だが戦後、米国の阿片政策は意外な方向に向かうことになる。東京裁判のさなか、GHQは東条英機、岸信介、里見甫ら関係者から執拗に事情聴取していたが、あるときからそれをピタリと止めてしまった。調べれば調べるほど、先述のとおり英国が絡んでいた事実が明らかになってきたからである。

 なにしろ阿片戦争の“実績”までもった国であるから無理もないが、あらためて東京裁判で白日の下に晒したくないという思惑が、アメリカ側にも働いたとみられる。不可分にある米英両国の特殊な関係からすれば、当然の判断であった」

(195-196頁)

 

戦中から戦後の岸の歩みについては、駆け足で触れられるのみですが、そこでも満洲人脈がどれほどの意味を持っていたかということは強調されます。

おそらくそれは、岸信介個人にとってだけの話ではなく、日本の戦後全体にとっても、伏線として満州が有している重みというのは相当のものがあると思うのですが、それがさほど語られない、注目されないというのも、岸個人の場合と同様と言えるでしょうか。

その意味で、岸信介というのはやはり、良くも悪くも戦後日本を象徴している人物なのだろうと思った次第です。