ihsotasathoのブログって言うほどでもないのですが

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twitterで書いたことをまとめたりしていましたが、最近は直接ココに書き込んだりしています

Amebaでブログを始めよう!

前回と今回の話を整合させる

前回の内容を要点ごとにおさらいしつつ、今回の話題との関係を説明します。

意識が磁気側であるとする部分

(前回)

脳を物理的に観測するだけでは、意識の内容を再現できません。

AIを駆使した推定の研究が進んでいますが、いずれにせよ意識の内容は、直接観測できない何かのようです。

磁気は予てより見えない事象であり、意識と対応づけられる有力な候補と考えました。

(今回の考察)

小さい現象だから見えないという考え方もあります。

磁気側と言っていたところを電磁作用に改め、さらに光量子よりも小さいスケールに刻まれているとしています。

その磁気側から電気側を推測した結果が意識であるとする部分

(前回)

我々が意識としていることは、磁気側から電気側を推測している結果ではないかと前回提起しました。

(今回の考察)

 磁気側という言い方はしておらず、電磁エネルギー循環構造や、電磁ポテンシャルという言い方をしています。

電磁を区別しない見方に改めていますので、磁気側から電気側を推測しているという言い方は適切ではありません。

脳が何らかの働きをした時の副産物として意識が生じているという解釈は変わっていないため、厳密には「脳の電磁作用が、外界を電気側の事象として推測している」という言い方に変わるものと思います。

ここで電気側としたのは、磁気は見えていないため認識から外れを得ないというだけで、物体が電磁作用から成っていることを否定するものではありません。

そして脳の電磁作用における推測は、方角と長さに対して行われており、光と同じ電磁作用における距離の捉え方と同じように扱われていると考える一方、意識の上でも1つの点に定まるのでは無く、確率のまま感じているとしています。

方角や長さについては最大限推測して絞っているものの確率のままで、その場所や範囲に感じている質感として確定する、という考え方です。

その推測では、イージーな推測とハードな推測が連動しているとする部分

(前回)

自分自身と自身を取り囲む環境を、正確に推測できることが、自分自身を正確に操作する上で必要になります。

その推測と推測のやり直しが、常に、脳と体で連動して行われていると考えられます。

そこで構成された物体としての推測の仕方がイージーな推測とするならば、このイージーな推測における神経細胞やそのネットワークの動きと、そこに生じる磁気の大きさが表裏一体である関係と併せ、磁気側でも推測に相当する何かが起こっていると考えられます。

そこから、意識される内容もまた、定まると考えました。

(公開の考察)

神経細胞の成り立ちを、電磁相互作用の観点から整理しました。

神経細胞を構成するにあたっては、光量子単位のエネルギー交換が物質(化合物、結晶、原子)の結合や分離で必要になっています。

これは電気側の立場に相当しますが、神経細胞に伝わる信号を見ると、この大きな粒度のエネルギーのやり取りまではしていないようでした。

また、神経細胞は経験を通じて神経細胞の繋がり方、つまり電気の流し方を変更していきます。

これは経験した内容を記録していると捉えることができます。

一方、意識される内容、つまり記憶は、磁気側を加えた、電磁作用の視点で考える必要があり、電気側よりも細かい偏差が、そこで表現されると仮定しました。

この偏差とは、化合物が化合物としてあり続けるエネルギー量を変えないが、それを構成する内容を変えることを、物理としてあり得そうな事象で説明したものなのですが、今はまだ概念的なものです。

 

(前回)

電気側(神経細胞)で推測が働くのに合わせ、電磁の観点でも推測が働くであろうと考えました。

そしてその推測のされ方が、電気側の推測と合わせて行われるといった感じでしたが、具体的ではありませんでした。

(今回の考察)

電磁側の推論は電磁ポテンシャルに溜まった偏差の集合(記憶の集合)の中の「位置(方角と長さ)」が変分原理=光が直進する原理に従って整理されるとしました。

この整理の仕方が磁気側(今は電磁側というべきだが)の推測の仕方ということに対応づきます。

その連動では、イージーな位置の問題とハードな位置の問題の解決が連動しているとする部分

(前回)

推測が効果的に行われる条件として、観測対象(自他問わず、質感によらず)の位置の推測が、少なくとも重要だろうと前回考察しました。

(今回の考察)

位置が特別な質感である点を継承しています。

この位置の質感がどの質感にも付随することから、特別な質感で、これは電磁作用における基本的属性ではないかと考えます。

また推測については、検索器の働きの一部として行われると位置付けました。

そこでは偏差に対して、明晰さの向上、経路の集約、時間の遡りなどが影響して、電磁ポテンシャル内の偏差の集合を効率的に配置するような要請が生じ、最も空間を占めるサイズが小さくなる=偏差の始まりの場所への回帰ように配置されるのではないかと考察しました。

そのため今回の議論では、推測という限られた場合にとらわれない、検索(推測が含まれる)の範囲に拡張して論じたことになります。

 

以上で、前回のと今回の説明の整合を終わります。

 

締めくくりに、記録と記憶の違いについて改めて考え、記憶には極端な性質があることに触れて終わりにします。

 

神経細胞群の経路としての記録が、経験を通じて整えられていくことで、自分自身の体の理解や、環境の観測精度や、適応的な思考などが身につきます。

これは検索器から効果器への機能の変遷に対応します。

それと併せて、特定の形(色の差分の集まり)、特定の言葉(音の差分の集まり)などの記憶も、神経回路網の記録という形で整えられていきます。

これは分類器の中で、より抽象的な分類をするような階層構造を想定することで説明できそうです。

一方で、さまざまな経路を経て集まってくるような神経細胞群は、特定の記憶は持たず、論理的思考する神経回路の記録を担うようになります。

これは、分類器から汎用器への経路と、汎用器内の経路の話に対応します。

 

論理的思考では、所詮は有限の神経回路網の経路をなぞる活動でしか無いはずですが、それにも関わらず、有限を超えるような意識を起こす場合があります。

例えば、以下のような意識です。

 

真っ直ぐで無限に続く直線(ある2点を通る直線を果てまで伸ばす)

数字の個々の値を記憶できないにも関わらず無限に数字の桁がある状態を感じる(無理数があると理解する)

 

動いていないものを動いているのと錯覚するように、これも記憶の参照の仕方から生じた錯覚のうちの1つかもしれませんし、意識が働く時に行われるであろう変分原理が適用された結果そうなることがあるということかもしれませんが、有限の物理構造である神経細胞が、記憶したそれを組み合わせることで、無限に感じられる何かを得られるとは、不思議なことです。

 

何か似たようなことがないかと思い浮かべると、例えば、鏡が2枚あれば互いに合わせることで、無限の繰り返しを表現させることができます。

これと同じようなことを、特定の神経回路の記憶と、記号や形の記憶の組み合わせから、変分原理の性質も手伝って?実現できるのかもしれませんが、今回はここまでといたします。

 

余談(以下は未記載にするかも)

自分を意識することと自分とは何かについて

自分を感じる意識は、自分と自分以外を見分けるために、過去から構築された神経回路の記録と、それによってその時の今に確認した自分の何某かを意識することで成立する、自分に対する記録や記憶の総体でしょう。

 

ここでの記憶は、自分とそれ以外を無意識下で区別する、神経回路の記録の駆動により、呼び起こされていると考えます。

自分を記憶から意識するという意味では、体に関する記憶(視覚や通じて得られる形や動きの影響が大きく、平衡覚や第一次感覚野の影響は小さいと思われる)や、自らの声、内言による自らの説明などもあります。

 

神経回路の記録と記憶の構築は、その人がどのような環境で生まれ、育ってきたかに依存して人それぞれに仕上がりますし、生きている限り変わり続けます。

その人がどの記録や記憶を使って自分自身を感じているのか、定義しようとしているかという点においても、人それぞれ、その時々になってしまうでしょう。

自分の定義を全ての人で同じとすることの難しさが、ここにはあります。

(分人という考え方もありますし)(参考:分人主義:https://dividualism.k-hirano.com/)

自分とは何かという問いへの答えは、あってないようなものです。

自分をどのように意識するかをどのような仕組みから実現しているかを説明できても、その仕組みを使ってその人が今まで生きてきた結果、自分をどのように意識するようになったかは、その人の勝手でしかありません。

その人はその人で見つけねばならず、他の人は他の人なりの方法で見つけるでしょう。

それでも、自分と他人で「自分」の定義を合わせたければ、常に会話し、お互いの経緯を事細かに確認し合う姿勢が求められます。

自由意志について

生まれを自ら選択できない時点でそもそも不自由確定であるため、自由意志を問うのはおかしな話かもしれません。

生後も、意思を持って行動してきてように見えて、多くの行動を無意識にこなしていたりします。

脳を見てきても、無意識に駆動する神経細胞の記録を介して意識は生じており、そこにも自由さを見出せません。

 

それは脳というものを観測してしまったが故に起こった不慮の事故ですが(脳を見なければ自由意志は確かに存在する!)、そうである以上、自由を求めて、自由を再定義していく必要を感じます。

我々はなんらか、自由であることを望みます。

 

この自由とはつまり、理不尽な生まれも含め、それまでの自分を否定したり忘れたりする意味や、今の自分よりも相対的に自由になるよう振る舞うことを「自由意志」と呼ぶのだろうと思うようになってきています。

絶対的に見たら不自由でしかないが、今の不自由から不自由さを減らす、相対的な自由であれば、常に求めることができます。

不自由を理解したからこそできる意味の自由を求めるのです。

変分原理がわかっていれば、あえてその変分原理から外れたことをすればいいのです。

(まだ見えていない部分に別の変分原理が糸を引いているのでしょうが、知らなければ自由は確かに存在します)

 

しかしながら注意せねばならないのは、自由と幸福は別物ということです。

自由だからこその不幸や、不自由だからこその幸福というものが存在します。

(何を幸福に感じるかも、人が進化してきた過程の中で仕組まれたことですけれども)

 

2024年6月 意識について 2024 下 (2)

はじめに

今回は、上編と中編を踏まえます。

未読の場合にわからない場合がございます。

文献を参照して説明している内容以外は未検証です。

ご承知おきください。

意識が生じる条件の探索

以上のように、さまざまな記憶の可能性について考察しましたが、これらの記憶からどのように意識が構成されるかが(も)問題です。

物理事象ということからすると、変分原理から説明できることが望ましいと思われます。

何に対してその原理が働き、どうしてそれを最小化させる必要があるのか、はっきりさせる必要があります。

 

神経細胞に残る偏差は、その神経細胞がどのような内容を受け取るかにより、記憶の明晰さが変わってくると考えました。

例えば、特定の偏った受容器から受け取り、内容も特定の内容に偏るような信号ばかりを受け取る神経細胞の場合、偏差の特徴が累積させていき記憶が明晰になっていきます。

これは受容器固有の質感が保たれている状態といえます。

こうした神経細胞を記憶付き分類器と命名することにします。

 

一方、あらゆる受容器から、あらゆる内容の偏差を受け取る神経細胞の場合、偏差の特徴が他の偏差の影響を受けて滲み、記憶がぼんやりと広がりを持って、曖昧になりやすいと考えられます。

これは受容器固有の質感が保たれていない状態といえます。

ただし質感は保たれないものの、偏差における相対的な方向や長さは、汎用化された中でも形成され得るものと捉えます。

こうした神経細胞を汎用器と命名することにします。

 

分類器は特定の受容器の受容野やその近辺で形成されると考えられます。

汎用器はそうした分類器から後方に位置づく、つまり、入力から遠い場所の神経細胞で見つかるものと考えられます。

 

他にも器の分類があります。

先のふたつの器と、以前から定義されている受容器や効果器を含め、以下にまとめます。

受容器や効果器以外は、この記事における造語です。

これらの神経関連の器官を組み合わせて、どのように思考し行動するのか考察する中で、意識が働く部分を絞り込んでいきます。

以下にこれら器官の組み合わせと働きを概略的に示した図を用意しました。

こちらを使って説明してみます。

①の受容器で信号を受け取り、それらが脳の受容野に渡され特徴ごとの経路に細分化されます。

この時、受容期間に応じた差分(位置と方角についてはどの場合も)に応答しやすい細胞群に渡されます。

②それら差分を記録した細胞群から、それらを時間的や空間的に組み合わせる神経細胞の繋がりの記録、意識される内容としての記録も、この中で階層構造を成して構成されると考えられます。

これらが分類器として機能します。

③分類器の経路の先には、特定の傾向を持つもの同士を一つの塊に見なすような神経細胞群や、それらのある塊から別塊への変遷を記録するような神経細胞の繋がりも現れ、これら抽象的な変遷を記録することになって、汎用的な振る舞いを示す構造が現れると考えられます。

これらを汎用器としています。

汎用器では、受容器固有の質感の偏差はさまざまな経路からの影響もありぼんやりとしていますが、接続し合う神経細胞間の相対的な方角や長さの差分の関係については、尖っているかも知れません。

④そうした汎用的な回路の中には、生活する上で優先すべき目標と、既知の経験から得られた良し悪しの評価を、神経細胞の繋がりとして記録してものも出来上がると考えられます。

これらが評価器になります。

⑤目標器は、最終目標から、そこへ至るまでの小さな目標の階層構造を成します。

(1)掲げられる目標は評価器で「良い」としたものを目標にする場合もあれば、「悪い」としたものを避ける目標もあると考えられます。

これらは、組み替えしやすい神経細胞の繋がり方、つまり記録の強弱を調整することで実現していると思われます。

優先順位は、遺伝的に比較的古い脳の部位や、比較的新しい汎用器との連動の双方からの影響を受け決めていると推測します。

そのためこの調整自体は無意識に行われることの方が多いのではないかと思われますが、今意識している影響を全く受けないわけでも無いと思われます。

これは何に注意を向けるかという仕組みを提供しています。この注意を向けている時、他の目標は一時的に忘れられます。

しかし例えば急な腹痛のようなことが起きると、この優先順位は無意識に組み替えられ、腹痛の対処に注意が振り替えられます。

⑥検索器は目標を達成するため、汎用器から大まかな流れを探します。

(2-1)当面の目標と目標達成の経路がすでに効果器の記録に揃っていれば、効果器が体を駆動させて目標を達成します。

この時意識は伴いません。

(2-2)反対に、目標が達成できない時、簡単な組み換えから複雑な組み換えへずらしていきながら検索器が活動を続けます。

(3)検索器は、目標達成のための手段を見つけるため、より具体的に神経回路の組み替えを、これまた過去に組み立てられた神経回路の記録を使いながら行います。

(4)この時、汎用器に蓄えられた論理の記録が活用され、分類器に蓄えられた具体的な形、形から形への順序性も参照されます。

記憶が溜められた分類器への経路が参照されると、過去の記憶が呼び起こされ、意識に上るようになると考えられます。

これはネド・ブロックさんが言うところのアクセス意識になります。

受容器からそのまま流し込まれて注意している対象に紛れ込んでしまったような記憶は現象意識となります。

既知の記録の経路からすぐに評価の高い手順を見つけられれば良いですが、見つからない場合、推測や創造の段階に入ります。

つまり、今までに見出せなかった組み合わせを、試し、記憶し、仮に評価するという段階に入ります。

 

(5)目標達成のための初期条件が見つかると、あらかじめ検索器で見つけていた手段のうち効率が良いを選びます。

(6)操作器を介して行動します。

 

図の説明は以上ですが、この意識が生じているであろう「今までに見出せなかった組み合わせを、試し、記憶し、仮に評価するという段階」に着目して話を続けます。

この推測や想像の段階では、新しい経路の構築、つまり記録が伴います。

 

脳における記録は、神経細胞が発火した時に次のどの神経細胞にそれを伝えるかを決める神経細胞間同士の接続仕方に蓄えられています。

これはどのように信号を流すか、流れ方を決めていると言えます。

ややこしいことに、経路があることと、信号が繋がることは、同義ではありません。

どんなタイミングで複数の信号がその神経細胞に流れてきたかで、信号を後続に流すか、流さないかが決まります。

 

そのため後続の神経細胞に流すようにするために、タイミングをガイドする仕組みも必要になります。このタイミングの調整も、目標器、汎用器、検索器が担っていると考えられます。

 

過去の記録の経路に基づき、あるいは、推測や想像のために新たに構築した経路に基づき、評価器で評価するが、妥当な組み合わせが見つかるまで検索器は活動を続けます。

(評価が厳しい人も軽い人もいましょうが、それは個人の経験から構築された、目標器、汎用器、検索器の経路の違いから生じるのでしょう)

 

検索器で見出された経路は繰り返し利用されると、意識を伴わなくなり、効果器に取り込まれていきます。

このように、神経細胞の経路は、経験を通じて役割を変えていくとも考えられます。

分類器、汎用器、検索器、効果器はリソースを取り合う形で形成され、その初期において、決まった脳内の場所や形である必要性はないかもしれません。

 

目標器や検索器の働きを介し、注意が働いて生じる意識はアクセス意識と考えます。

注意の対象ではないものの、受容器から流れ込む偏差の集合が混入し現象意識になると考えます。

  • 補足
    検索器が検索するきっかけ自体が、目標器の駆動であり、無意識の部分であるため、すべては無意識な働きがきっかけになっていると言えます。
    目標が単純で、十分学習済みの場合、効果器で対処可能であり、この場合も無意識に対処されてしまいます。
    自由意志など無いと言われても仕方ない状態です。

検索器が積極的に機能している時に意識が働きそうではありますが、結局その中の何が原因で意識が生じるのでしょうか。

一番知りたいことではあるものの、これが決定的な理由だというのは思いついていません。

いくつか候補はあります。

 

ひとつの候補は、偏差の明晰さが増す方向性が現れることです。

 

検索でさまざまな経路を活性化させる方向性に対し、あり得ない選択肢や評価が悪くなる選択肢が削られていきます。

集まってきている偏差としては、限られた経路になっていくと考えられ、回路を流れる偏差の明晰さが増す方向に進むと考えられます。

 

もうひとつの候補は、検索器が一時的に記憶するとき、経路を集約させる必要性があることです。

 

目標達成のための複数の手段と評価を、短期的に記録して比較する必要があるため、神経回路の経路を一時的に編集する必要があります。

この経路の編集では、検索器で循環している信号自体のエネルギーの流れと、神経細胞の接続性を変化させるエネルギーの流れが噛み合う形になっていると考えられます。

この循環するエネルギーは、神経細胞に内蔵された電磁エネルギー循環構造とは別であり、神経回路網のエネルギー循環構造と言えます。

そして神経回路網のエネルギー循環構造は化学反応を通じて経路の記録も構築すると考えられます。

また、神経回路網で循環している信号は、そこへ至るまでの検索で参照した時系列に沿った各種の記憶としての偏差が混入してきます。

その中には、無意識に駆動している部分や汎用器からの供給される偏差もあり、質感はないが位置と方向だけの偏差が大量にあると考えられます。

この中に自分自身の位置を表す偏差も混入すると考えられます。

こうした中で、記憶するために特定の絞り込んだ経路を形成する際、神経回路網のエネルギー循環構造において、記録回路に集約させるような状況が生じると考えられます。

このとき、一過性の電磁ポテンシャルはより狭い範囲に絞り込まれ、偏差を刻める種類や範囲といった自由度も狭められると考えられます。

この狭まる中で制約条件が生まれます。

偏差の内容を効果的に並べて収まり良くするために、偏差を圧縮して整列させるという要請です。

この要請を達成するために変分原理が働き、「質感に関わる偏差と、その質感を発した場所を特定する偏差(=方角と長さの)集合」において、方角と長さは最短となる位置(方角と長さ)に換算され、質感は、そこを占める最大確度の範囲を埋めるよう配置されると考えます。

そもそも偏差が集まる段階で、この要請が常に働くのかもしれませんが、少なくともその特定の経路に記憶として残すための必要十分な整理が求められています。

 

今一つは、検索の検索に、時間的に遡る作用が働き得ることです。

 

検索器が検索する際、今の状態から先へと進める候補を探る一方で、目標からそれを達成するためのステップを遡るように、つまり神経細胞の記録としての経路も辿るように活動している可能性があります。

このとき、受容器からの流れを順行とするならば、この検索は逆行に相当すると考えられます。

この逆行性の信号が検索器からの作用で増えると、方角と長さの側面で時間的に逆行させる作用も増すのかもしれません。

受容器から神経回路網をめぐる間に、広がる方向性を持っていた方角と長さのそれが、この作用により時間的に遡るような作用を副次的に生み出し、偏差の集合も遡らされるのかもしれません。

 

最後の候補は、受容器での化学変化は主に光量子というマイナス電荷由来の事象であることに対し、神経細胞を流れる信号がプラス電荷のイオンが担う点です。

 

電荷を持った粒子は、ミクロな空間(または見えない次元の空間)で定常的に起こしているであろう何らかの運動を伴っていると考えられます。

陽子と電子は互いにくっつかないのは、この運動がくっつかせない理由を作っており、電荷が逆なので、何かが逆向きなのです。

こうした粒子の運動が、電磁ポテンシャルに特徴を持たせていると考えられ、化合物になれば電磁ポテンシャル循環構造も特徴づけると考えました。

受容器で取り込まれる偏差の元の事象は化学反応や電磁気であり、光量子由来の作用と考えられます。

つまりマイナス電荷の要素由来の電磁ポテンシャル上の偏差を生み出します。

これに対して神経細胞を流れる時の電磁作用は、プラス電荷のイオンが担う形になっており、プラス電荷由来の電磁ポテンシャルとなります。

この逆向きである電荷由来の電磁ポテンシャルということから、何かが逆向きになると考えられ、これが受容器や受容器以前の電磁作用へ、偏差の位置を推測させるような遡上の作用を生み出している可能性もあります。

 

これら、明晰さの向上、経路の集約、時間の遡り、作用する電荷が逆の全てが影響しているのか、どれかだけで良いのか、ここにはない他の条件なのか、わからないところではありますが、こうした作用を受け、以下のように偏差が整理されると考えています。

 

配置の手順を記すと、以下のようになるかと思います。

[1] 偏差の中で最も距離が短くなる対象が意識の中心の役割を担います

(これは「自分自身」を表す神経細胞群の位置の偏差が最小になると思われ、これが中心になると考えられます)

[2] 記憶の方角と長さを最短に換算し、中心から外に向かって配置します

(方角や長さに対し、周囲に配置される他の記憶と比べて最適となる形や大きさがここで決まります)

[3] ある程度変化する中では、②が逐次適応され、最も小さい調整サイクルで更新されます 

[4] これらの位置と範囲に、対応する質感を塗りつぶします

この手順は瞬時に働きます。

 

視覚や聴覚で受容した記憶の場合、受容器に到達する前の距離もこれら偏差に含まれるようです。

距離に関する偏差は、電磁作用の根幹をなしているのでしょう。

 

質感については、あくまで受容器で生成された偏差であり、受容器が取り得る物理変化に依存して質感も決まると考えられます。

 

[4]の塗りつぶしは、位置と距離はぼんやりとした範囲を表しています。

全ての偏差を配置したときに、近隣の関係性からどの範囲なら確定しているかから、決められていくのかもしれません。

物質はほとんどが隙間になっていると理論的には理解されていますが、意識される時は塗りつぶされて見えたり、ぼんやり広がっていたりすることからも、こうした仕組みになっているのでは無いかと考えます。

つまり、意識している時点でもあくまで可能性であり、確定はしていないが、不確定要素を最大限削った結果として認識される(だから塗りつぶされたように見えている)ということと考えています。

  • 補足
    錯覚として、停止しているはずの図形が動いているように意識できることがあります。
    図形や絵柄に隠された差の持たせ方が、動きを記憶した神経回路の経路に信号を流してしまい、結果動きを感じているのかもしれません。

最後に、今回説明してきた以下の視点と、前回説明した「磁気側が電気側を推測する」の説明と整合させます。

 

・神経細胞にも電磁エネルギー循環構造がある

・電磁エネルギー循環構造に刻まれる偏差はいずれも、量子未満の偏差であり光量子を使った観測では区別できない

・神経細胞を流れる信号は、一過性の電磁ポテンシャルであり、電磁エネルギー循環構造と相互作用する

・質感を表す偏差と経過分の位置の偏差が統合されて意識の内容が定まるが、その並べ方も電磁作用上最短の距離に換算されて配置される(但し1点に決まらず、最大限不確実な可能性を減らした範囲にきまる)と考えられる

 

2024年6月 意識について 2024 下 (1)

次に、出力系に着目します。

まずは、発話です。

 

発話は、口の周りの運動が伴います。

運動はどの運動においてもそうですが、動く前にどのように動かすかといった計画が求められます。

ブローカ野は発話においてそういった機能の一部を提供していると考えられます。

 

伴奏に沿って歌う場合も同様です。

伴奏を聞いてから口の準備をするのでは遅すぎます。

伴奏の内容をあらかじめ記録しておき、あるいは伴奏の中にあるヒント(拍子やコード進行)を使って、実際に伴奏が流れる前の段階からあらゆる筋肉の動き(これも変化分の組み合わせ=それに対応する神経細胞の活動の連なり)を準備し、タイミングを合わせて動かすための時間差を逆算し、動かし始める必要があります。

歌として成立した形で意識できるようにするために、演奏と歌が合うように、神経細胞の回路そのものにその差の記録を残す必要があります。

 

こうした発話や歌唱に見られるように、動作を伴う場合は、体をどのように動かすべきかわかっている必要があります。

 

前回の記事にも記載しましたが、生まれた時から常に体の状態を推測しては調整してを繰り返す形で、自分の体で何ができるかが、確認され、その確認結果に基づいて体が活用できるようになると考えています。

体の状態は、肌からの圧力や温度の感覚、三半規管からの平衡感覚、体の形状を視覚から把握できるまで成長したのであれば視覚からも、体の状態を知り、それらを現状として次やその次の行動を決めていくようになります。

結果として、体の多くの動きは意識が伴わず、ほとんどが目的を据えると現在の状態からそこへ向かうための最善の動きが(過去の学習に基づいて)生成され、動きます。

これは、過去には意識していたことを、今は意識しなくてもできるようになったということでもあるかもしれないため、単に意識していないと一言で片付けるよりは、過去の意識を無意識に利用しているというような言い回しのほうがいいのかもしれません。

この自動的な動きの多くは小脳で担われていると考えられています。

 

 

 

体の理解ができると、今の状態と目的が入力となり、目的達成のため何をどう動かすかが、出力されます。

この目的の提示と、目的達成に向けた動作の生成という課題が繰り返されます。

目的の提示はおそらく大脳や大脳辺縁系が担い、今の状態から最善の動作で目的に向かって動かす部分を小脳が担っているのではないかと、考えています。

(そうであると断言したような記事や、それを証明したような記事は今のところ見つかっていないのですが)

 

人は、生まれた当時、目的と運動が正しく組み合わせられておらず、自ら動くことを通じて学習します。

感覚を通じて、間違いを認識し、少しずつずらしながら正していき、目的と出力が徐々に合うようになると考えられます。

そして日常的な動作であれば、意識の確認を介さずとも、目的から適切な行動が行えるようになるのでしょう。

これは神経回路への記録と捉えます。

 

話を戻すと、この体の理解は、発話や歌唱でも活かされていると考えます。

発してみて、間違っていれば次の動かし方を試し、確認する。

それを繰り返して語り方や歌い方を身につけていきます。

そして身についた時、特に細かく意識せずとも、語りたい目的を思い浮かべるだけで、話ができ、歌えるようになるのです。

 

こうした発話の記録から、内言についても説明できるかもしれません。

つまり、内言は、発話のために体に向けて記録を行使するのではなく、聞き取った言葉の記憶を残した経路に向け、記録を行使するという解釈です。

聴覚の記憶に内部から信号を送ることで、実際に口で発言していないのに意識の中で自分の言葉を発して聞き取るような内言を意識できるようになっていると考えます。

 

 

次に、論理的思考についてです。

 

発話できるようになった頃には文法も整います。

文法に至るためには、単語から単語への変化分を記憶する神経細胞の中に、適切に抽象的された神経細胞群(名詞を表す単語群から動詞を表す単語群への変化分を記憶)が準備できた場合に現れると考えられます。

 

文法の獲得は論理的思考の獲得にも通じると考えています。

論理を使う思考では、五感などを通じ直接感じた事柄を思い出すのではなく、それら感じられた総体に、一つの記号なり役割を別物として与え、その与えたものを記憶し、それを繰り返し使うことが必要になっていると考えています。

名詞や代名詞の一部が、論理思考上の記号を担い、動詞などの他の品詞の一部が関数や関係性の理解を担います。

 

論理思考は、目的を達するために、体を動かす前に動かし方を試しながら組み立てる作業の派生ではないかと考えられます。

つまり実際に動かさないが、内言の範囲で、記号を置き換えながら、目的に近づくか否か、確認しているとも言えます。

こうした論理的思考自体も、回数を重ねると神経回路の記録に移っていくと考えられ、こうなると意識せずに論理的な振る舞いもできるようになると考えられます。

つまり論理的思考は、体の運動の派生ではあるが、整った論理が体の動きにも影響を及ぼすようにもあるといった考え方です。

いずれにしても、そういた記憶を論理思考として働かせる部位として前頭前野が見出されています。

この部位から、受容器に近い経路への投射が記憶を呼び出す役割を果たしているのではないかと考えられます。

 

また、言語として獲得した記憶を使う場合を説明しましたが、思考は言語だけで行われるわけではなく、形や動きの組み合わせた記憶を使う場合もあります。

 

 

2024年6月 意識について 2024 中 (2)

はじめに

今回は、上編を踏まえます。

未読の場合にわからない場合がございます。

文献を参照して説明している内容以外は未検証です。

ご承知おきください。

記憶と意識の組み立ての再考

受容器から入力された信号は、神経細胞を伝って脳内の神経細胞を巡ります。

信号の具体的な物理事象としては、神経伝達物質の移動であり、イオンの移動であり、電磁的な変化を伴っています。

こうした信号が神経細胞を流れているときに、意識が現れると考えられています。

つまり、意識される内容の物理的な見た目も、神経細胞上を流れる電磁的な変化で、一過性の電磁ポテンシャルに相当すると考えられます。

 

これらの信号に受容器で得られた「固有のエネルギー状態」=「意識される内容(記憶)」がどのように物理として記録されるか、

その記憶がどのように呼び出され、何が起こると意識になるか考えていきます。

 

早速ですが、記憶になるような内容は電磁ポテンシャルに量子未満の偏差(ズレ)として刻まれていると推察します。

このズレは、電磁ポテンシャル上は動きを持ったベクトル要素ではないかと考えています。

このベクトル要素は電磁ポテンシャルのベクトルポテンシャルと言い切ったわけではありません。

関わりがあるかもしれませんが、今はまだわかりません。

 

この偏差は、意識されると具体的な質感に確定しますが、この偏差が確率密度として表すべきか、ベクトル値の集合と定義するかは明示しません。

意識される内容が違うということが、この偏差の何らかの違いに対応する、という所までです。

 

いずれにしても、この偏差については、電磁の両面で説明される必要がありそうです。

例えば、電磁ポテンシャルのベクトルポテンシャルを見ないとわからない位相のずれなどが観測されています。

(参考)電子波で見る電磁界分布

 

「偏差」や「ズレ」と表現したのは、神経細胞を構成する化合物が、生誕から今までの結合と分離の影響を受けて構成されたであろう電磁エネルギー循環構造を基準とした時に、そこから少しずれた循環構造を与えるという意味で「偏差」としています。

重ねて申し上げますが、これは光量子で交換されるレベルよりも粒度が細かいため、このズレを光量子を使って観測することができません。

そのため今のところ、合っているかどうかもわからない、只の考え方に留まります。

 

図 偏差が反映される前と後の電磁エネルギー循環構造や動きのある電磁ポテンシャルのイメージ

 

何らかの信号が受容細胞に到達したとき、何らか物質的に変化が起こって、後続の神経細胞に信号を渡します。

この信号は一過性の電磁ポテンシャルを形成しますがそこに、何らか物質の変化の影響が偏差という形で混入します。

偏差を含んだ一過性の電磁ポテンシャルを受け取った神経細胞は、その神経細胞が持っている電磁エネルギー循環構造と、この電磁ポテンシャルを互いに影響させ合いながら、次の神経細胞に信号を渡します。

 

どの神経細胞でも同様なことが起こります。

そのため、通過した神経細胞に、この偏差の影響が残り、反対に、信号には神経細胞が持っていた電磁ポテンシャルの影響(これも偏差)が渡されます。

この信号と神経細胞の電磁作用ポテンシャル間の相互作用は、多粒子の量子エンタングルメント(量子のもつれ)が説明されていく中で整合されないものかと期待しています。

 

生まれてすぐの神経細胞は、知覚した内容(意識される記憶)が蓄えられていないが、何度も受容と信号の伝搬を繰り返すうちに、徐々に後方にその偏差を明晰な形で流せるように変わっていくので、初めは質感に疎いが、そのうち明確な質感を流せるようになる特徴を持つと考えられます。

 

図 ある特定の質感に関わる偏差が、受容器から後ろに続く神経細胞に徐々に広がっていくイメージ

(影響を表す数値は偏差の鋭さに対応する)

 

そして、そのような経路が完成すると、今度は脳の内部から経路途中に差し込まれた信号であっても、つまり受容器で受容された信号でなくとも、その記録されていた偏差が、信号と神経細胞双方の電磁ポテンシャルの相互作用により、通過する信号に染み出すようになります。

 

図 受容器から入力されなくとも、ある特定の質感が生じ得る経路で偏差が呼び出されるイメージ

 

こうして夢の中で何かを感じられることを説明できるのではないかと考えます。

 

こうした神経細胞の経路は、特定の記憶に特化した経路が確保できた場合に顕著になるのであり、特徴のない(あらゆる特徴が到達し得る)神経細胞の経路では起こらないとも考えられます。

例えば、受容から遠い経路は、さまざまな特徴の信号を満遍なく受け取るが故に、これら偏差が保たれにくくなっており、そのため、意識になり得るような記憶も持ちづらいと考えられます。

(しかしながら後の考察でも述べるように、さまざまな信号を受け取る下流の場合でも神経細胞が作る回路としての記録があり、それを活かして思考などの高度な処理が行われており、その下流から上流に位置づく特定の記憶を有した神経細胞に、経路が戻るような形で参照されることで、思考中に記憶を意識できると考えます)

 

ここからは、こうした考えに基づき、各感覚の記憶について考察していきます。

基本的な流れは次のようになっています。

 

(1) ある神経細胞が複数の神経細胞から信号を受け取るとき、その後続の神経細胞は何らか変化分に対して反応するようになっている

(2) そうした変化分を組み合わせたものを記憶するような神経細胞の経路が現れる

(3) 受容された質感には必ず位置(方角と長さ)を伴い、これら(質感、方角、長さ)が「偏差」で表現されて神経細胞の電磁エネルギー循環構造に残り、記憶となる

(4) その「偏差」が、受容時の経路とは異なる経路からの信号(一過性の電磁ポテンシャル)と相互作用して記憶が取り出される

(5) 意識されるに十分な量の信号が集まると意識に上る

(どのように集まると意識になるかは、下の段で後で考察します)

 

まずは視覚の記憶について見ていきます。

 

視覚経路(視覚から入力された信号を受け取り後続に流すような経路)の受容器に近いところでは、隣接する神経細胞同士が後続の神経細胞に接続し、明暗の差があるところに応答するような神経細胞が現れます。

そこから更に後続に向かうと、線分の特定の傾きに応答したり、特定の動きに応答したりする神経細胞が現れます。

形状にしても、動きにしても、変化のある部分が後続に信号を渡すように振舞います。

ある物体の境界の部分や、ある物体の一部の動きに対応づくと考えられ、これらの後続に続く神経細胞では、それらの位置的に範囲を広げた組み合わせが応答するようになります。

そこでは形や動きに応答する神経細胞が現れます。

 

 

 

 

それぞれの神経細胞は絶対的な位置を記録しませんが、ある神経細胞Zに信号を渡す複数の神経細胞Xnがあるとすると、ZにとってはXnのそれぞれの特徴的な変化分の組み合わせが、相対的にどの方向に離れて配置されているかを記録していると言えます。

  • 補足
    変化分の組み合わせ、つまり特徴の組み合わせ、という形で処理するため、対象の大小に関わらず、何であるかを対応づけられるようになります。小さく書いた林檎、大きく書いた林檎、遠くの林檎、近くの林檎が同じ林檎に対応づけられることになり、大変便利な仕組みです。

これら形や動きが、神経細胞の電磁エネルギー循環構造ないし、一過性の電磁ポテンシャルの「偏差」として蓄えられると考えます。

そして統合される時は、これらが組み合わさって、何らかの形として、動きとして、意識されるのだろうと捉えます。

神経細胞ひとつあたりにどのくらいの偏差を蓄えられるかは、今のところ推測はできていませんが、それなりにありそうです。

 

夢の話に戻ると、夢で見る時は、色味よりも形や動きが強調されているように見えることが、私としては多いのです。

夢で色がつくことは少ないです。

視覚経路で、形や動きの方が、色味よりも偏差が溜まりやすいからだろうと考えます。

そして、色が残りにくい理由として、別の色で、同じ形をしたものが多いためかもしれません。

色についての偏差は、様々な色の偏差が通過することで「均されてしまう」のかもしれません。

そのためもし、夢を発動させる時、形の組み合わせから想起させられるように機能するならば、色がつきづらくなります。

一方でもし、特定の形と色を覚えた細胞目掛けて夢を発動させられたなら、色も感じられるのでしょう。

割合としては前者の方が高そうなので、夢で色が付きづらいと考えられます。

 

偏差の内容は2つの内容からなります。

1つは「質感そのもの」で、視覚の場合、明暗、色、形、動きなどがあります。

(神経細胞は変化分に着目して記録しますが、意識されるときは特徴の無いところも、つまり変化分が少ないところも、大いに気にします)

もう1つはその質感を感じる「位置」で、「質感そのもの」が意識の中のどの場所を占めるのかを表します。

(この位置の質感は、神経細胞が記録する変化分と親和性が高そうです)

位置(相対的な意味での方角と長さ)は電磁作用にとって必要な属性であるようで、神経細胞にまとわりつくように流れる電磁ポテンシャルを介して生成される意識にも、この「位置」がすべての質感で伴っています。

 

この位置も偏差であり、電磁ポテンシャルに反映されると考えます。

この位置はベクトル要素であり、方角と長さを伴い、変化分という形で偏差に反映されのではないかと考えます。

位置の偏差は、神経細胞を経過していくたび厳密に更新されます。

 

位置をベクトル要素とする一方で「質感そのもの」は、偏差で信号を移動しているときはベクトル要素ですが、意識の中では特定の感覚を示すスカラーに変換されるとしたほうがいい気がしています。

これは考え方としてそうすると良いかもしれないくらいの思いであるため、今後考えを改めるかもしれません。

 

繰り返しになりますが、こうした電磁ポテンシャルの偏差は、物質の構成を変える量子のエネルギー交換よりも小さい電磁作用として起こっており、光量子を頼って観測している限り観測できない対象です。

神経細胞は電磁ポテンシャルを構成する電磁エネルギー循環構造を持ち、偏差がその電磁ポテンシャルの偏りとして蓄積されます。

これら明暗、色、形、動きの偏差は、一過性の電磁ポテンシャルを神経細胞に流すと染み出します。

神経回路網を流れる信号を介し、これらが組み合わさることで、具合的な物や物の動きとなって意識されると考えられます。

 

受容器から得た信号で意識するほうが圧倒的に明晰なのは、つまり今観測するほうが圧倒的に明晰なのは、たった今、受容器から得た信号の偏差の方が、明暗、色、形、動きに関して、ブレの少ない確度の高い偏差であるためと考えられます。

また、受容器から得た場合と、記憶から得た場合では、位置の質感が異なります。

受容器で得た視覚の質感は外にあることを感じますが、記憶から得た場合は脳のあたりに感じます。

夢で見ているときも記憶からではあるものの、その際は外で起こっているように感じていますので、この位置に対する感覚も相対的に決められるものなのかもしれません。

 

  • 補足
    神経細胞の電磁エネルギー循環構造に関する何かが、意識に含まれているように感じてはいません。
    これは、意識する内容に満遍なく入っており、気づけないということではないかと考えますが、これも可能性の話です。

 

次に、言葉(単語や文。あるいは音楽鑑賞)について、同じように説明できるか、考えてみます。

 

まず、単語の聞き取りについて考えます。

耳の中では、音階毎に揺れる細胞が並んでいます。

それに続く神経細胞が音階の記憶も担うと考えられますが、単語という意味では説明がつきません。

例えば、単語は、音の抑揚の繋がり方(絶対的な音の高さは問題ではなく、相対的な音の高さや音の長さの組み合わせ)が合っていれば、音程が高くても低くても成立します。

(視覚でも同じような話があり、白色蛍光灯の下の林檎、夕日にさらされた林檎、暗闇の林檎は色が異なるので、林檎を認識するためにも、線や形状の変化分から林檎を特定することの方が、色よりも重要な判断材料になっています)

これはつまり、絶対的な音の高さではなく、ある音から別の音への変化分を記憶することを、意味していると考えられます。

そして、細胞に記憶する内容は変化分または、変化分の集合から別の変化分への集合の変化分であるため、音の高さ毎に経路を用意せずとも、その変化分の組み合わせをひとつ構築できれば、単語がどのような音の高さで伝えられたとしても同じ単語として意識できると考えられます。

(しかしながら、聴覚経路についてはまだはっきりしていないところが多いようです。音と音の変化の経路があるという記事も今のところ見つけられていません)

 

 

(参考)音の情報を大脳に運ぶ経路の詳細が明らかに(マウスからの知見)

 

 

 

次に、単語を文字で視認する場合を考えます。

 

視覚経路で説明した話と同じですが、表意(漢字)と表音(仮名)の違いで処理のされ方が異なるという話を見かけますし、漢字とアルファベットでも処理されている場所が異なるような報告もWebでは見かけます。

文字の形から音の記憶を介さず意味を表す神経細胞へ渡る場合も、音の記憶を介して意味を表す神経細胞へ渡る場合も、どちらもあり得ると考えます。

書かれた単語は、線から構成された文字という見方でも、文字から文字への移ろいという見方でも、変化部分に着目して構成された視覚に関わる神経細胞の記録があり、そこを通過して構成させる記憶があり得ます。

音としての単語も同じです。ある高さの音から別の高さの音への移り方でも、それらの音の組み合わせがさらに別の音の組み合わせの移り方でも、変化している部分に着目して構成された聴覚に関わる神経細胞の記録があり、そこを通過して構成される記憶があり得ます。

私の場合、楽曲をある適度聴き込むと、その楽曲を聴いていなくても、聴いているのとほぼ変わらない形で楽曲を思い浮かべられるようになります。そのため、繰り返し聞くというのは記憶に対して相当影響あるのだろうなと思います。

 

 

 

ここで何気に「意味」と言いましたが、これは言葉や言葉の連なりからある特定のことを意識することを指します。

ある「意味」を表す記憶に対応した神経細胞の集合が存在していることと同義と捉えています。

どの「意味」についてどのくらいの神経細胞の集まりからなるかは、個人により異なり、そのため意味を指す内容も個人によって異なるでしょう。

そして、関係する神経細胞に記憶された「電磁エネルギー循環構造の中の偏差」が集まって形成される点では、この「意味」についても同様に説明できるのではないかと考えています。

 

次に、文の聞き取りについてです。

 

例えばウェルニッケ野と呼ばれている部分などがあります。

これらの領域にある神経細胞やこの領域近辺の神経細胞は、単語の連なりが(単語から次の単語の変化分の連なりとして)記憶されていると捉えます。

単語から単語への移ろいという変化に応答する神経細胞の記録が構成され、それに応じて記憶も溜められる可能性があります。

また、単語の品詞に応じた、単語の集合に対する変化についても、記録が構成され、それがいわゆる文法のような役割を担うのかもしれません。

 

ここまでは、視覚、聴覚を中心に、神経細胞として何が記録され、何が記憶されるかを考察してきました。

これらを含め、他の主だった感覚についても、以下のように整理してみました。

この表の「神経回路の記録」とは、ある程度時間が経って神経細胞間の接続が決まり、特定の経路が整った状態を指します。

※1 傾いている感覚を覚醒時に思い出すことはないが、夢の中で体が倒れて目覚めるようなこともあったことから、何らか記憶されている可能性があります。ただし、寝ている時に首が動く、寝返りを打ったなどの受容(つまり記憶ではなく実際に入力があった)を、脳が説明しようとした結果が、その夢かもしれません。触覚や温度感覚も、記憶から感じることはできていない気がします。どちらかというと言葉やイメージに変換された記憶の方を感じている気がします。

※2 匂いや味についても、記憶として感じることがない気がします。強烈に嫌な匂いを放つ、味がするものをイメージした時に、同じような嫌悪感を抱くことはあります。ただし、これは匂いや味そのものを記憶しているというより、感想に置き換えた言葉やイメージを思い出しやすくしているとしたほうが近い気がしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年6月 意識について 2024 中 (1)

物質の結合による記録と記録を操作する仕組み

物質が結合して成長する過程では、下記の様な指標が段階的に評価されて成長すると考えます。

 

 ① ある原子同士の結合や分離の可能性

 ② 結合した時の形

 ③ 結合した時の大きさ

 

これらは「が電磁エネルギー循環構造を安定させる方向に変化する」と付け加えることを想定しています。

電磁エネルギー循環構造が安定に向かうための変分原理が働いた結果として、これらが顕著になると考えます。

顕著になる順番は①、②、③の順かと思いますが、①があって②や③が起こるので当然な気もします。

当然な気もしますが、満遍なく不安定な場所が散在しているなら、結合して拡大すると球に近づきそうなものですが、そうでは無いところが面白いところです。

 

これら①から③のどの場合も、ある結合状態から次の結合状態に移行するまでには「許容されるエネルギーの幅」があり、この「許容範囲が大きい化合物」が、他と比べて残りやすくなるため「記録の役割を担う」と捉えます。(記憶ではなく記録と呼びます)

 

こうした記録を担う化合物を活かし、環境変化への適応も起こるのではないかと考えます。

記録が活かせる時間幅で(時間軸を加えて)安定する条件を探索するよう変分原理を拡張させるのです。

ここでは、①、②、③について時間を跨いだ変遷を考慮し、電磁エネルギー循環構造が「例えば」最短時間で元の化合物に戻せるサイクルを見つけるように働きます。

そのため、この指標は以下のように表現できるのかもしれません。

 

 ④ 変遷するサイクル(循環)の長さ(が電磁エネルギー循環構造を安定させる方向に変化する)

 

もし、①の結合や分離のポテンシャルが取り得る値に限りがあり、候補の結合相手も単純で限りがあれば、②の形も単純となり、③の大きさも小さい間で、循環を見つけられるかもしれません。

一方で、これらと反対の特徴となる場合、その分、循環は複雑になり、長くなるでしょう。

 

④が、①から③で得た結合条件を維持しつつ成立させるために、変遷が記録されている必要があるかもしれません。

この記録は、ある化合物から見たとき、より小さくて構造上安定した化合物により担うことを期待します。

そしてこれらが、④のサイクルのに現れている構造、つまり①から③の範囲で、実現されている可能性があります。

 

①から③のそれぞれの場合で、記録となり得る条件を、以下に模索します。

 

①の結合/分離のポテンシャルで安定性が左右される状況で、記録を担う化合物が生成されるためには、以下の条件を満たす必要があるのではないかと考えます。

 

・相対的に他の化合物から影響を受けにくい

 → 相対的に結合と分離のポテンシャルが低い化合物である

・種類の限られた同形の化合物であり、その連なりから成る

 → 記録として扱いやすい形や単純さがある

 → それらの連なりの「位置」も記録の一部となっている

・記録の化合物に対して書き込み(何らかの化合物を読み取り、記録の化合物を連なりとして生成)や読み込み(記録の化合物を連なりに沿って読み込み他の化合物を生成)できる化合物は、一部の限られた化合物である

・記録を作るための材料(化合物、結晶、原子)が周辺にあって事欠かない

 

②の形が安定性を左右するような状況で、記録を担う化合物が生成されるためには、以下の条件を満たす必要があると考えます。

 

・化合物の組み合わせからなり、形の違いが記録の種類を決める

・①も満たされる

 

③の大きさが安定性を左右するような状況で、記録を担う化合物が生成されるためには、以下の条件を満たす必要があると考えます。

 

・化合物からの集合体からなり、大きさの違いが記録の種類を決める

・②の条件も満たしている

 

生物に詳しい方はこれらから下記を思い浮かべる方がいるかもしれません。

 

記録の書き込み:RNAとRNA依存性DNAポリメラーゼ

記録の読み出し: 転写(DNAからRNA)、翻訳(RNAからタンパク質)

 

 

 

DNAもRNAもタンパク質も化合物にあたります。

(タンパク質からRNAが生成されることはなさそうですので、RNAを起点として記録(DNA)に倒れるか、タンパク質に翻訳され、大きくなって形を作る様になるのか、分かれているのかもしれません)

 

 

 

 

体は、RNAのコドンに対応するアミノ酸が連結され、それがさらにペプチド結合などで集まってタンパク質になることで作られていきます。

この時も化学結合で連結されていきます。

アミノ酸は似たような化学式で何十と種類がありますが、電磁エネルギー循環構造の安定性は、想像するに似通っており、基本的には自由な組み合わせが可能なのでしょう。

ただし、記録を担う化合物の影響、つまりDNAやRNAの影響を受けることで、決まった形が作られるように仕向けられます。

このように、対象の化合物や周囲のエネルギーの流れが比較的安定している時、記録の影響を受けやすくなる(文字通り記録として機能しやすくなる)のではないかと考えます。

 

アミノ酸の連なりは、折りたたまれてタンパク質が構成されるのですが、これは化合物として長くなった電磁エネルギー循環構造が、離れた場所をくっつけた方が(折りたたんだ方が)より電磁エネルギー循環構造として安定するから、という理由からこの折りたたみを説明できるのかもしれません。

 

いずれにしても、記録を担う化合物と、それを解釈して別の化合物に置き換える化合物の存在が、生物にとって重要になっています。

 

 

 

 

 

体の一部となる化合物が、DNAやRNAが(転写や翻訳される前の状態で)連結したり、連結しないせずとも細胞核に一緒に格納される様になるなどで、組み合わせが起こり、かなり長い時間をかけ(単細胞が成立するまでも5億年程度時間をかけているかもしれない)複雑な過程を経て統合されていったように思われます。

 

RNA(厳密にはmRNAですが)を適当に繋げたとしても、その翻訳(タンパク質の合成)で形になるのかという点では、同じような電磁エネルギー循環構造のアミノ酸をつなげていくため「よろしく」繋がったものが翻訳されるのでしょう。

ただし、それに意味があるか否かは、環境が決めていくのです。

それぞれの形が、直近の周囲に対して適応的な機能を発現するか否かで、それらが残りやすいか壊れやすいかが線引きされていったと思われます。

 

こうして有機化合物が結合、融合(時に分離され、隔離され)され、環境によって評価され、環境に対して適応した形や大きさで、化合物としての記録と、この記録に対する結合と分離のサイクルを伴いながら、進化したとするのが、今の進化論であると、自分は解釈しています。

そして多細胞となり、大型化した生物は、この物質をサイクルさせる(環境から得て結合させるものと、分離して環境に返すものを含め)より効率的に設計できているか否かで、適応性が環境から評価されていったのでしょう。

 

以降は①から④について、変分原理を適用され得るポイントについて、説明を試みたものです。

 

変分原理は「ある指標で見たとき、最も負担のかからない手段や手順で次の状態を決定すること」と解釈します。

 

①と変分原理

 

物質は、結合と分離の可能性(ポテンシャル)があり、関連する原子間で最も安定する方向に向かって結合と分離を繰り返すと考えました。

変分原理からすると、エネルギーが移動する大きさを指標としたとき、エネルギーの移動が最小になる様に、次の状態が決められると考えられます。

 

また、物質が持つ結合と分離のポテンシャルを指標としたときは、物質間の距離に応じて重み付けし、そのポテンシャルの合計が最も小さくなる様に、次の状態が決められるとも考えられます。

物質は、結合を左右する電磁作用のスケールにおいて、光量子の密度に応じ、結合と分離が安定する条件が変わってくるとしました。

そのため先の話は、結合と分離のポテンシャルに光量子の密度に応じた補正分を加え、物質間の距離に応じて重み付けし、そのポテンシャルの合計が最も小さくなる様に次の状態を決めると考えるべきかもしれません。

(ある化合物において、結合と分離のポテンシャルの差が最小になるとき、その化合物から見たときに、エネルギーの移動も最小になると考えられ、電磁エネルギー循環構造もその時点で最も安定すると考えられます)

 

②と③の変分原理

 

基本的は①の考え方が踏襲されます。

加えて、化合物の構造上、特定の形をとった場合や、拡大した場合の方、が対環境に対し相対的に安定した、結合と分離のポテンシャルの差(電磁エネルギー循環構造の不安定さ)や、エネルギーの移動が小さくなる方向に、変化が進むと考えられます。

 

②であればより単純な形になるよう選択されるのでしょうし、③であればより小さい大きさで安定になることを選択するのでしょう。

 

ここまでは化合物の環境については触れてきませんでしたが、通常、環境は変化します。

そして一方で、常に変化するとはいえ、何らかの傾向を持つかもしれません。

記録を用い、記録に残った過去の状態も考慮し、変分原理を活用する手段が効いてきます。

 

変分原理はある指標で今の状態を観測したときに、次の状態がどうなるかを決めるために用います。

もし次の状態が「今の状態よりも前の状態も考慮されて決められている」=「記録が活かされる」場合、記録を跨いで指標を評価するようになるでしょう。

記録を加えることで、変分原理の「手段や手順の可能性の集合から次の状態を決定すること」に対し、過去に遡った履歴を加えて「手番を最小化する原理」が提供されると解釈します。

 

この原理は、同じ様な状況が何度も訪れる場合、有効に働きます。

常に追従するのではなく、ある程度時間の幅を見たうえで、無駄なやり取りを減らし、総合的に最善な手段や手順を実践します。

 

記録は、先にも述べた通り①から③のどの化合物の原理上存在し得ます。

①の場合は、光量子が交換されるスケールに相当します。

ここでの記録は、次のエネルギー準位に達しない限り状態が変わらない「許容範囲」や「閾値」に対応します。

 

②や③は、原子や化合物のスケールですが、結合と分離のポテンシャルが結合状態を変えない(反応しない)「許容範囲」を示しています。

これらの許容範囲で、エネルギーが作用しようとしている間は、その大きさや形状を変えず維持され、化合物は今の化合物のまま残ります。

 

この記録と記録を活かす構造(記録を構成する要素より大きい要素)が階層構造を成し、化合物全体の形を維持しながらも、先の①のポテンシャル最小化、②の形の単純さと安定さ、③の大きさの極小化と安定さが働き、それぞれが優位になるスケールで、記録の役割をになう化合物に過去の状態を反映し、絶えず変わる外部に対して④の極力短いサイクルで安定するよう変化することで、全体としてはエネルギーの移動が最も安定する循環の組み合わせへ進行すると考えます。

もちろん、記録が正しく形成されていなければこの試みは失敗します。

 

生物には、様々な「機能」が発現しています。

例えば神経細胞を見ると、軸索上の信号を高速にするため髄鞘化という構造を持ってしまったり、次の神経細胞に伝えるためにシナプス小胞を設けてそこから神経伝達物質を飛ばす様に成ってしまったり、神経伝達物質を受け取らないとチャネルが開かない様になってしまったりと、数えあれげばきりがないくらいどうしてそうなったのか説明のつかない機能が組み合わさってできています。

 

先の①から④の原理を丁寧に組み合わせたら色々と説明できるかもしれませんが、物質が取り得る構成の組み合わせと、①から④の組み合わせを順列組み合わせで検証していく必要があり、とてもすぐにはできないため、これ以上は詳しくは控えます。

 

ただ、物理的に離れた場所間を繋ぐ記録(変わりにくい原子、結晶、化合物で例えば、酸素、ホルモン、伝達物質)が、離れた場所同士で連動する仕組みが循環により実現されることにより(循環器系、呼吸器系、神経系、消化器系、免疫系→それぞれには循環させる記録に対応する原子、結晶、化合物があり、それらを受け取ったり流したりする受容体、チャネルが存在する)がより大きな構成(つまり体)を支えていると想像できます。

 

そして、何億年というスケールで、様々な記録(ここの記録はDNAやRNA)と化合物(体を構成する様々な化合物、結晶、原子)が残る様になった中で、それらが組み合わさっては破棄され、トライアル&エラーやスクラップ&ビルドが繰り返され、より残りやすい循環を獲得した組み合わせ=適応的な組み合わせを持った生物が、残るようになったのだろうとは想像します。

物質の記録と意識される記憶の関係について考察

神経細胞もたくさんの原子の結合からなります。

生物の場合、細胞内外で様々な物質の関係性が動的平衡状態であり、結合と分離が繰り返されています。

その中には、結合ポテンシャルが高いまま、結合していない状態のままのものもたくさんあります。

細胞に関わる結合と分離には、生物が活動を維持するための代謝も含まれており、化学反応が継続しています。

こうした生物としての動的平衡では、先に述べた①から④に相当する原理が、環境との関わりの中で、なるべく安定させる方向に動き、全体を維持させようとしていると捉えます。

 

 

神経細胞に信号が流れたからといって、細胞がバラバラになってしまうことはありません。

神経細胞間を接合して信号を連絡するシナプス前後の部分は、特定の条件で太くなったり、消失したりするようですし、歳を取れば神経細胞は徐々に数を減らしていくようですが、利用されている神経細胞は長らく維持されるようです。

 

神経細胞を流れる信号は、金属に流れる自由電子とは異なる電磁作用で実現されています。

それは、神経伝達物質(セロトニン、ドーパミン、GABAなどと呼ばれるもの)であったり、プラス電荷のイオン(カルシウムイオン、ナトリウムイオン、カリウムイオン)の移動だったりします。

 

 

これらの物質やイオンの移動で電磁作用が伴います。

それなりの流量になると、その影響が脳外にも染み出します。

脳波や脳磁図としてその影響を測定できます。

 

 

これらの神経伝達物質やイオンは、流れに加担した後、回収されたり、元の場所に戻されるなどして、再び次の信号の流れに備えます。

この繰り返し利用可能にしている仕組みで、化合物の変化が起こっています。

例えば、神経伝達物質を仕舞った小胞から伝達物質を放出する時や、細胞外から伝達物質回収して小胞に収める時です。

また、細胞膜内外の電位差から駆動するチャネルが神経細胞では多いですが、化学反応をきっかけに駆動するチャネル(リガンド依存性イオンチャネル受容体と連動するチャネル)もあります。

いずれにしても、細胞自体を変えるまでのことは起こっていません。

(参考)シナプス可塑性

 

それでは、意識される記録、つまり記憶は結局どこに、どの様な形で残り得るのでしょう。

次にそれを考えます。

 

物質が素粒子の集まりからなり、化合物となり、生物となり、その中で記録を担う構造が各スケールで現れたことを踏まえ、意識される記憶もそれらを踏まえて存在する点、あるいは、それらと影響しない形で存在できる点の、双方から説明すべきかもしれないと思っています。

今回はそうした視点も踏まえつつ、記憶の場所について探ります。

 

われわれは、外部と接点のある受容器(目や耳など、五感に代表される様な器官)からその刺激を受け取っていなくても、睡眠中に全く新しい内容の視覚的意識を夢という形で持つことがあります。

これらは、夢の中で意識される内容が神経細胞に残っており、何らかの形で呼び出され、組み合わさって作られると考えられるのですが、それがどこでどの様な形で残っているのかわかっていません。

 

形や動き(色は除く)はその内容に応じて違う脳経路を経ること(形は背後から側面にかけて、動きは背後から頭頂にかけて)が知られており、どの経路を辿ったかから説明されることがあります。

そのため、それらの細胞のどこかには、その内容が残っているということになるのでしょう。

 

 

 

また、脳は常に先読みするための予測、推測が前頭葉中心に行われており、それらが注意や意識の内容に影響します。

 

(参照)デフォルトモードネットワークの機能的異質性

 

例えば、暑い日の就寝時、その暑さを(屁理屈として)説明するため、なんらか焦っているとするような夢を見ることなんてことはないでしょうか。

これは、夢の影響のみを受けて汗をかいているわけではなく、「焦っているため汗をかく」と、「暑くて汗をかく理由を探す」が、双方影響し合っていると思われます。

 

ここからは、こうした脳の成り立ちを加味し、記憶について推測していきます。

 

まず、光量子をやり取りする単位よりも大きい単位(光量子以上のエネルギー量で交換されるエネルギーは全て)で、記憶は残らないとすべきかもしれません。

神経細胞の大きさや形は、光量子の助けを借りて構成された化合物、結晶、原子の集合体である一方で、そこを流れる信号は、これらを変える勢いのある信号ではありません。

それでも信号の内容が何らか神経細胞に残るわけですから、そのような作用があると考えてみる必要があります。

 

加えて、化合物には常に、次にどの様な形に結合すべきか方針を決めており、それは電磁エネルギー循環構造により決められており、その結合までに許容範囲(ある程度エネルギーを受け取る大きさがないと結合しない)が存在していると「推測」しました。

この許容範囲を超えない範囲でエネルギーを与えたとしても、作用や影響が何らかの形で残ることを説明できれば、この意識される記憶について、その可能性を証明できるかもしれません。

 

電磁エネルギー循環構造自体は、化合物を構成する原子の組み合わせから様々なエネルギー準位を持ち、少なくともその分内部状態の違いを刻むことができるでしょうが、ここでは、そのエネルギー準位の粒度に留まらない、さらに細かい粒度も、この循環構造に刻めるのと考える点が、今一歩踏み込んだところです。

  • 補足
    ひょっとしたら、次に結合する相手がいくつも重ね合わさった状態が今の化合物であり、結合によってその可能性が削られていくという解釈が、あるのかもしれません。

物質の形状を変える時、量子(光量子の単位)の移動が少なくとも求められています。

そこでのやり取りは、連続的な値を取らずある単位毎の、飛びとびの値を取ります。

しかしこうなっているからこそ、この量子より小さい単位の出来事は「壊されずに残り続ける」のではないかと考えます。

もし、化合物の構成を決める、電磁エネルギー循環構造のエネルギーの刻み方が、無限の粒度で交換可能となっている場合、物質の構成調整のためだけに全てのエネルギーの状態が利用され、それ以外の状態は保たれない=意識される記憶として何も残らないと考えられます。

 

こうような考察から、意識されるべき記録は、光量子の単位未満に刻まれるエネルギー状態の違いではないかと「推測」します。

 

こうして考えてくると、その記憶として最も溜まりやすい場所は、構造を変えづらい場所であることから、神経細胞の中でも代謝を通じて変わりにくい部分が全て候補になり得ます。

 

2024年6月 意識について 2024 上 (2)