本日2回目の更新です。
私の大好きな作家、玉岡かおる先生の最新刊『さまよえる神剣』を読み終えました。
神剣と書いて「けん」と読みます。
さまよえる「神剣」とは何のことでしょうか。
海の底に突き刺さる剣が描かれた表紙を見てピンと来られる方もいらっしゃるかもしれません。
この小説は、源平合戦のクライマックスとも言える壇ノ浦の戦いにおいて、幼い安徳天皇とともに海に沈んだとされる天叢雲剣、別名 草薙剣をめぐる歴史小説です。
小説の「プロローグ」に登場するのは、安徳天皇の次に即位した後鳥羽天皇。
後鳥羽天皇は即位時まだ4歳でした。
先代の安徳天皇の母は平清盛の娘・徳子で、安徳天皇は源平の戦いで平家とともに都落ちをします。その際三種の神器も一緒に持ち出されたわけです。
その後、三種の神器のうち鏡と勾玉は回収されたものの、剣はついに見つけることができず、後鳥羽天皇は神器が揃わないままに天皇に即位してしまったことになります。
天皇の象徴とも言える剣がないまま即位したことを気に病む後鳥羽天皇に対し、祖父である後白河法皇は言い聞かせます。学問や音楽、武術など学べるもの全てに励むように。
剣などのうても、そなた自身がその身を律し、天から認められた王であると示せばいい。学んで鍛えて、誰ひとり疑う隙のない治天の君となれ。
(玉岡かおるさん『さまよえる神剣』P7より引用)
後鳥羽天皇はその言葉を守ったのでしょう。歌人として名を残していますし、刀もご自分で打てたようです。自ら刀を打つ天皇というのはちょっと想像できません。普通ならしないであろうこともできるのは、やはり草薙剣なしで即位したことを引け目に感じ、なんでもできるスーパーマンのような存在になることで「神剣」がないことをカバーしようとしていたのかもしれません。
この小説では冒頭だけでなく、後鳥羽天皇の悩みに沿いながら、天皇はなぜ存在するのか、どうあるべきなのかが繰り返し記されています。それは現代にも通じることだと感じました。
さて「プロローグ」から時は流れて……
後鳥羽上皇は鎌倉幕府執権 北条義時に対して承久の乱を起こして敗れ、隠岐に流刑となります。罪人となっても高貴な身分の人ですから、お供を連れて行くことを許されていますし、道中警護もつきます。
警護の一人に、代々天皇家に忠義を尽くしてきた家柄の次男坊 小楯有綱という青年武士がいました。有綱は、後鳥羽上皇とともに隠岐に向かう寵姫 伊賀局から一振りの剣とともに謎めいた使命を託されます。
有綱は色々考えた結果、草薙剣を探し出すことが使命なのだと解釈。備前の刀工・伊織と、大三島の幼い巫女・奈岐とともに四国へ向かうことに。四国には、壇ノ浦の合戦で海に沈んだはずの安徳天皇が草薙剣と共に落ち延びたという伝説があったのでした。
この小説は、安徳天皇と草薙剣の伝承についての謎解きをメインにしているようでいて、実は登場人物全ての成長物語なのだと感じました。成長物語の軸は有綱、伊織、奈岐の3人。この3人が四国の山を踏破していく様子はまるでロールプレイングゲームのよう。
歴史小説であり、成長物語であり、冒険小説でもあるのです。
ところで、物語が終わりに近づく頃、伊織が、今でも名が残っている有名なある「モノ」の祖であることがわかり、びっくりしました。ここに繋がるのか、と。
その伊織が師匠から言われる言葉には美学を感じました。
「最後にわしが伝えることは、……いいな、ひたすらに、よきものを作れ。よきものには神が宿る。神が宿ればそれがすなわち正義となる。精進せよ。正義を作っていく者、それが匠じゃ。神に最も近き造部じゃ」
(玉岡かおるさん『さまよえる神剣』P95より引用)
この小説の特徴は有綱、伊織、奈岐の物語を大きく包む存在がもう一つあること。
歴史的事実を縦糸に、ファンタジーを横糸に織り上げたタペストリーといった感じで、スケールの大きな作品だと感じました。
私は玉岡先生の作品はどれも好きだけれど、この作品には今までの作品以上の大きな力を感じました。
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