昨日、今日の仕事で教えられたことで、恥ずかしくない結果はしたくないとの思いがある時、何とか上手くやろうとする誘惑、これに囚われ、物事がスムーズにいかなくなります。それは仕事であり、信仰生活でもあるでしょう。仕事において未知の領域に入った時、緊張が生まれ、身体が硬直します。自分でもあらためて考えて不思議ですが、上手くやろうとしてしまいます。これはとても危険な考えであると思います。その一つは、まことの神である主により頼んでいません。ほんの僅かな「上手くやろう」が、主を見失い、強烈な自己中心とともに、行くべき道さえも誤ってしまいます。どうでしょう。主がともにおられるなら、不安になることがあるでしょうか?振り返ってみると、教会での奉仕でもそうです。何もかも主から与えられているのに、自分で何とかしようとしてしまいます。主にゆだねる、というところに目を注ぎたいと思います。人生全般において、自分で何とかしようとすることは、とても多くあります。
心を尽くして主に拠り頼め。箴言3:5
もやもやしたものがいろいろありました。「これでいいのかな」「この先大丈夫かな」多くの方がこの思いに駆られているのではないかと思います。「私は上手くできなくていいんだ」というところ、すなわち、主がしてくださるというところに立てたなら・・・何とリラックスした、それこそ、すべてに喜びを表していけるのではないかと思います。
クリスチャンであり、ニューヨークヤンキースでクローザーで活躍したリベラ投手の言葉と彼の考え方に頷きます。彼は、その著書の中で、
人生のあらゆる場面で心がけてきた「シンプルに。」
彼は数々の記録を打ち立ててきましたが、どんな時も同じ態度でした。私たちは自分を誇ってはいけないのです。この僅かな自分を王とする力、この力を打ち破り、キリストを主としなければならないのです。
主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。エレミヤ9:23.24