こんな時に
我々の価値観そのものも大きく変化している。
震災の余震が続く中、私のクライアントの医療機関では、非常勤の医師がスタッフや患者さんが
透析後に帰宅できず、結局一晩クリニックに宿泊をすることになってしまった。
しかし、その医師は献身的に業務をこなしただけでなく、患者さんやスタッフをも気遣い、自ら
感謝の意を述べた。
その医師は僕に、「医療は人助けだと思います。僕はただそれをしただけのこと、当然のことを
しただけです」と笑いながら答えた。
何て素晴らしい医師なのだろう。患者さんのことを最優先に考え、チームワークの重要性を理解し
自分の目の前の仕事に没頭する。
危機の中、その人の本質が見えるものだ。
理屈を100篇言おうが、雄弁に理論を語ろうが、行動し結果を出す人にはかなわない。
我々がこの事態に学ぶことが多い。
透析医療とイノベーションの関係は?
透析の医療システムは今後どのように変化するのだろうか?果たして変化できるのだろうか?変化しなければどうなるのだろうか?実は2008年からこの課題に取り組んでいる。
2009年の透析医学会 http://www.jsdt.or.jp/ のシンポジウムでは、「透析医療のイノベーション」という課題の要請をうけ、2008年の準備段階から、シンポジウムの企画者としてシナリオ作りと講演者の選定にかなりの時間をかけた。
何故、時間がかかったかと言うと、透析医療に果たしてイノベーションが起こり得るのか?という質問に回答しなければならなかったからだ。多くの医師にヒアリングをしたり、過去の事例を検討するために時間がかかった。正確に言うと、イノベーションとよべるようなものを発見することが出来なかったからだ。
イノベーションというと、必ず日本では技術革新と翻訳される。実はここに問題の一端がある。当時の通産省が技術革新と命名したとのことであるが、イノベーションは実は技術の事だけではない。イノベーションを技術としたのは、それが当時の政府にとって技術こそが重要な課題であり、システムやソフトをイノベーションとして考えていなかったからだ。
日本の産業を育成するという視点からは政府のこの狙いは間違っていなかったのかもしれない。しかし、問題は多くの人にとってイノベーションは「技術」をイメージさせるということにある。
だからイノベーションと問いかけると、医療技術やデバイスや医薬品の話だと勘違いしてしまう。イノベーションを勉強していて判ったことがある。イノベーションとは何も技術に拘る話ではない。イノベーションは、技術やソフト、システムを含んだ広い概念である。
エクセレントカンパニーを執筆した有名な経営学者:Tom petersは意外にも近年の最大のイノベーションをポストイットだという。http://www.mmm.co.jp/office/post_it/index.html
昨年のJSDTの座長の時に、イノベーションの事例として、ポストイット=Tom Petersの引用をしたら、会場に来ている医師達はキョトンとしていた。恐らく、医師達が考えていたことと全く違う考え方を披露したために、思考停止状態に陥ってしまったのだと思う。
ポストイットは単なる糊のついた付箋だ。その糊が硬化しないので、何度も付箋を貼ったり、剥がしたりが出来るというところが新しい。そして、それがアメリカでは秘書達に爆発的に受け入れられた。日本でも一気に広まり、誰でもデスクの中にポストイットや類似品が必ず入っていると思う。これほど、爆発的な普及をみせた製品も近年少ない。
それでは、これは技術だろうか?こう問いかけられてどう答えるだろうか?そう、ただの紙とシールについているような糊を組み合わせた製品だ。
もう一度、聞こう?どう考えるだろうか?ポストイットは決して新しい技術ではない。古い技術の新しい組み合わせである。技術自体は決して新しいものではない。というよりも、旧来の技術である。
しかし、古い技術であるが、イノベーションと呼ばれている。実は我々が知らなければならないのはここのところだ。このケースのイノベーションは「古い技術の新しい組み合わせ」である。
過去の歴史上、最大の情報イノベーションは「郵便」の発明と言われている。確かに当たり前になっているが郵便がなかった時代と郵便が登場した世界では雲泥の差だ。郵便は大変な社会的な影響を与えたのである。
この例から判るように、新しいものをイノベーションとするか?しないか?は、技術をも含んだ、社会的な影響の大きさに依存しているのだ。いくら新規性あふれる製品やサービスであっても、ごく一部の人だけが恩恵を受けるものをイノベーションとは呼ばない。
透析医療のヒアリングやフィールドワークを通じて、透析医療にイノベーションと呼べるだけの新規性、社会への影響度が大きいと感じられるものは残念ながら見つけることが出来なかった。
イノベーションの発展の歴史の中で、偶然性を否定することはできない。まぐれあたりだ。
それと同時に、イノベーションは戦争や窮乏という不安定な環境から生まれてきている。それだけではなく、辺境から生まれるという特性がある。
つまり、程度の差こそあれ、ある程度温存されてきた透析医療の世界では、そこそこ居心地がよくイノベーションの環境になかったのだろう。診療報酬の抑制下にある現在においては、イノベーションが起こるための環境条件がととのいつつあるだろう。
新しいイノベーションの胎動が始まっているのかもしれない。恐らくこのイノベーションは非技術の世界だろう。
イノベーションの切り口から透析医療を考えてみた。
判ってないのは誰だ!
最近、といってもよく考えると前々から、「判っていないな」と思うことがある。
それは、医療者の「経営」についての理解だ。経営=金という単純な等号でしか物事を考えられない。
どんな偉い医者でもこれを経営感覚だと誤解している。
何となく経営=金という考え方からは、金が多ければ多いほど良い。多ければ多いほど偉いといった
前提があると思う。
従って、経営感覚のない、考えが未熟な医者はお金を成功の指標にしてしまう。
最初にお金があるのではなく、お金は経営の結果、事後的に産み出されるということが判っていない。
この事後的にというところがポイントだが、多くの医療者は極めて単純に金の多寡こそが経営と
考えているふしがある。
もちろん、経営の最終成果の指標の一部として、経済があるということは健全なことではある。
繰り返すが、経済はあくまでも事後的なもの。
医療資源の配分や効率化、費用対効果は経営のテーマだ。
ここから考えると、組織構造、人員の配置、設備投資、医療システムの設計と管理、アウトカム管理、
マーケティング、顧客管理、プロモーション、財務管理、生産管理、マネジメントは全て経営のテーマだ。
診療のプロセスの管理すら経営のテーマだ。DRG/PPSがMBA(ビジネススクール)から生まれたということは
あまり知られていない。
「医学の社会的適応が医療である」こう考えると、社会的な適応をどのようにデザインするか、
組織・システムを通じマネジメントにより現実的な対応を行うかが経営である。
つまり、医療機関を経営するということは、このような認識がなければならない。
ただ、何をやれば損か得かといった短期的、且つ反応的な議論は経営の的を得た議論ではない。
よく経験することだが、診療報酬の多寡で診療行為が突然変化する。
診療報酬の水準によって臨床上必要な処置であっても削減されたり、不要なものであっても追加されたり、
ということが生じる。
このような事例は、多くの医療機関は臨床上の明確なポリシーがあるというよりも単純な損得によって
経済誘導されているということに他ならない。
臨床上の価値を届けるために、正しい経営感覚の基に医療を行うことが本来の医療機関の役割だ。
何をやれば得で何をやったら損。こんな些末なことに一喜一憂し、得意げに語っている医師は経営音痴
と言わざるを得ない。
