日本人の精神性
1.日本人はご皇室から、一般の末端の臣民にいたるまで、誰もがお互いの思いやりの心を大切にしようと育んできた国だと言われる。他の多くの国々は、人と人とが争ってきた、もっというなら戦争によって歴史が築かれてきた。けれど日本には、人々にとって戦争よりももっと怖いものがあった。それは天然の災害だ。災害はいつやってくるかわからない。だから日頃から、人と人とは互いに協力しあって災害に備えていく。つらいことは、必ずやってくる。だからこそ、平時には少しでも明るく楽しく、思いやりの心をもって過ごす。災害がやってきても、決してくじけず、皆で協力しあって復興を行なう。こうして生まれたものが、日本的精神。
2.どんなにつらくても、どんなに苦しくても、泣きたくなるようなことでも、明るく笑ってそれに耐え、明日を信じて前を向いて進む。その底抜けの明るさが、かつての日本人の一般に共通した心。では、かつての日本人は、どうしてそのような心を持つことができたのか。このことを考えるにあたって、ひとつの例を申し上げる。かつての武士たちが、なぜ武士道を保つことができたのかの理由を承知のことだ。簡単に復習すると、武士といえば「仁義礼智忠信孝悌など儒教の精神等を四書五経を通じて学んでいたから武士道を保つことができた」というのが従来の説明だ。けれど、四書五経が武士道精神を築き上げたのだというのなら、チャイナやコリアこそ儒教の本場のはずだ。そこで、どうして日本の武士道のような精神性が育たなかったのか。日本の武士だけが、極めて高い精神文化を築くことができたのか。
3.「武士道とは死ぬことと見付けたり」という有名な言葉で知られる『葉隠』が、その根底にあったのではないかという説も間違いだ。『葉隠』は、佐賀の鍋島藩士であった山本常朝が口述したものを同藩士の田代陣基(つらもと)が筆録したものだが、当時は禁書にされていたくらいで、武士道一般の思考とはかけ離れたものだ。また新渡戸稲造博士の『武士道』は、明治に入ってから英文で書かれた本であって、武士の時代に武士道を築いたものとは異なる。
4.では、何が武士道を形成したのかといえば、その答えが『お能』にある。武士は幼い頃から能楽に親しみ、能楽を通じて日本的精神を学んでいた。儒学等はその基礎の上に、その基礎をさらに言語によって補強するものとして学んでいた。つまり考える価値観の根幹となる日本的精神を、先に確りと身に付けていたからこそ、外国の書である四書五経を学んでも、あるいは蘭学を学んでも、それらを全て武士道精神に活かすことができた。そしてその精神性を、かつての陸海軍は確りと日本の武士道精神として受け継がれて行った。日本が、先の大戦においても、極めて強い国として、最後まで持ち場を離れず戦い抜くことができた最大の理由だ。つまり何事も、基礎・根幹がある。
5.お能と似たもので、狂言や歌舞伎があるが、狂言も歌舞伎も、もともとはお能の演目を、もっとわかりやすくとか、もっと面白く楽しくとか、もっと派手に演出してなどと、工夫して庶民向けの芝居小屋で演じられたものだ。つまりその原点には、やはりお能がある。冒頭のお話にある加東大介は、その芝居小屋の出だ。もともと父も芝居小屋の出だから、加東大介は武士ではない。けれど、芝居を通じて、幼い頃から武士道に接していた。つまり彼の価値観の根幹には、やはり武士道精神、もっといえば日本的精神性が確りと根づいていた。だから、彼は、最後の最後まで、芝居を通じて戦い抜くことができた。
6.どんなにつらくても、どんなに苦しくても、泣きたくなるようなことでも、明るく笑ってそれに耐え、明日を信じて前を向いて進む。その底抜けの明るさが、かつての日本人の一般に共通した心だ。価値観の根幹となる日本的精神・・・これを詰めていうと「国民精神」となる。その「国民精神」を英語で言うと、「アイデンティティ(Identity)」になる。戦後の日本人が失ったもの、或いはそれこそが、価値観の根幹となる日本的精神だ。これを取り戻していくこと。道は険しく遠いかもしれないけれど、今や世界がそれを待っている。