突然ですが、皆さんは

人からジャッジされたこと、ありませんか??

 

===============

ジャッジとは?(Wikipediaより引用)

  • 英語で、「裁判官」、「審判」、「裁判する」、「判断する」等の意味。日本語でも「審判」、「判断」などの意味で用いられる。
===============
 
ここでは、良い悪い、正しい正しくない など
起きた事象に対して、善悪を判断してしまう
 
自分の物差しを当てはめてしまい
他者の考え方や物の見方など感性が受け容れられない
というジャッジについて、書かせていただきます
 

わたしは、されたこともあるし

相手にも、自分に対してもしたことがあります泣き笑い

 

たとえば、”こうあるべき”とか

”こうするのが当たり前”とか

そんな感じでしょうか…

 

 

わたしは特に、働くようになってから

”社会人とは、常識とは、こうあるべき”

というのが強くあった気がします

 

誰かに頼まれた訳でも無いのに(笑)

自分の頭の中で、常識という枠を

勝手に作っているんですよ不安

 

で、その枠からはみ出ている人を見ると

『えっ、有り得ない!』とか

『この人とは、合いそうもない!』とか

色々ジャッジするんですよ

 

逆に、ジャッジされた時は

自分に自信が無かったので

 

『あ、そうなんだ。でもそれは

あなたの考え方だから、わたしとは違う』

とは、全っっっ然思えずに

相手の物差しを即、採用していましたね…泣き笑い

 

相手とわたしは違ってて当たり前なのに

逆に、統一しようと頑張っていた気がします

 

そんな感じで40ウン年間生きてきたので

自分が勝手に作った制限が、自分の首を絞めていて

今思えばガチガチに窮屈で、結構大変でしたね~

 

 

わたしは平野あやさんが開発してくださった

フリーダムジャッジ”のLOVINGのおかげさまで

 

『答えを一つに統一しなければいけない』

という意識状態から

 

『正解が幾つもあっていい』

『皆、それぞれ違っていい』と思えるようになって

本当にラクになったんです

 

自分が勝手に作った制限や常識の枠は

相変わらず、存在はしているけど

その物差しで相手を計らなくなったんです

 

自分自身が、とても自由になった気がしましたニコニコ

本当に、有難かったです

 

 

…で、このお話は終わりかと思いきや

実は、続きがありまして

 

わたし、相手に対するジャッジは無くなったのですが

自分が自分に対するジャッジを

完全に終わらせられていなかったんです!!!

 

これは、ジャッジというよりも

”自分を赦して受け容れること”

と言った方が近いかも知れません

 

わたしは自分へのジャッジというか評価が

とても厳し目でして…

 

昔から劣等感が強かった分、自分の目指すハードルを

結構高めに設定してしまう癖があるんです

 

たとえば、3日後までに終わらせればいい仕事を

『今日中に終わらせてやるぞ!』とか

 

他愛もない話だと

ダイエットの目標体重を標準体型よりも

痩せ型にしてしまう、とか(笑)

 

その他、達成したらしたで

『ねぇねぇ、もうちょっとイケたんじゃない?』とか

 

自分の目指す理想像から

少しでもはみ出た行動や言動をしようもんなら

『そんなんじゃ、ダメでしょ』とか…

 

まぁ~日常のほんの些細なことから

やることなすこと一つ一つを、まるで監視員のように

 

わたしがわたしを、逐一チェックして

ジャッジしまくるんです不安

 

そして、ダメ出しをし続けてくるんです

…恐怖ですね~(笑)

 

そしてなんと、そんなことをしていた自分に気付き

はっきりと自覚出来たのが、つい昨年末だったという…

今ごろかーい泣き笑い

 

このチェック魔の存在については

あまりにも自分と一体化し過ぎて

全く気が付かない存在でしたから

 

こういった固定観念のようなものは

人との対話や、セッションなどで

他者から客観的に見抜いてもらうのが一番の近道ですねニコニコ

 

 

あ、現在のわたしは、というと

おかげさまで、チェック魔の存在は

自分の中に居るには居るんですけど(笑)

 

ダメ出しやジャッジの頻度や強要してくるレベルが

圧倒的に減少しました指差し

 

本当の意味で、自分を受け容れることが

出来るようになったな、と思います

 

よく”自分を愛しましょう(自己愛)”って言いますよね

 

わたしは、この”受容する”ことも

とっても重要な”自己愛”の一つだと思っています

 

皆さんも、ご自分のこと

赦して、受け容れてあげてくださいね飛び出すハート