こういうこと言うのもなんだが、原爆に関連の深い長崎人であるからにして許していただこう。

正直、原爆ドームとかは暗い気持ちになるので今一つテンションが上がらなかったのだ。

そういうわけで厳島(宮島)には純粋な物見遊山気分で行けるというものだ。

廿日市側の船着き場

 

広島市から厳島までは20Km弱で例によって国道2号に乗って行くが、川の町・広島市というのは東西方向の道が川で寸断されておりいきおい橋に車が集中することになる。

そういうことで広島市を抜ける方に時間がかかり、廿日市市に入ってからはスムーズだった。

廿日市市は初見ではまず読めまい。
私もまったく読めず(???)となっていたが走っている最中に案内標識のローマ字でようやく分かったものだ。

 

この船で渡るのよ


厳島には船で渡るが大した距離でないので橋で十分そうだが、景観を損ねる問題もあるだろうからそういうもんだと勝手に理解。




潮のおかげで周囲に誰一人いなかった


渡る前の時点でそうだったが観光客が多すぎて身動きが取れない。とりあえず混む前にさっさと昼飯としてアナゴ丼とうどんを食い、神社などはっきり言って別に興味ないのでほどほどにして、鹿を見たりしながら島の真ん中らへんにある宮島水族館を見物する。

 



鹿が…多い…!

 



 


(´ー`)




ところで厳島はより一般的な呼称として宮島と呼ばれているがどっちの呼称でも別に間違いではないらしい。「厳島」が正式名称で「宮島」が通称という扱い。「北野武」「ビートたけし」と同じ考え方でいいだろう。

 

潮が引くと人が集まってくる

 




帰りは往路と同じく呉港から乗船するつもりでいたがそれも芸がないと考え直して宇品港から乗船。

路面電車の路線はここ宇品港はもとより厳島まで伸びていてさすが

日本最大の路面電車網である。

遠くなる広島市


広島から松山までは2時間40分と八幡浜~別府間に匹敵する。
長崎県出身者にとって特別な地である広島であるが、かねて行きたいというより行かなければならない気持ちがあったので、今回訪ねたことで長年の約束を果たしたような気さえする。

なんとなく厳粛な気分になるというか、とかく広島というのは個人的にネタにしづらくふざけにくい。

おかげでずっとテンション低めである。

 

 

城の後は快活Clubで少し休憩し、夜の街を歩いてJR広島駅まで行ってみる。
この広島駅というのがなんともでかい


四国一しょぼい県庁所在地のJR駅と言われる松山駅とは比較にならんでかさ。

 

 


このように駅の構内まで路面電車も乗り入れてくるという規模の充実ぶりだ。
考えてみると中国地方で第一等の都市といえばこの広島市であり、でなければこうも立派にはならんだろう。



翌日は早朝から太田川周辺を歩いてみる。

 

 

 

 

川沿いに公衆トイレがあるがこれは被爆建造物として唯一であり現役使用されているのでせっかくだから利用してみた。
使ってみた感じごくごく普通のトイレである。


神崎小学校近くの公園のカバ


それから神崎小学校の回りをぐるりと歩いてみた。
大好きな漫画のひとつである「はだしのゲン」の作者、中沢啓治先生の母校であり、当時国民学校一年生だった中沢先生はその登校途中、原爆炸裂時たまたま学校のコンクリート塀の影にいたため熱線から遮蔽され、爆風で倒れてきた塀からも街路樹が間に挟まれたおかげで潰されずにすみ危うく生を拾ったのだという。神崎小学校の位置は当時とは変わっているようだが雰囲気というか空気感は多少は偲べるもの。

 


そしてバイク取りに戻る途中で爆心地にも立ってみる。
長崎の場合は爆心地公園として中心に碑が立っているが広島は当時からここにあった島病院の直上が爆心地であるため案内板があるのみ。

 

 

 

中国地方と九州で相当離れているがやはり広島にいると長崎のことを思い起こすことが多い。

 

 

からは国道2号で広島市に入り、袋町の地下駐輪場から川沿いに歩いていく。

広島の中央商店街

 

広島市というのはやはり中国・四国地方において第一等の都市であり、松山市など規模、開発度において比較にならない。高松市にも相当水を空けられているので順位でいけば4番目くらいが妥当だろう。

 

こんな高いビル松山にはありませんよ

 

 


そして太田川にかかる相生橋の傍に立つのが原爆ドーム。



これを見て、傍に立ってみて、胸にくるものがあったのはやはり私が長崎県出身者であり、直接でなく救護被曝という形といえ被曝三世であることも根底にあるだろう。
世界でただ一つ同じ存在と呼べるのが長崎にとっては広島であり、その逆も然り。
他のどの土地の人間にもこの気持ちは分かってもらえないだろう。
今住んでいる愛媛県には元々好感を持っていたのだが広島県には又それとは少し違う形容し難い感情があるのだ。

 



架け替えられた旧相生橋の欄干

 

 


それから一旦離れて昼ご飯としてお好み焼きと牛すじ。なんとなく名物も食べておかないといかんと思ったので。

 



広島城にもぶらっと行ってみる。
昭和二十年までは現存天守のひとつだったがあいにく爆心地に近く原爆の爆風により倒壊したという。

復元天守ではあるが鉄筋コンクリ工法なんて無粋なものでなく木造なので雰囲気は十分。

 


石垣も熱線を受けて赤く変色しているなど長崎と同様に被爆の遺構というのが随所にある。

どことなく、なんとなく、郷里の長崎を思い起こすことが多い。