他人の話。
他人の話というのは
不思議なもので
(他人が)他人から聞いた話を
いかにも自分が体験したかように
話すことが多い。
実際には、伝言ゲームのように
他人から他人へ伝わっているわけで
そもそもどの話がオリジナルかも疑わしい。
そのこと自体が悪いとは思わないが
他人の話はその程度だ、
という認識は必要である。
他人の話を鵜呑みにして
どうしようか、やばい。。
と落ち込む人がいるが
自分自身の目で確かめるまでは
あきらめないほうがよい。
逆に、自分自身で体験し感じたことは
貴重なものであるので
大事にするべきである。
不思議なもので
(他人が)他人から聞いた話を
いかにも自分が体験したかように
話すことが多い。
実際には、伝言ゲームのように
他人から他人へ伝わっているわけで
そもそもどの話がオリジナルかも疑わしい。
そのこと自体が悪いとは思わないが
他人の話はその程度だ、
という認識は必要である。
他人の話を鵜呑みにして
どうしようか、やばい。。
と落ち込む人がいるが
自分自身の目で確かめるまでは
あきらめないほうがよい。
逆に、自分自身で体験し感じたことは
貴重なものであるので
大事にするべきである。
日本の開国。
海外から見ていると
日本は、本当にすばらしい国だと思う。
どの国と比較しても
サービスやプロダクトのクオリティは
圧倒的に高い。
また日本全国、
同じ言語、同じカルチャーが
共有されているため
コミュニケーションも円滑だ。
一方で、
「日本語」や「円高」のおかげで
海外の会社にとって参入しづらい国であり
ある意味、見えない壁で
ずっと守られてきた国とも言える。
だから日本から海外へ一歩出ると
まったくルールが異なる世界が
広がっていて驚く。
多民族、多宗教、多言語。。。
それらが複雑に入り混じって
国が成り立っている。
日本ではこうだ、
という考えを捨てなければ
とてもやっていけない。
だが、海外での異文化体験は
日本を否定することではなく
日本のよさを再発見することでもあり
さらに磨きをかけることであり
これからの日本の姿を創っていくことだと思う。
江戸時代末期に、鎖国が解かれて
150年たつという。
だが実際には鎖国状態だった。
情報の流通、テクノロジーの進歩により
今、まさに本当の意味での
「開国」が始まりつつあると思う。
日本は、本当にすばらしい国だと思う。
どの国と比較しても
サービスやプロダクトのクオリティは
圧倒的に高い。
また日本全国、
同じ言語、同じカルチャーが
共有されているため
コミュニケーションも円滑だ。
一方で、
「日本語」や「円高」のおかげで
海外の会社にとって参入しづらい国であり
ある意味、見えない壁で
ずっと守られてきた国とも言える。
だから日本から海外へ一歩出ると
まったくルールが異なる世界が
広がっていて驚く。
多民族、多宗教、多言語。。。
それらが複雑に入り混じって
国が成り立っている。
日本ではこうだ、
という考えを捨てなければ
とてもやっていけない。
だが、海外での異文化体験は
日本を否定することではなく
日本のよさを再発見することでもあり
さらに磨きをかけることであり
これからの日本の姿を創っていくことだと思う。
江戸時代末期に、鎖国が解かれて
150年たつという。
だが実際には鎖国状態だった。
情報の流通、テクノロジーの進歩により
今、まさに本当の意味での
「開国」が始まりつつあると思う。
成長のきっかけ。
営業にとって
ある瞬間ぐっと成長するきっかけがある。
私にとってそれは
何かを得ることではなくて
捨てることだった。
入社して間もないうちは
先輩の提案書を見せてもらい
それをまんまコピーして
提案する日々だった。
当たり前だが
先輩がつくった優れた提案書を元に
私が提案しても決まらない。
誰がその提案を話すのか
そもそも信頼関係ができているのか
という点が全く抜け落ちていた。
ある時、それを指摘されて
先輩の提案書を真似することを捨てた。
そうすると
それまでガチガチだった思考が
柔らかくなり顧客の意見を聞こう、
と気持ちになった。
それまでは他人の思考に沿って
無理やり推し進めよう、
というのが全面に出ており、
押し売りになっていたのだ。
多少見栄えや内容が劣っても
自分自身の考えが反映した提案書
に価値がある、
と気づいた瞬間だった。
ある瞬間ぐっと成長するきっかけがある。
私にとってそれは
何かを得ることではなくて
捨てることだった。
入社して間もないうちは
先輩の提案書を見せてもらい
それをまんまコピーして
提案する日々だった。
当たり前だが
先輩がつくった優れた提案書を元に
私が提案しても決まらない。
誰がその提案を話すのか
そもそも信頼関係ができているのか
という点が全く抜け落ちていた。
ある時、それを指摘されて
先輩の提案書を真似することを捨てた。
そうすると
それまでガチガチだった思考が
柔らかくなり顧客の意見を聞こう、
と気持ちになった。
それまでは他人の思考に沿って
無理やり推し進めよう、
というのが全面に出ており、
押し売りになっていたのだ。
多少見栄えや内容が劣っても
自分自身の考えが反映した提案書
に価値がある、
と気づいた瞬間だった。
不安とどう接するか
最近、サイバーに入社した
2000年頃を思い出していた。
当時、販売できたプロダクトは
サイバークリックという商品。
それをひたすらアポ電しながら
セールスしていた。
サイバークリックという
商品名の認知がないこともそうだが
社名の認知もないし、
そもそもインターネット広告って何?
という時代だった。
そういう状況下で顧客のもとに出向き
インターネット広告の特徴や将来性を
熱く語ったものである。
ほとんどの顧客は、
うーん、検討してくわ。。
で終わったが、中には
面白いね、やってみようか。。
という顧客もいた。
そういう顧客を見つけるため
1日何件も訪問をしている毎日だった。
仕事が忙しくて大変、というよりも
顧客は本当にいるんだろうか、
顧客のニーズはあるんだろうか、
という不安のほうが大きかった。
そういう不安の中、
プレッシャーにつぶされて
辞めていく人も多かった。
辞めていった人の顧客は
残った人が引き継いでいった。
1年くらいたったある時期
数字がぐっと伸びた。
百社近く担当していた顧客のうち
数社の顧客単価が
ぐっと上がってきたのである。
ネット広告が
導入期から成長期に入ったタイミングだと思う。
2000年当時のネット広告市場は600億。
月にすると約50億程度。
日々の取引が数十万円の世界で
そんな大きな規模だとは誰も信じていなかった。
だが自分たちが市場を創っているのだという
自負はあったと思う。
今振り合えると大変な時期ではあったが
二度と経験できない貴重な体験であった。
そして不安とどう接するのか、ということ。
不安はブレーキにもなるし、推進力にもなる
それは私にとって新しい発見だった。
2000年頃を思い出していた。
当時、販売できたプロダクトは
サイバークリックという商品。
それをひたすらアポ電しながら
セールスしていた。
サイバークリックという
商品名の認知がないこともそうだが
社名の認知もないし、
そもそもインターネット広告って何?
という時代だった。
そういう状況下で顧客のもとに出向き
インターネット広告の特徴や将来性を
熱く語ったものである。
ほとんどの顧客は、
うーん、検討してくわ。。
で終わったが、中には
面白いね、やってみようか。。
という顧客もいた。
そういう顧客を見つけるため
1日何件も訪問をしている毎日だった。
仕事が忙しくて大変、というよりも
顧客は本当にいるんだろうか、
顧客のニーズはあるんだろうか、
という不安のほうが大きかった。
そういう不安の中、
プレッシャーにつぶされて
辞めていく人も多かった。
辞めていった人の顧客は
残った人が引き継いでいった。
1年くらいたったある時期
数字がぐっと伸びた。
百社近く担当していた顧客のうち
数社の顧客単価が
ぐっと上がってきたのである。
ネット広告が
導入期から成長期に入ったタイミングだと思う。
2000年当時のネット広告市場は600億。
月にすると約50億程度。
日々の取引が数十万円の世界で
そんな大きな規模だとは誰も信じていなかった。
だが自分たちが市場を創っているのだという
自負はあったと思う。
今振り合えると大変な時期ではあったが
二度と経験できない貴重な体験であった。
そして不安とどう接するのか、ということ。
不安はブレーキにもなるし、推進力にもなる
それは私にとって新しい発見だった。
育成に困ってます。
育成に困ってます、
という話を最近よく聞く。
指導の仕方と
効率の問題。
一つ目については、
厳しいほうがいいのか
やさしいほうがいいのか
といったような話。
だが、その裏には
自分が過去にされてきた指導と
同じやり方を
メンバーにもしようという意図を感じる。
言い方を変えると、
自分自身を肯定するための指導になってしまっている。
これでは人は育たない。
そうではなくて
一度、自分のことを棚に上げて考えてみる。
外から見て、客観的に見て
どうあるべきなのか、何が足りないのか?
という視点で指導を考える必要がある。
二つ目については、
一人一人育成していたら
どれだけ時間があっても足りません、、、という話。
だがこの話には、
育成は一対一でしかできない、
育成のための時間を確保しなければならない、
という隠れた前提がある。
だが、普段のミーティングや会話を
育成の場にしたらどうだろうか?
24時間365日、育成され続けるはずである。
壊すという作業。
仕事は堅実だが
何か物足りなさを感じる人がいる。
別にサボっているわけでもないし、
いろいろと手を出しているのだが
これといった成果が出ない。
そういう人は、
壊すという作業が
必要なのかもしれない。
例えば
先輩達が築き上げてきたものを
なかったものだとして
一度壊してみる。
現状の改善だけだと
出てくる発想が乏しくなる。
回り道かもしれないけど
ゼロから構築してみる、
ということが必要なのかもしれない。
何か物足りなさを感じる人がいる。
別にサボっているわけでもないし、
いろいろと手を出しているのだが
これといった成果が出ない。
そういう人は、
壊すという作業が
必要なのかもしれない。
例えば
先輩達が築き上げてきたものを
なかったものだとして
一度壊してみる。
現状の改善だけだと
出てくる発想が乏しくなる。
回り道かもしれないけど
ゼロから構築してみる、
ということが必要なのかもしれない。
人としての理解。
コミュニケーション能力が高くても
人間関係でつまずいている人は多い。
コミュニケーションが
伝えることだとすると
人間関係は、
相手のことを理解することである。
共通点は何なのか。。
違いは何なのか。。
人としての理解である。
当たり前といえば当たり前だが
チームで仕事をするとなると
相手をどれだけ理解できているかが
肝になる。
これができないチームは
1+1が2どころか
1.5や0.5になってしまう。
人間関係でつまずいている人は多い。
コミュニケーションが
伝えることだとすると
人間関係は、
相手のことを理解することである。
共通点は何なのか。。
違いは何なのか。。
人としての理解である。
当たり前といえば当たり前だが
チームで仕事をするとなると
相手をどれだけ理解できているかが
肝になる。
これができないチームは
1+1が2どころか
1.5や0.5になってしまう。
価値観とコミュニケーション。
価値観が近いことは
大切だと思うが
だからといって
伝えたいことが
黙っていても伝わるわけではない。
あいつはきっと分かってるだろう、
という強い思い込みがあると
コミュニケーション量が
減ってしまう。
一方で、相手の側も
分かっていないと思われるのが嫌で
質問することがなくなっていく。
だが価値観と
コミュニケーションは
全くの別物である。
大切だと思うが
だからといって
伝えたいことが
黙っていても伝わるわけではない。
あいつはきっと分かってるだろう、
という強い思い込みがあると
コミュニケーション量が
減ってしまう。
一方で、相手の側も
分かっていないと思われるのが嫌で
質問することがなくなっていく。
だが価値観と
コミュニケーションは
全くの別物である。
会議は決定の場。
最近気になることは
会議で決めたことが
なかなか実行に移されないこと。
仮に、
疑問や反論があるのであれば
会議中に発言し解消すべき。
発言がない、ということは
同意したものだ、と見なされる。
一番よくないのが
会議では一言も発しないのに
後から、
ああだこうだと言い訳して
実行を遅らせること。
会議は決定の場だ、
という緊張感を持って
臨んでほしい。
会議で決めたことが
なかなか実行に移されないこと。
仮に、
疑問や反論があるのであれば
会議中に発言し解消すべき。
発言がない、ということは
同意したものだ、と見なされる。
一番よくないのが
会議では一言も発しないのに
後から、
ああだこうだと言い訳して
実行を遅らせること。
会議は決定の場だ、
という緊張感を持って
臨んでほしい。
精神のタフネスさ。
海外に行くと
必要だと感じるのが
タフネスさ。
これは、
体力的にも精神的にも
両方でいえる。
体力は、体を鍛えるしかないが。。笑
精神は、どう鍛えるか難しい。
ロジカル、
判断スピード、
ディスカッション、、、
日本人が
文化的に持ち合わせなかったことが多く、
苦戦を強いられる。
だが一方、
日本には、おもてなし文化を筆頭に
よい面もある。
弱点に気を取られがちだが
よい面にも光を当てるべきである。