スピリチュアルな人達(その2) | 光の世界からのギフト

光の世界からのギフト

私たちは光の世界からやってきて
この世を旅して
光の世界へと還る

(花だいこんの繁殖力はすごいです。)

蒸し暑い日が続き少しだれ気味ですが、2時間ほど寝て復活できました。

プライベートで少し忙しい日々を過ごしていました。物欲の塊のような人物と対応しなければならなかったのです。

私は怒りよりも、哀れな人だと内心思い、冷静に対応できました。エゴを捨てる内省をしてきたおかげだと思います。

ご先祖や守護霊にサポートをお願いして乗り切ることができました。

  

 

 スピリチュアルな知人にA先生がいます。別に先生の肩書がある人ではないのですが、私をはじめ彼の世話になった人達が勝手につけたのです。

A先生はあの天才治療家で霊能者と呼ばれた野口晴哉氏の内弟子だった人でした。江戸時代の大きな藩の家老の子孫で裕福な家の生まれでした。でも、野口氏に憧れて高校を出て内弟子になったそうです。その後、野口氏に広く世の中のことを学ぶために大学へ行きなさいと言われて、大学では「心理学」を学んでいます。

私はA氏とは彼がリーダーのサイクリングクラブで知り合いになりました。 A氏はクラブの人達の体の不調を次々と治してくれるのです。今思うと彼はヒーラーでした。その後、私が妊娠すると胎児は男の子だからと、私の体調が悪いとやってきてくれて、胎児と話して治してくれるのです。

ヒーラーの存在を知らなかった私は魔法使いとあだ名をつけていました。私には素質があると言い、子供の調子悪い時には、手にエネルギーを集めて、温かくなったら、子供の冷たい場所を見つけて、そこを温めてあげなさい。と教えてくれました。

そこで、私は野口晴哉氏ワークに参加したりして、整体を学び始めたのです。

A先生は、大勢の人達を無料で治したり、アドバイスをしていましたが、お金はもらいませんでした。都心に小さなアパートを持ち、郊外に親が庭付きの家を建てくれて、上の階は貸せるようにしていましたが、煩わしいからと一人で住んでいました。

食事は2食で、朝はピーナツとパンで、夕食は野菜を煮込んだうどんを食べているベジタリアンでした。そんな食事なのに、サイクリングの時はとてもパワフルな体力の持ち主でした。

多くの縁談を断りつづけるので、親しくなってから、結婚しない理由があるのですか?と尋ねました。

彼はカルマの法で先祖が(沢山の罪なき人を殺めているそうです。)重いカルマを作っていて、彼の家は代々長男が若くして亡くなるそうです。A先生の兄も若くして事故で亡くなっているそうです。

そこで、彼は自分の名前を変えて一という数字を付けて長男となり、自分の代でカルマ返して〇〇家を終わりにしたいので、「結婚はしない。」と言うのでした。「他の姉妹たちの子供達にカルマがいかないようにしたいから・・・」とのことでした。

甥や姪をとても可愛がっていました。その後、独身なので、親の介護をするために親元に帰りましたが、私達は何かあると彼に電話をして、アドバイスをもらいました。離れていてもアドバイスは正しくて助かりました。

自分では「霊が視える」とは言いませんでしたが、私がアイイスで学び始めて、霊界の存在を理解できた時に、A先生は霊能者ではないか?と思い、電話をかけて尋ねてみました。「あなたは霊が視えるのでは・・・?」「視えますよ」との返事でした。「いままで、どうして教えてくれなかったのですか?」「別に自分から言う必要はないでしょう。」との返事でした。

その後。彼は両親を見送った後で、自分の現世での役目は終えたようで、58才と言う若さで、旅立ちました。彼の死の半年後に、私の夫が癌ではないかと疑われて、S・A・G・B・のミディアムのリーディングを受けたのです。その時、なんとA先生が現れて「癌ではない。いまカルマを返しているから、3ヶ月後には回復します。」と教えてくれたのです。そして、その通りに3か月後には夫の体調が回復しました。A先生は光の世界へ還ると、すぐに、ヒーリングガイドとして働いていたのです。

私はヒーラーとして仕事をする時に野口先生やA先生にヒーリングを送ってくれるようにお願いしています。お二人とも、静かな中に鋭い光のある瞳の持ち主でした。私はこの出会いに心から感謝しています。

 

(兵庫県の天滝・すごいパワーを感じました。空海も訪れたそうです。)