おおいに笑える歴史小説 垣根涼介『極楽征夷大将軍』 | 茶々吉24時 ー着物と歌劇とわんにゃんとー

私が征夷大将軍と聞いていちばんに思い出すのは坂上田村麻呂。

子どもの頃に「漫画で読む日本の歴史」で知りました。

だけど「極楽」と「征夷大将軍」って全く相容れない言葉のように思うのだけれど?

そんな気持ちで手に取った『極楽征夷大将軍』は足利尊氏をめぐる歴史小説でした。

 

なお、登場人物は成長するにつれて名前が変わりますが、便宜上この後はずっと成人してからの名前で書かせていただきます。

 

 

 

足利尊氏は鎌倉時代末期から室町時代前期の武将で、室町幕府の初代将軍です。

とはいえ尊氏は元々は跡取り息子ではありませんでした。

尊氏は父・足利貞氏の側室の子で、正室が産んだ男子がすでに家督を継いでいたため、弟の直義とともに、誰からも注目されることなく幼少期を過ごしていました。

 

普通なら日の目を見ずに一生終わってもおかしくない境遇だった尊氏が将軍になるには、いろいろな事情があるのですが、尊氏本人は人の上に立つことを望んだことはありませんでした。

尊氏は野心などないのんびりとした性格で、跡取り息子ではないのを良いことに、勉学にも武芸にも励まず、のほほんと生きておりました。自分とは正反対で勉学・武芸に熱心に取り組む弟・直義を嫉むどころか、弟に全て丸投げ、頼り切っておりました。

やたら人懐っこくて望洋とした様子の尊氏のことを、周囲の人はかげで「極楽殿」と呼んでいたのです。なるほど、それで『極楽征夷大将軍』なのですね。

 

そんな「極楽殿」の尊氏ですが、戦になるとめっぽう強い。本人の武芸が優れているという意味ではありません。

尊氏は欲がないし、一つ一つの勝ち負けに一喜一憂しません。

例えば、弟の直義が「自分のせいで味方が不利な状況に陥ってしまった」と詫びると

「我らは神でも仏でもない。一寸先のことなど、誰にも分からぬ」そして珍しく意味ぶかげなことを言った。「生きるとは、その闇夜の先を手探りで進むようなものだ」

(垣根涼介さん『極楽征夷大将軍』P307 より引用)

と、相手を責めようとしないのです。

それは相手が弟だからではありません。誰が相手でも同じことで、どんな苦境でも心から労ってくれる尊氏に、周囲は「武家の棟梁の器量だ」と感激して奮い立ち、力を尽くして戦うので、結果的に「尊氏がいれば勝つ」ということになるのでした。

学問でも武芸でも兄より秀でている弟 直義は悟ります。

自分はいつも小理屈を捏ね回しているのだと。

「そのような奴は、多少頭が回ろうが武芸に優れようが、所詮切所では勝てぬのだ」

(垣根涼介さん 『極楽征夷大将軍』 P343より引用)

ずっと仲の良い兄弟でしたが、兄の大きさを感じることで、より一層兄を支え、兄を将軍に押し上げようと決意した直義のおかげもあって、尊氏は戦の神様「摩利支天」に例えられるほどになっていきます。本人はほぼ何もしていないのに。

 

『極楽征夷大将軍』のメインキャストは、足利尊氏と弟の直義、代々足利家の執事を務めていた高家の高師直、師泰兄弟の4人。もちろん歴史上実在した人物です。

その関わりは十代の子どもの頃からで、直義と高師直が車の両輪のように協力して尊氏を押し上げていきます。

 

その間、直義と高師直はそれぞれ、尊氏のことを「中身がないから担ぎやすい」など、ひどいことを考えておりますが、それは事実なのかもしれません。人の上に立つ人、お神輿に乗る人は、ごちゃごちゃ小さいことを言ってはいけないのでしょう。

 

それにしてもこの小説、可笑しいです。

すごく分厚いし、苦手な時代の話だから退屈するかと思いきや、私は時々声を上げて笑いながら読みました。

 

いちばん笑ったのはこの肖像画にまつわる場面です。

足利尊氏といえば、騎馬姿のこの絵を思い出される方も多いと思います。

 

 

少なくとも私にとっての足利尊氏はまさにこの絵。

このおかっぱ頭、子どもの頃から歴史の教科書で見慣れているのでなんとも思っていませんでしたが、よく考えると当時の武士はこんな髪型ではありません。ではなぜこうなったのか?

また、最近ではこの絵に描かれているのは足利尊氏ではなく高師直だという説があるそうです。ではなぜ高師直がこんなおかっぱ頭をしているのか。

その事情を読んで、私はゲラゲラ笑わずにはいられませんでした。オカシイ。おかしすぎる。

しっかりとした歴史小説でこんなに笑ったのは初めてですワ。

 

とはいえ、おかしいだけではありません。

 

 人は勝っている時ではなく、負けた時の態度によってその真価が問われるもの

(垣根涼介さん『極楽征夷大将軍』P297 より引用)

 

「戦など、常に水ものだ。勝つ時もあれば負け込む場合もある。だからこそ、良く負ける者だけが生き残る。当然である。余力を残して負けてこそ、再起の日も来ようというものだ。要らざる矜持や名誉など、捨てよ」

(垣根涼介さん『極楽征夷大将軍』P504 より引用)

 

このように、現代の人生に通じる部分もありました。

 

私は鎌倉時代、南北朝時代、室町時代に苦手意識がありましたが、とても面白く読めました。

また、人物関係や時代の流れが徐々に理解できてきて、2021年の宝塚歌劇 月組『桜嵐記』(楠木正成の息子 正行が主人公)や2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を思い出し、なるほど、あの人物がここに出てくるわけね、と今更ながら歴史上の人物関係を理解したのでした。

私でも名前を知っているスター級の武将もたくさん登場しましたが、私がこの小説で最も好きなのは、老将 赤松円心。

そして読む前と後では、足利尊氏と高師直のイメージが大きく変わりました。

足利尊氏については、こんなにフワフワな人だったのかと思い、高師直については好色で嫌なヤツという印象から、意外に真面目で有能な人だったのね、という変化です。

 

読むのに時間がかかりましたが、とても面白かったです。

 

 

 

 

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