それゆえ、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。「見よ。わたしは、わたしの顔をあなたがたからそむけて、わざわいを下し、ユダのすべての民を断ち滅ぼそう。」エレミヤ44:11
神の家族とともに過ごす一日はなんと素晴らしいのでしょうか。励ましと力、癒されます。神を主とし、王とし、その神の愛を受け取り、信頼していく時、どんなことが起こっても、この神に信頼し、従って行くことに心を注いでいきたいです。日々、いろんな出来事が起こりますが、へりくだって、謙遜に仕える姿勢で取り組んでいる時に、何事にも対処できることができるのではないでしょうか。
神に信頼するという関係の中に救いがある。
ユダの町々やエルサレムのちまたで、あなたがたや、あなたがたの先祖や、王たちや、首長たち、それに一般の人々がいけにえをささげたことを主は覚え、心に思い浮かべられたのではないか。エレミヤ44:25
神の愛に応答する。
わたしのしもべヤコブよ。恐れるな。
――主の御告げ――
わたしがあなたとともにいるからだ。
エレミヤ46:28
このみことばに励まされます。主がともにおられるゆえに、どんなことがあっても恐れる必要はありませんね。神との関係に救いがある。
どこにいっても救われる。
神との関係に安らぎがある。
しかし、私たちがさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです。第一コリント11:32
いろんな状況に置かれます。それぞれが、何でですか?と叫びたくなる時もあります。しかし、振り返ってみると、いろんな気づきを与えてくださるのです。
子供礼拝は、「アブラムと分かれたロト」でした。ロトは神の言葉ではなく、目で見て良い場所を選びました。
私たちもいつもこの戦いがあるのではないでしょうか。礼拝後の交わりも祝福されました。交わりでたくさんの励ましを受けました。恐れというものが、私たちを襲い、力を奪い、信仰を弱らせていく。この恐れという強烈な力が人の心を、本来あるべき平安を奪い、神との関係に亀裂を作り、向くべき方向が神ではなく、自分、そして、人はどう思っているだろうかというところにいってしまいます。
恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。イザヤ41:14
神が助けてくださる、神に信頼していくところに全き平安があります。この一週間が御霊によって、キリストの平安の中、守られ、強められ、へりくだって歩んでいくことができますように!