怒りブログ。 -9ページ目

属人てき。

いつも不思議に思うのだが

属人的というのは

悪いことなのだろうか?

よくある話が

その人の独自のやり方で

仕事をやっていて

マニュアル化されておらず

引き継ぎがしづらいという。

確かに、変な仕事のやり方をして

戸惑うことはある。

だがそれは、非効率的ということで

属人的ということではないように思う。

定量化できてフロー化できるような仕事は

機械に任せた方がよっぽどよい。

属人的というのは

機械ができることを取っ払った上で

人間がやるべき残された仕事だと思う。

人間心理と効率。

先日、帰り道にタクシーを拾おうと思った時に感じたこと。

タクシーを止めて客が出てくるのを待っているドライバーよりも、走っているドライバーを止めようとしたこと。止まっているタクシーに乗り込むのは何か気持ちが乗らなかった。なぜか?止まっているタクシーはサボっている風に思えた(実際はそうでなくても)。選択できる状況なら、走っているタクシーをつかまえようと思った。

ドライバーの立場から考えれば、タクシーを止めて人が多いところで網を張っているほうが効率がよいとも言える。漁業でいえば、定置網で勝負するか、一本釣りで勝負するかという問題。当然、魚がいっぱいいるところに網を張れば一網打尽にできる。一本釣りなんか効率悪すぎてやってられるか。。だが残念ながら人間は魚ではない。意思を持ってどちらかを選択する。

これは営業活動でも同じことがいえる。
ある営業はメールも電話もあるわけだから必要なときに顧客から連絡してくるだろうと考える。一方、ある営業は定期的に連絡したり足を運んだりする。そして顧客は、どちらか好きな営業を選択することができる。

人間心理なのか、効率性なのか。。まったく別物で定量的に比較することもできない。

だが、私は人間心理的に正しいと思ったことは、効率を無視して実行するようにしている。その理由は、効率的な営業などありえないと考えているからだ。本当に効率よくやるなら、システムで自動化すればよい。システムができないところに、わざわざ人(担当)をつけて営業しているわけだから効率は悪いのは前提。そうした中でいかに成果を出すか。それを営業は求められていると考えている。

日系企業にインドが人気がないわけ

インドに来て早くも4ヶ月経つが、前から気になったのが、なぜインドが日本(日系企業)から人気がないかということである。進出企業はようやく1000社を超えたあたり。駐在員はインド全土で5000人と言われている。中国だと2万社以上の企業が進出しており、駐在員は数十万単位。

当然、地理的な問題もあるが(といっても直行便で9時間だが)独特の文化、商習慣により外部から入りづらい環境にある。たまに日本からの出張でリサーチに来ている方にお会いするが、うーん、、と言ってそのまま帰られてしまう。東南アジアの延長で来ると全く親日でもないし、夜のエンタメも少ないので違和感だけ残して帰ってしまう。インドはアジアではなく、インドはインドなのである。

二つ目は性格が日本人と真逆なこと。

時間を守る←→時間を守らない
丁寧←→大雑把
チームプレー←→個人プレー
・・・

言い始めたらきりがないが、性格で日本人とかみ合いそうなところがほとんどない(もちろん人によりますが)。インド人からしても同じ状況でかみ合いようがないと思う。

ふと考えたのだが、状況としては
外資企業から見た日本に似ているのではないかと思う。マーケットはでかい、でも入り込むには時間も労力もかかりそう。

自分が外国人で明日から日本に行って市場を開拓してこい、と言われたらどう思うか。。渋谷のセンター街に行ったら何これ?と思うだろうし、営業先に行ってもどう攻めていいものか全く見当もつかないかもしれない。

そういう意味では、
日本とインドは鏡像の関係にある。なぜか私は、日本における外資企業の苦労をインドで味わっているわけである。

仕事の最小単位はなに?

インドに来て感じるのが

人のありがたみ。

人に直接助けてもらったり

人を介して人を紹介してもらったり

仕事は、人によって

成り立つものだということを実感する。

だが日本にいた時には

それほど感じなかった。

人というよりは

タスクで動いていて

機能別に細分化し、

管理していたことが多かった。

そうした環境下では

特定の人に依存するということは

逆にマイナスになることもある。

仕事の最小単位は、

人なのか、タスクなのか

ということは非常に難しい問題だし、

私が日本からインドに来て

つい考えてしまうことである。

見えない糸。

最近、何人かの若者と会って

感じたのだが

日本的なコミュニティから

外れることを恐れている。

日本的なコミュニケーション、、

日本的なビジネス、、

日本的な生活、、、

日本にいると

なかなか気がつかないが

独特のコミュニティを形成している。

それらから距離を置くことに

恐怖を感じている。

まるで目に見えない糸に

操られているようでもある。

だが、その見えない糸が

何かのチャレンジを妨げたり

外へのエネルギーを遮断することがあっては

ならないと思う。

島耕作のような世界観。

異国の地では、

知り合いはいないので

毎日、何かしらの出会いがある。

そして出会った人を通じて

サポートしてもらったり

ヘルプしてもらったり

ということが、自然に起こる。

島耕作のように

困ったら誰か助けてくれる世界観は

マンガの世界だけかと思っていたが

現実に存在した。。笑

よく考えてみると

少し前の

日本もそうだった。

今の日本だと

(無償で)他人に何かやろうとすると

やる意味あるのか?

儲かるのか?

という思いが先に立ってしまう。

そして、それらを言い訳にして

自ら行動する機会が減ってしまっている。

そういう人ばかり増えたら

仕事も、お金も回らなくなり

きっと社会は回らなくなるだろう。

聞かれたくない質問。

たまに

英語できるんですか?

と聞かれると困る。

英語は苦手だし、

よい思い出はひとつもないからだ。

最初の会社(商社)で入社直後に受けた

TOEICは450点で同期で最下位。

理系出身だし、

英語なんか使わないだろうと

高をくくっていたのがいけなかった。

そして商社2年目に

いきなりオージービーフ担当。

会ったこともないオージーと

電話でコミュニケーションしろ、

といわれて困惑した。

夢の中にまで

英語の会話が出てきて不眠症に陥った。

だが不思議なもので

2,3か月すると下手くそながらも

英語のコミュニケーションに慣れてきて

何とか形になった。

そこで思ったのは

必要に迫られ、追い込まれれば

何とかなるということ。

インド人も別に英語で

話をしたいわけではなくて

英語を使わなければビジネスできないので

必要に迫られて英語を話している。

日本にいると

私は英語ができないので。。。

という発言をよく聞く。

それがイコール私は日本人なので。。。

という風にも聞こえる。

たしかに日本にいれば、

英語がなくても生きていける。

だが、わざわざ自分から

壁を作る必要はないと思う。

必要に応じて英語を使えばよいのだと思う。

何かやりたい、というときに

英語がハードルになってしまうような

発想はもったいないと思う。

道路の渡りかた。

インドには信号がない。

あるかもしれないけど

極端に数が少ない。

日本人が戸惑うのは

どうやって道を渡って

向こう側にたどり着くかということ。

インド人を見ていていると

走っている車がいるにもかかわらず

器用に渡っている。

まずは、道路に飛び出し

自分の存在を相手に知らしめる。

そして向かってくる車を減速させながら、

車と車の間をひょいっと潜り抜ける。

日本だと大きな道路では

車が止まっている状態(速度ゼロ)で道路を渡るが

インドでは、相対速度を見極めながら道路を渡る。

どちらが正しいということではないが

物事は、常に動くもの。

こちらに慣れてくると

止まっているもののほうが

不自然に感じることもある。

希少性。

渡辺社長が

希少性は大事だ、

という話をされていた。

そして希少性というのは

相手が判断するのであって

希少と感じてくれる相手を

きちんと見つけることが大切だと。

コミュニティ意識が強い社会では

みんなが列に並んでいると

自分も並ばなければならないと感じてしまう。

そして長い順番待ちをすることになる。

だが、本当に希少性があり

その希少性を認めてくれる相手がいれば

列に並ぶ必要などなく

正当な評価をしてもらえるはずだ、

ということだと思う。

実は、ネット広告の世界では、

マッチングの技術が進んできて

希少性に対して正当な評価が

されるようになってきている。

たとえば就職活動などにおいても

希少性は正しく評価されるべきだと思う。

変わったひと。

優秀な人だけ集まれば

よいチームが創れるかというのと

そういうわけではない。

ドリームチームを創ります、

といって優秀な人を集めたのはいいが

何のアウトプットも出ずに

外から見ていて痛々しいことがある。

優秀な人というのは、

頭もよく理解力も高いが

空気を読みすぎてアジャストしてしまう。

またプライドが高く、反対されることを嫌う。

結果、なかなかチーム内で

反対意見を出づらい状況が生まれ

アウトプットがしょぼくなる。

そこで必要なのは

全く違う考えを持った人たちである。

一言でいうと、変わった人である。

変わった人というのは誤解を招きやすい。

チームメンバーからすると

意見がまとまらないのではないか、

チームワークを乱すのではないか、

と心配され、なかなかチームに入れづらい。

だが、アウトプットのあるべき姿というのは

さまざまな角度から議論され、

議論されつくした結果である。

そういう意味では

変わった人は、

アウトプットの質をかならず

変える人になるはずだと思う。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20121011/237930/?mlp&rt=nocnt