こんにちは。鈴木智恵です。
写真は愛媛県宇和島市の覗き岩という岩。
この日は1月だったけど快晴で、凪で水も澄んでとても奇麗でした。
雨で荒天の天気予報だったんですけどね。さすが私
----------
このブログに書いていることは私の経験と感覚、考えに基づくものでして、
信じられない内容や不思議に思う事もあるかもしれません。
もしピンと来ない場合は遠慮なくスルーしてくださいね(^-^)
----------
さてさて。
先日の3月11日は、東北の大震災から丸9年の日でしたね。
あの日、私はまだ東京で働いていて、真新しい免震構造のオフィスビルにいました。
それでもずいぶん揺れたのを覚えています。
あの日は金曜日で、もともと翌日も休日出勤するつもりでした。
夜になっても電車の運行は再開せず、私は夜通し仕事しつつ、
合間にネットでニュースを見る度に心がザワザワしたのを覚えています。
確か夜のうちに「津波で500人が流された」という記事を見たように思います。
胸が詰まるように苦しくて、被災者の無事を祈りつつ、淡々と仕事をしました。
でね、多くの人が3月11日を迎える度に、そういうのを思い出す訳です。
大勢の人が、亡くなった方々のご冥福を祈り、心を悲しみに沈める。
テレビも悲しみを誘うように報道し、悲壮感たっぷりに
「今もまだ仮設住宅で暮らす人が・・・人います」みたいなことを報じる。
こういう時、あまりに多くの人が悲しい気持ちになるので、集合意識が動いてしまいます。
スピリチュアル的に言うと「波動が下がる」と言いましょうか。
地震に気持ちを向けると地震やそれに似たモノを引き寄せてしまいます。
今生きている私たちは何を選択し、どう生きるか。
徒(いたずら)に心を悲壮感に浸すのではなくて、
前向きに捉えて今後に生かすのが、今を生きる人の務めだと私は思います。
先日投稿したこちらの記事にも書きました。
人はウッカリ死ぬとかあり得ません。
地震や津波でウッカリ何かの手違いで死んだ、なんてありえないんです。
生き残った方も、死んでしまった方も、
その人にとってその災害がどういう意味だったのかは千差万別です。
その災害で何を体験したかったのか。
例えば9年経った今もなお仮設住宅に住んでいるからと言って、必ずしも不幸とは限りません。
私も二年前に洪水を被災した時に感じました。
もちろんなかなか不幸感から抜け出せない人もいますが、それもまた本人が望んだ体験。
その一方で、
被災した時にその人の得意な事を発動して活躍した方、
被災が転機になって自分らしい人生に舵を切った方も大勢います。
もちろん家や家財など失ったものもありますが、それを不幸というのでしょうか?
災害なくあのまま生きていたら、自分が望んだ体験ができたでしょうか。
そう思うとね、徒に心を傷心に浸すこともなくなると思います。
大変だったことは未来の糧に、ですね
では引き続き、良い週末を~