書籍紹介:『日本の葬儀と墓――最期の人生行事』 | 奈良の石屋〜池渕石材のブログ

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本日は書籍紹介をいたします。

今回はこちら、

宮本常一『日本の葬儀と墓――最期の人生行事』八坂書房、2017年

 


宮本氏は日本の民俗学の泰斗として、その名を知られた方ですね。

岩波文庫に収録されている『忘れられた日本人』は、現代にまで続くベストセラーとなっており、ご存知の方、実際に読んだという方も多いでしょう。

そんな宮本氏が自らの足で収集した各地の葬儀、および墓についての調査報告と、日本の葬墓制についての論考で構成されているのが本書というわけです。

 

民俗学というのは、基本的に現地調査や聞き取りといったフィールドワークが重きをなす学問ジャンルだと思いますが、とりわけ日本全国を実地に歩いて回った宮本氏らしく、本書に集められたさまざまな地域の葬儀慣習や、お墓をめぐる祀り方の多様性には圧倒されます。

 

日本列島で育まれてきた葬送供養の文化ということで、大まかな共通性というか、アウトラインの共有はあると思うのですが、しかし地域による違いも目立ち、画一的に「日本の葬墓文化」といったものを論じることができるのか、といったところから問い直す必要性を感じさせられます。

人間の生死にかかわる精神文化というものは、本当に一筋縄ではいきませんねえ。

 

具体的な調査、対象への接近という点を重視する宮本さんらしく、本書はまず各地の習俗や習慣の丁寧な記録というところに眼目があり、他方で理論化・体系化への志向は薄いという印象を受けるので、その点で不満を持たれる読者さんもおられるかとは思います。

いずれにせよ強く脳裏に刻まれるのは、調査対象を単に学問の客体と見なさず、そちらに寄り添うような姿勢と、地に足のついた語り口です。

少し引用します。

 

「もともと私は地蔵信仰について深く心をとめたこともなかったのであるが、子を失ってみて、辻々にたつ童形を思い出し、その中に秘められた親心を考えてみようとするようになった。津軽の川倉や深沢、または恐山のように一定の日に親たちの集うて祭をするほかに、京阪の地のごとく行きずりの人の祈願によって子の霊の幸を祈る風も見られた。死んだ童子は本来祖先となるものでない。親たちが死んで行けば祀ってくれるものもない。そのために行きずりの人たちの祈願をいつまでもうけるべく童形をきざんだ石碑に戒名を彫り、また左何右何と名高い寺社の名などを書いて別れ道にたて道標にしたものが多い。古い大阪や京の町を知る人の話によると、そうした道標が実に多かったということである。

 村内安全を祈るための地蔵堂なども村に必ず一ヵ所は見かけるが、もとは不幸な死をとげた子のためにたてたものが少なくないようである」

(242-243頁)

 

民俗というものは、ちょっと分け入ってみると、かつての人の思いが相当ダイレクトに反映されているのかもしれません。

 

都市化、過疎化、社会生活の均質化などの近代化現象によって、各地の民俗の多様性は確実に失われていっているのだと思いますが、ただ形の上で保存すればよいというような単純なものではないにしろ、そこには文化というものの重要な側面があるのだと、あらためて考えさせられました。