エリ・ヴィーゼルの「夜」から知る人間の闇と弱さ | キリストと共に

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あなたの神、主は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によってあなたに安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」と。

ゼパニヤ書 3章17節

トランシルヴァニア(ルーマニア)で幼年時代を過ごしたユダヤ人のエリ・ヴィーゼルは、15歳の時に家族と共にアウシュビッツの強制収容所に送られます。彼の著書「夜」で、1944年に起きた出来事を詳細に見ることができます。この事実を目の当たりできるのは、彼が奇跡的に生還し、細かな描写を生々しく記してくれたからです。



ヤドバシェルバーチャルツアーに参加してから、ホロコースト関連の映画を観たりしましたが、今回じっくりとホロコースト生還者の本を読み、アウシュビッツでの出来事に触れました。ユダヤ人の筆者が受けた強制収容所での選別、幼児の焼却、公開処刑、雪の中の極寒の死の行進など、ホロコーストの生々しい闇の行為を静かに語っています。


ナチスの圧政は、ユダヤ人を殺害し、ソビエト人捕虜の殺害、他にもポーランド市民やソビエト市民をポーランドで強制労働させるなど、悲惨なものでした。著書「夜」の序文でフランソワ・モーリヤックは、“私たちはナチスのとった皆殺し方法をまるきり知らずにいた。それに、そんな方法をだれに想像できただろうか!”と記している。それほど、とても考えも及ばない方法で彼らは人間を扱いました。



たくさんの悲惨な出来事を見る中で、いくつかを振り返りたいと思います。

ロシア兵の前線が収容所に近づく中で、エリ・ヴィーゼルが足の手術を受けた後、雪の降る極寒の最悪の状況の中で、囚人たちは収容所をあとにして、強行軍で歩かされます。その距離なんと70kmでした。体力がなく、寒さの中、遅れる人は撃ち殺されます。



また、その後は、囚人は列車で移送されることになります。親衛隊員は、家畜用の貨車一台に約100人を押し込みます。外は雪、途轍もない環境の中で、10日間走り、残った人は12、3人でブーヘンヴァルトに到着します。



読み終えて、あらためて人は無力で弱いと思わされます。無力だと思う一つは、自分の意志とは関係なく、生活が一変することです。私自身、経済的に立て直そうとあれこれ思索を巡らせ、こうしようああしよう、と形を作ろうとします。しかし、たった一つの出来事、数秒、信号待ちで追突されたことによって、その一瞬によって、仕事も生活も全く変わってしまったのです。自然災害や疫病や戦争などにもなすすべはありません。コロナやウクライナ戦争は、世界を一変させました。もう一つは無力というより、弱さといった方がいいでしょう。私たちは、神様を喜んでいただくべく正しい生き方をしたい、清い心を持ちたいと思います。しかし、どうでしょうか、それとは反対のことをするのが人ではないでしょうか。



パウロは、今でいうエリート中のエリートでしたが、キリストを知った時、みじめな人間、罪人のかしらと言いました。パウロは彼の手紙で「しかし主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである』と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。(第二コリント12章9-10節)」彼の受けた侮辱、迫害などは、それも酷いものでした。しかし、彼の喜びはキリストにありました。私たちの希望は神にあります。



エリ・ヴィーゼルのトランシルヴァニアでの生活が、ナチスの仕業によって壊され、母と妹が殺され、父は病死しました。ホロコーストによる不条理な迫害と殺戮は、あまりにも大きな悲劇を生みました。考えさせられる本との出会いでした。神の前にひれ伏し、へりくだって、ただ神を礼拝する、このことにしっかりと心を向けていきたいと思いました。


人は安心・安全・平和に焦点を置き、自分こそ正しいのだと、自分でやってきたことがあたかも私の能力なのだと誇りますが、どうなのでしょうか?ホロコーストから多くの気づきがあり、教えられることがあります。私たちは神に似せて作られましたが、神から離れました。だから自分で何とかしようと自分を中心に考え、それは高ぶりの一つです。罪からくる報酬は死です。