今朝、憤りの気持ちとともに目覚めました。
一年に一回くらいあるんです。
嫌な夢を見て、嫌な気持ちで目覚めること。
前日に何かあったわけでもないのに
唐突に心の奥底の叫びが夢になって現われるのかもしれません。

こんにちは
心屋流カウンセラーのいかり屋 圭子です。


夢の内容は忘れましたが
私はまだ母に対して
どうして私の事をわかってくれないのという
悲しみの気持ちが
どこかにあるんだなあと感じました。


もう長年かかって紐解いてきたことです。
もう母の気持ちも立場も愛情もわかっているのにです。


ただ、まだまだ気になっているのに
言ってないことがいくつかあります。

その一つが
父が亡くなる前三週間入院していた時に
母に言われてつけていた看護日記を
後日勝手に捨てられていたこと。

入院した時には既に末期でいつ亡くなるかもわからないと言われて
父自身も、相当身体が苦しかったようで
私たち家族5人以外は誰にも会いたくないから
他の人は病室に来させるなと言うので
父の両親にも姉妹弟にも
病院に来ていただくことを遠慮してもらっていました。

最後の父の様子がどんなだったかを
後でその方達に聞かれたときに答えられるように
日記を書いておいてというので
毎日病室に通って付き添っていた私が
大学ノートに仔細に記入していました。

元気だった父が急に「いつ亡くなるかもしれない状態」と聞いて
動揺して悲しくて、今まで経験したことのない状態になっている自分の感情も
そこに仔細に記入していました。

その日記を母は父が亡くなってから間もなく
私に断りもなく処分していました。

それに気がついた私は「どうして捨てたの?」と聞いたものの
答えを聞いても、母を責める事はしませんでした。

答えは確か
「持っていても仕方がないから」というようなものだったと思います。
後ろを振り向きたくないというような気持ちだったからだと思います。

そして
その気持ちもわかるし
父が亡くなって一番ショックなのは母なんだ。
私たち子供よりも母なんだからと自分に言い聞かせて
日記を捨てられたショックは隠して
そのままにしておきました。

自分の手帖にも色々メモはしてあったけれども
あの仔細な看護日記の内容はもう戻ってきません。

父との最後の数週間の会話
父が何時にどれだけ口をゆすいだか。
私に何を言ったか。
母のことをなんて言っていたか。
何を心配していたか。

父との会話の内容が私にとっては一番大事かもしれません。


捨てないで欲しかった。
私に断りなく捨てないで欲しかった。

今でも、あのノートにどんなことが
書いてあったか
もう一度見てみたかったと思うことがあります。

父が亡くなって一番悲しいのは母というのも
今考えると違うと思います。

一番二番なんて順番はなし。
父を亡くして私は悲しかった。
母のほうが悲しいとか、そんな遠慮は関係なかった。

自分を大事にしていなかったな。

私にはいつも思うことがあります。
人と人との関係は一対一。

そこに、間に誰か別の人がいたりとかは
関係ないと思うのです。

「ごめんね」と謝って欲しい。
「わかってあげられなくてごめんね」と言って欲しい。

そんな気持ちが
まだ心の奥底にはあるのかもね。

そして
たぶん母も
私に対して同じように思っているのだろうなということが
今ではよくわかるのです。
残念ながら・・・・・・笑


誰かにわかってもらえないということがあるとき
実は自分も誰かをわかってあげられていないのかも
しれません。





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