こんばんは

碇谷圭子です。


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今日も暑かったですね。


残暑厳しい。


 

 

 

 

こんばんは

碇谷です。

 

一昨日の記事は朝早くにアメトピ(アメーバートピックス)に掲載されて、アクセスが普段の10倍くらいありました!

 

アメーバーさんありがとうございます。

短い短い記事だったのにーー。

 

お陰様で命日に父のことをたっぷり思う日になりました。父の采配なのでしょうか。

 

 

 

 

**********

 

父は全然病気知らずだったのに、最後に3週間だけ入院して癌で亡くなりました。

入院した時は手遅れで。

 

「検査入院」ということで大学病院に入院する日、母は用事があった為、私が付き添ったことを思い出します。まだ誰も「末期がん」になっていたとは知らず

(近所のかかりつけの医師はご存じだったのかもしれません)

私も軽い気持ちでタクシーに同乗していました。

 

 

入院したのち、即非常に具合が悪くなり、ずっと激痛に耐えたまま他界しました。

私は弟二人と共に、順番に付き添って、確か夜も3人で順番にそばにいたと思います。

 

 

家族以外は、本人も社員の方も祖父母にも、もう父が長くないことは秘密にしたので、病室では泣くこともできず、辛かったのに頑張りました。

行き帰りの電車や車の中で泣きました。

母とレストランでご飯を食べながら泣きました。

車の中でラジオから流れてきた長渕剛さんの曲を聞いて泣きました。なんていう曲か覚えていませんが。

 

元気だと思っていた人が突然目の前で亡くなっていくのは悲しいものでした。

若かったせいもあるでしょうね。

 

でも父は長患いしなくて良かったんじゃないかな。

あんなに苦しい思いを長くさせたくない。

痛みって本当に辛いものね。

 

そしてたった3週間だけど、病院に毎日通い、父に水を含ませる役目をできたのはよかったです。

それが最後のプレゼントになりました。

私のことはそんなに心配していなさそうなのがありがたかったです。

一応離婚して希望に溢れていた頃だったので。笑

 

 

この、父が亡くなった年、一通だけ手紙をもらったことがあります。

 

それも昔記事に書いたのでお読み下さい。

 

********

(抜粋)

 

先ほど、クライアントさんとお話をしていて

どんなに親を大事に思っているか

どんなに親が好きで

そして、自分の気持ちをわかってもらいたいか。

だからわかってもらえなくて傷つくのかが

ひしひしと伝わってきました。



 

彼女も自分の気持ちはわかっていて

そしてこれからは

 

「親と闘わない」

 

「あえて負けてあげる」

 

など私がお伝えした「魔法の言葉」を

メモられて帰られました。



 

親。

 

それはとてもやっかいな存在。

 

私は親になることはないから

偉そうに語る資格は無いのだけど。

 

でも、もし母に何かがあれば何を置いても飛んでいくだろう。



 

そして

ふと、いつかの春に父からもらった手紙があることを思い出し

引き出しから出してみました。


 

18年前の3月16日の消印で父が亡くなる半年前。

(2023年現在からだと、29年前)

 

現金書留の封筒で確か5万円送ってくれました。

その前の秋にいったん、実家に帰りしばらく滞在していた私。夫とはもうダメだ〜と失意で帰っていました。

 

夫との家に戻ってからはしばらく実家に帰らなかったので心配してくれたのでしょう。



 

「彼と美味しいものでも食べなさい。元気でやってると思うけど、たまにはここに来て

おしゃべりでもしたらいいと思います」

 

と書いてあります。

 

そして、自分達夫婦が若い頃の思い出と、孫が出来てから

 

電車好きな孫を母と一緒に電車で遊びに連れて行き、珍道中だった話などさりげなく書いてあります。

 

 

「うちの子供達をあちこち連れて行った時は俺達も若かったなあと

歳月の移り変わりをかみしめています」

 

 

どんなに心配してくれていたんだろう。

どんなに私に意見したい気持ちを押さえて黙って見守ってくれていたんだろう。



 

父はこの時は元気だったのに、半年後に急逝します。

 

もしかして

もしかして

 

神様が私を自立させるために

 

父が命をかけた天の采配だったのかしらと思うこともあります。

 

そのくらい、甘ちゃんだった私。

 

手紙の冒頭には

 

「あさくのみ 春はかすみて 麦の色 わずかに青し。

藤村の詩のようにそこまで来ている春がなかなか実感できません」

 

なかなか素敵な言葉が書いてあったりして

 

随分考えに考えて書いて、出してくれた手紙だろうことがわかります。

父は文学青年でした。

本をたくさん読んでいた人でした。


 

親って

親って

寂しいね。



 

親の心 子知らず。

 

(全文は下記からどうぞ)

 

 

 

 

**************

 

そして、子供の心も親は知らないと思います。

お互いに誤解したまま別れていく。

 

それが人生であるなとわかります。

 

その誤解を解くことなく親もあの世に逝き

自分もいつか旅立ちます。

 

それでいいんだな。

 

「そうじゃない」と最後に思えた人は

とても幸運な方じゃないでしょうか。

 

 

昨日の命日も両親のお墓参りをしました。

29年前のあの日、美しく咲いていた萩の花は、

今年は暑かったためか、16日まで一つも咲いていなかったのに、命日の昨日17日は一つ咲き始めていました。


上の画像と動画がそれです。

 

 

パパ〜やるぅ。

あの日の萩の花の美しさは私たち家族に強い印象を残したと思います。美しいお寺だな〜と。

父の命日が来るたびにいつもあの萩の花の美しさを思い出します。

 

父からの最初で最後のお手紙。

封筒は現金書留笑。

 

 

親ってありがたいです。

いなくなってから本当にわかります。