昭和歌謡あれこれ Vol.6 西城秀樹「ラスト・シーン」 | 茶々吉24時 ー着物と歌劇とわんにゃんとー
本日2回目の更新です。
私がパーソナリティを務めさせていただいている
エフエムあまがさきの番組
「昭和通二丁目ラジオ」木曜日。

昭和の歌をお送りする番組です。
今年度から、昭和歌謡のちょっと不思議な歌詞を掘り下げたり、
その曲の思い出を語る時間を設けています。

そのきっかけとなったのが あいざき進也さん。
私の中で突然のあいざき進也ブームが巻き起こったのでした。

『昭和のアイドル あいざき進也リバイバルマイブーム』
(茶々吉24時 2018年4月7日)

子ども時代にはよくわかっていなかったけど、
今この歳になって聞くと面白い「昭和の歌詞」を
番組内で深堀りするコーナー。
深堀りを超えて、私の妄想劇場のような気もしますが……。

第1回目は あいざき進也「気になる17才」
第2回目は 郷ひろみ「花とみつばち」
第3回目は 西城秀樹「情熱の嵐」
第4回目は あいざき進也「君のハートに火をつけて」
第5回目は 沢田研二「追憶」

そして第6回目の昨日は、西城秀樹「ラスト・シーン」を取り上げました。
当初の予定では郷ひろみの曲を深掘りする予定だったのですが、
西城秀樹さんの訃報に接して、
みなさんからの熱い思いをお寄せいただきましてね、
それにお応えしなくちゃウソでしょう。

名曲ぞろい、ヒット曲だらけの西城秀樹さん。
その中でリクエストは
「ブルースカイブルー」と「ラスト・シーン」に集中しました。
テレビのワイドショーでは
「YMCA」か「ギャランドゥ」ばかり流れていたのだけど、
ヒデキファンはバラードの名曲を聞きたいと
思っておられたのですね。

尺の長い「ブルースカイブルー」をエンディング曲に決めて、
「ラスト・シーン」を歌詞深掘りすることにしましたよ。
実は最近、小学校から高校まで同級生だった
音楽に詳しい同級生とこの曲について語り合ったばっかりだったので。


それでは歌詞を見ていきましょう。
敬称略になると思いますがお許しください。

『ラスト・シーン』 (作詞:阿久悠 作曲:三木たかし)
何年でも待つよといったら
あなたはさびしく微笑みながら
そんなことをしたら不幸になるわ
別れた方がいいという
ありがとう しあわせだったわ
一緒に歩けなくてごめんなさい
あたたかい春の陽ざしの中で
熱があるように ぼくはふるえてた

もう恋などしないといったら
あなたは馬鹿ねとつぶやきながら
そんなことをいって困らせないで
無邪気な方がいいという
ありがとう しあわせだったわ
出来ればもっと早く逢いたかった
にぎやかな街の通りの中で
夢をみたように 僕は泣いていた

にぎやかな街の通りの中で
夢をみたように 僕は泣いていた


この歌は、男女の別れを描いています。
さて、どんな関係性なんでしょう?

私はずっとこう思っていました。
年上の、夫がいる女性と青年の恋なんだなと。
女性は家庭を捨てることができなかったのでしょう。
青年の方は、女性が離婚するまで
「何年でも待つ」つもりなのに、
「そんなことをしたら貴方が不幸になる。
 別れましょう」というわけです。
純に自分を思ってくれる年下の男性に
ありがとう、でもごめんなさいねと別れを告げる女性。
それに対して、
「あなたと一緒に生きられないのなら
もう恋などしない」と言い切る青年。
そんなことを言われたら困ると言いながら、
年上の女性は、
一緒にいられて幸せだった、
もっと早く、今の夫と出会うより早く逢えていたなら……
そう言って去っていく女性。
一人残された青年は、春の陽ざしの中、
震えながら泣いている……。

そういった物語だと、ずっと思っていたのです。

しかし、同級生はこの歌を、
余命いくばくもない女性と、男性との恋の歌だと思っていたんですって。
自分はもうすぐ死んでいくのだから、
負担になりたくないと別れを切り出す、という話なんだと。

そんな解釈があるのか、と、私は目からウロコでした。
その解釈でいけば、
「あなたはさびしく微笑みながら」
の意味が深まってくるではないですか。
「ありがとう しあわせだったわ
 一緒に歩けなくてごめんなさい」
と言われて、男性が春の陽ざしの中、
ただ震えるしかなかったのも
理解できる気がします。

「出来ればもっと早く逢いたかった」
というのも、
そうすればもっと一緒の時間を過ごせたのに、
という意味。
彼女の言葉を思い出して、街の中で涙を流す青年。
何もできない自分の無力さを嘆いてもいるのでしょう。


というように、
別れなければならない理由によって、
ドラマは全然違う様相を呈します。

いい曲とは、聴く人によって、
いかようにでも物語性を変えられるものなのかも。

それにしても阿久悠さんの詞の世界の素晴らしさ。
小説と言っても差し支え無いと思います。
でも、もしこの歌を別の人が歌っていたなら、
40年もの長い年月が過ぎてなお、
リクエストがかかる曲として残っていたかどうか。
ヒデキのハスキーな声と、独特な歌い方と
表現力があってこそのことだと思います。

作詞作曲歌い手の魅力がしっかり噛み合った
「ラスト・シーン」をアップしてくださった
YouTubeアップ主さま、ありがとうございます。
お借りしますね。




リクエストを二分した「ブルースカイブルー」もお聞きください。


私は新御三家は郷ひろみ党でしたが、
西城秀樹さんの素晴らしさはわかっているつもりです。
改めてご冥福をお祈りします。


昭和歌謡の世界を深堀りした内容のブログは
「昭和あれこれ」というテーマにして投稿します。
これからも一緒に楽しんでいただけるとありがたいです。

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