1ミリメートル浮いた家~伊原碧 -4ページ目

1ミリメートル浮いた家~伊原碧

小説を書いています。

.   5

 香奈の猫が見つかってから三日。
「あ、里親が見つかったらしいですよ!」
 桜の声に、真山がリビングに出てきた。
「ほら、香奈ちゃんからメール」
「ほんとだ、見つかっちゃったのかー」
 幾分残念な響きを含んでいるのは、真山がいちばん猫といる時間が長かったからだろう。
 真山はあの迷い猫事件のあと、雪山に行くことをやめて、当分のあいだ猫のめんどうを見てくれることになったのだ。
 いや、うちの事務所に居候することになったと言ったほうが正しかったのかもしれない。何しろ、炊事洗濯家事掃除、それらの役割分担は彼がここに住まうようになってからも一切変わらず、桜の役目だったのだから。作家というものは、本当にこんなに時間の融通がきくものなのだろうか。それとも、真山が単純に仕事がないだけなのだろうか。

 あの日、二人目の客人を応接室に通したとき、三人は驚いていた。三人とはもちろん、嘉神を抜いた桜と真山と、そして香奈のことだ。
 ――お母さん!――
 香奈の第一声に、桜は耳を疑った。
 ――どうして、ここに?――
 ――香奈も、どうして……――
 とまどう二人を、まあまあ、と嘉神は取りなして香奈の隣に座らせた。
 ――実は、香奈ちゃんのお母さんからも、一つ依頼を受けたんだよ――
 まったく話が見えないという色を浮かべて、母娘は顔を見合わせた。
 ――香奈ちゃんのお母さんから受けた依頼というのは……――
 こちらへ、と言って嘉神は香奈たちを書斎へ呼び入れた。
 彼はパソコンの前に座り、マウスをかちかち鳴らせて自分の事務所のホームページを開いてみせた。画面の上三分の一くらいに『嘉神研一総合解決事務所』とある。そして、その下――。
 ――これが、お母さんから受けた依頼だよ――
 あのときの香奈の目を、桜は忘れられない。
 彼のホームページのど真ん中に、『里親募集』という記事が貼られていた。
 ――僕のホームページに来てくれるひとはけっこう多いからね。ここでこうして募集をかければ、里親もきっと早く見つかるんじゃないかと思ってね――
 つまり、母親からは、猫のもらい手を探すことを依頼されたというのだった。
 ――でも、いつお母さんと?――
 ――あの日だよ。僕が、猫を探してきた、あの日――
 あの日、嘉神はじっと本殿の裏にいた。猫のねぐらから十メートルほど離れた、本殿の角のあたりで、じっと猫が帰ってくるのを待っていた。すると、そこに一人の女性がやってきた。面立ちがなんとなく香奈に似ていると思った嘉神が訊ねてみると、やはり香奈の母親だった。
 母親は、猫を捨ててくるように香奈に言った日、仔猫を抱いた香奈のあとをこっそり尾けたらしい。香奈に捨ててくるように言ったものの、いても立ってもいられなくなったのだそうだ。捨てられた猫がどうなるか、母親は以前に香奈に話したことがあった。香奈にその残酷な選択をさせなければならないことが、母親からしてみれば歯がゆくてしかたなかった。それを聞いた嘉神が提案したのだ。里親を探してみてはどうか、と。
 母親は次の日から近所の人たちに、猫を飼えないかと聞いて回った。そして嘉神はホームページで呼びかけることを約束したのだった。
「あ、里親さんの家、軽井沢にあるんだって。明日お母さんといっしょに、そのかたのところに連れて行くそうよ」
「せっかくここに慣れてきたところだったのにねー、仔猫ちゅわん」
 真山はそう言いながら仔猫に頬ずりしている。真山は誰の目もに余るほどの世話焼きで、かえって仔猫も迷惑がっているようだったからちょうどいい頃合いなのかもしれない、と桜は苦笑いした。
「これで、この猫ちゃんともお別れなのか、寂しくなるなあ」
 それだけは、桜も真山に共感した。
 真山は頬ずりをやめて今度は仔猫を抱き上げた。
「それにしても、嘉神、お前よく一日で猫を発見できたね。何かコツでもあるの?」
 嘉神は書斎で書類に目を通していた。
「別に? ずっとあそこで待ってただけだよ」
「それだけ?」
 身体をこちらに向けて、嘉神が言った。
「まあ、一日で見つかったのは、運がよかったのもあるんだがな。猫の習性を利用したんだよ」
「というと?」
 真山は腕から逃げ出そうとする猫を抱き直しながら訊いた。
「猫には縄張り意識があるのを知ってるかい? 猫は、動き回る範囲を縄張り内に限定しているんだ。たとえば室内で飼われている猫は、家の中を自分の縄張りとして、決してその外側には出なくなる。今回の件ではそれを逆手にとって、突然知らない環境に置かれた仔猫の行動を推測してみた。仔猫はまだ縄張り意識が小さいから、置かれた環境を中心に自分の縄張りを作る可能性が高いだろう。そもそも猫は臆病で怖がりだから、もといた場所の周辺をうろうろして縄張りを作る。つまり、」
 ここで嘉神は人差し指をぴんと立てた。
「あの場所に戻ってくる可能性がもっとも高かったってことさ」
「でも、香奈ちゃんがご飯を届けに行ったときは三日連続でいなかったんだよ?」
「それは猫が夜行性だからさ。きっと、ねぐらから離れて狩りの練習でもしてたんじゃないのかい」
 真山の質問を軽々とくぐり抜けて、嘉神は書斎の机に向き直った。
 へえー、と真山が感心するようにうなり、なにかを思いついたような顔をした。もしかしたら本気でこの事件を小説のネタにすることにしたのかもしれない。
 真山の腕から逃れた猫が、桜を見上げてにゃーおと鳴いた。
.   4

「え?」
「え?」
 桜は真山と同時に声を上げていた。香奈の口と目も、驚きで大きく開かれていた。
「どうして……?」
 香奈の言葉は尻すぼみに声を失った。
「きみの家では猫は飼えない」
「……どゆこと?」
 と訊いたのは真山だ。
「そもそも、あの写真を見た瞬間からおかしいとは思っていた」
「あの写真のどこが――」
「首輪だよ。首輪がされてなかった。香奈ちゃんの豪邸を見たときに、その疑問は確信に変わったよ。真山くんは香奈ちゃんの家に行ったとき、何も感じなかったのかい?」
 桜は彼女の家に行ったときのことを思い起こした。
 ……あ、そういえば――
「そう、たとえば――猫がいるはずなのに、どの柱にもひっかき傷がなかった。床のフローリングにもまったく傷が見当たらなかった」
「それだけで、猫を飼ってないと見抜いたのかい?」
「それだけじゃないさ。猫を飼っている家庭では、花瓶の類は置かないだろう? ほら、猫が飛び回って倒すことがあるから。しかし、玄関を入ってすぐのところに高価そうな花器に花が挿してあった。熱帯魚や淡水魚の泳ぐ水槽も、猫の前じゃご法度だ。そしてなにより」
 嘉神は一呼吸置いて、
「ペット用品が一切なかった。爪研ぎも、トイレも、餌皿も、ケージも、なにも。まあ、さらに言うなら、獣特有の臭いも一切しなかった。すべての部屋に消臭剤を振りまけば臭いを消せないこともないが、そこまでする人間は少ないだろう。これだけ材料が揃えば、誰にでもわかることだよ」
 桜はあの写真を見たときの、最初の印象を思い出していた。
「つまり、きみが探していてた猫は……」
 ――これじゃまるで……まるで、捨て猫みたい――
「ごめんなさい!」
 香奈が勢いよく頭を下げた。
「あの猫、捨てられてたんです……段ボールに入れられてました。ひとりぼっちで。あそこの、神社のブランコのところに」
 それを香奈が発見して、家へ連れて帰ったのだが、お母さんに飼うことを許されなかった。しかたなく本殿の裏に行って、家から持ってきた毛布を下に敷いて猫を置いて帰り、学校帰りにそこに寄っては、世話をしていたらしい。それが神主にも見つかってしまい、捨て猫ならば保健所に連絡する、と言われたのだという。
「あたし、知ってます。保健所に行った動物たちがどうなるのか……」
 香奈の目にみるみる涙が溜まっていく。
「それで、学校帰りに行ったら、また神主さんに怒られると思って、家で晩ご飯食べたあとに、わざと残しておいたおかずを、この猫にあげようと思って……お母さんに隠れて……神社に行って」
 香奈の頬からは涙が幾筋も流れている。
 神主に怒られた翌日の夜から本殿の裏にご飯を届けに行ったのだが、その日から猫の姿を見なくなったのだという。
「それで、もう保健所に連れて行かれたのかと思って……」
 もし、猫が見つかったら、もう一度お母さんに、猫を飼えないか説得するつもりだったらしい。それでこの何でも屋さん、嘉神研一総合解決事務所に相談にきたというわけだ。
「お母さんが飼っちゃだめって言うから……ひっく……この猫は死ぬんだと思うと、お母さんが憎らしくなって、どうしても……ひっ……この猫を助けたくて……」
 香奈の言葉はそこで途切れ、すすり泣く声にすり替わっていった。
「ありがとう、よく話してくれたね」
 嘉神は、ソファーから身を乗り出して 少女の頭を撫でた。
「でも、君のお母さんは、君が思うような、冷たい人間じゃなかったよ」
 そのとき、呼び鈴が鳴った。
「桜くん、ちょっと出てくれるかな。お客さんをここに招き入れてくれたまえ」
 桜は後ろ髪をひかれる思いで席を立った。
.   3

 外の雪は少し勢いを弱めたようだった。
「嘉神、どういうつもりなんだろうね。子どもからお金を取るのは、確かに気が引けるけど……それならきちんと、親御さんと話し合ってから決めたらいいのに」
 桜も真山と同意見だった。迷い猫の報酬が、質問に答えることだなんて聞いたことがない。いったい嘉神はあの少女に何を答えさせるつもりなのだろか。
「おーい、二人とも何をくっちゃべってるんだい? ほら、そろそろN神社につくぞ」
 石段の手前にある鳥居の下で、嘉神が手を振っている。桜は曖昧に返事を返し、走り寄った。振り返ると、真山やゆっくりと歩きながら、まだ首を傾げていた。
 N神社は駐車場から石段をのぼると、石畳が本殿に向かって一本伸びており、その左右の空き地に、児童遊具がいくつも設置されていた。石段を登ってすぐ左手にジャングルジム、その奥には二人乗り用のブランコがあって、学校帰りらしい少年らが二人でそれに揺られている。駐車場に接する側には円形のすべり台が設置されており、右手の本殿手前には砂場、そしてその奥の建物は公民館だろうか、その入り口の手前にシーソー、さらに桜が歩いている石畳から少し手を伸ばせば届く距離に球形の回転遊具まである。小学校高学年くらいの少年が、それを勢いよく回してからぐっと手に力をこめてその鉄柱につかまり、くるくると回り出すようすを見て、桜は自分が子どもの頃にこうした遊具で遊んだことを思い出し、すこし切なくなった。そこに母親の姿を見たからだ。
 桜の母親は、ある事件で亡くなっていた。桜が嘉神の事務所で働かせてもらえることになった、その事件だ。
 遊具で遊んでいる少年を呼びに来たのだろう、母親らしき人影が公民館の裏手から出てきた。遊んでいたひとりの少年が振り返り、その女性のもとへ駆け寄っていく。桜はその光景を、微笑ましいような、胸が詰まるような、思いで見た。
「どうしたの」
 後ろを歩いていたはずの真山がいつのまにか隣にいた。
「嘉神のやつが呼んでるんでしょ?」
 あ、はい、と答えて桜は小走りで嘉神のもとに向かった。
 嘉神は境内からさらに数段の石段をはさんだ、石柵で囲われた本殿の前にいた。本殿へと伸びる石畳の左右には赤灯籠が並び立っており、外回りの境内とはちがう、厳かな雰囲気を醸し出している。
 嘉神は本殿の床下を丹念に覗き回っていた。
 それをみて桜は気づいた。写真に映っていた、組み木のような赤い材木は、本殿の柱だったのか。嘉神は迷い猫が写真に収められた現場を特定しようとしているのだ。しかし、なぜ?
 写真に写っていたのは、組まれた赤い木材、舗装されたセメントの基礎、そして茶色の毛布――。
「桜くんは反対側から回ってくれ」
 嘉神は床下を覗きながら本殿を時計回りに周回するように歩を進めだした。真山はそんな嘉神のあとに着いて、同じように地面に視線を這わせている。桜も、嘉神たちとは逆回りに本殿の床下を回る。賽銭箱に続く階段を左に曲がり、ゆっくりと本殿の下を調べて歩く。
 茶色の毛布、赤い材木……と頭の中でつぶやきながら、中腰になって角を曲がりさらに歩くと本殿の裏側に回った。緑色のフェンスが、境内と民家を隔てている。桜は身をかがめて改めて床下捜索に取りかかった。
 と、そのとき頭に何かがぶつかった。ごつん、という音とともに脳天に鈍い衝撃が走る。
「痛っ!」
 思わず頭を手で押さえて身を起こすと、同じように頭を押さえた嘉神がいた。嘉神も悶絶している。どうやら反対方向から回ってきた嘉神らとで、本殿をちょうど一周したようだった。
「あ」
 そのとき、真山がすっとんきょうな声を上げた。
「あった」
 嘉神と桜は同時に顔を上げ床下を覗くと、そこには写真に写っていた茶色い毛布が敷かれていた。
「うん、ここだね」
 嘉神が頭をさすりながら頷いた。
「よし、もう君たちは帰っていいよ。あとは僕の仕事だ」
「え?」
「この周辺を探すのは一人じゃ大変だぞ。僕も手伝うよ」
 と真山が言うが、
「そんなことしなくても大丈夫だよ。僕が一人で見つけてみせるから」
 ほらほら、と嘉神は手を振り、桜たちを追い出すような仕草をした。
「あ、桜くん、帰りがけに猫缶を買っといてくれるかな。ほら、猫の餌の。事務所の机の上に置いといてくれ。そしたら今日はもう上がっていいよ。僕は遅くなるかもしれないから、事務所の鍵は閉めといて」
「は、はい、わかりました……」
 嘉神はコンクリートの上に腰を下ろしてマフラーに顔をうずめ、おー寒い、と手を擦り合わせている。
 桜が真山を見上げると、真山も桜を見て、困ったね、とでも言うように下唇を突きだし、肩をすくめてみせた。
 嘉神の変わった行動はいまにはじまったことではない。桜も、おそらく嘉神の旧友の真山も慣れているのだろう。
 二人は嘉神をその場に残して、帰路についた。
「嘉神って、たまに何を考えているのかわからないよね」
「あそこで働くようになってまだ二年ですけど、先生の行動が理解できないことがよくあるんですよね。ただ、毎回その後にすぐ事件が解決するんです。今回も何か考えての行動だとは思うんですが……」
 桜は少し感傷的な気分になっていた。事件のことを思い出したからだ。
「まあ、嘉神は大学の頃から風変わりなやつだったよ。いまでもそれは変わってないんだなあ。なんだか安心したよ」
 変わっていることが変わっていない。真山の言葉に、桜は失笑した。なにか矛盾したような言い回しがおもしろかった。
「なに? なんか僕変なこと言った?」
 コートのポケットから手を出して、真山が自分の胸を指さす。
「真山さんっておもしろいこと言うんですね」
 桜は笑いながら言った。
 二人の吐く白い息が、夕暮れに染まった冷たい外気に吸い込まれるように消えていった。

 翌日の朝、階下で鍵の開く音がして、桜は目を覚ました。
 桜は嘉神から、二階の一室を桜専用の部屋としてあてがわれていた。
 昨日は、嘉神から頼まれた猫缶を買って事務所に戻り、湯槽に浸かって今日の嘉神の行動の意味を考えていたら、そのままお風呂で眠ってしまい溺れかけ、慌てて湯から上がってそのままなにをするでもなく、ベッドの上に転がって、いつのまにか眠ってしまっていたのだった。
 周りには別荘のペンションばかりで、このマンションでも早朝に外に出る人はいない。静まりかえったなかで、ドアが解錠される音が響き、つづいてドアの開く音が聞こえ、その方向から「にゃー」という声が聞こえてきた。
 寝ぼけた頭は最初、嘉神がとうとう気が触れたかと思ったが、あ、と気づくとパジャマ姿のまま自室を飛び出し、スリッパをつっかけて事務所へと駆け下りた。
「仔猫、見つかったんですね!」
「ああ、ちょっと時間がかかったけどね。体力勝負だったよ、まったく」
 嘉神の手の中で猫は丸くなって前足で頭をこすっている。
「あの子の携帯に連絡しといてもらえるかな。猫が見つかったって。で、学校帰りにここに寄るように」
「親御さんにじゃなくていいんですか?」
 一応、この前自宅の電話番号も香奈に訊いておいたのだったが。
「この件は、香奈ちゃんに直接連絡を取ってくれ。依頼者は彼女だからね」
 そう言うと嘉神は、あとは頼んだ、といって猫を事務所に放り出して寝室へ向かい、ばったりとベッドに倒れ込んだ。きっと昨晩は一睡もせずに猫を探していたのだろう。桜が心配して寝室のドアを見つめていると、仔猫が桜の足に頭をこすりつけてきた。そういえば猫缶を買っておいたのだ。桜はキッチンへ向かい、戸棚を開けた。
 その猫は勢いよく頭をつっこんで、ツナの香りのする餌を食べはじめた。でも、この猫、どこにいたんだろう。どうして嘉神は一日で探すことができたんだろう。とりあえずの疑問はさておき、桜は無心に餌を頬張る猫を横目に、香奈の携帯に電話をした。

 その日の午後三時過ぎ、事務所の呼び鈴が鳴った。香奈ちゃんが来た、とドアの覗き穴を覗くと、またしても真山だった。
 ――なんだ、真山か――
 そう思いつつ、ドアを開けた。
「あ、桜ちゃん。こんにちは。嘉神は?」
 踵を返しながら桜は言った。
「まだ寝てますよ。今朝まで猫を探してたみたいで」
「そっか。で、猫は見つかった……」
 ――にゃーお――
「……みたいだね」
 真山が後ろで笑顔になっているのが見えるようだった。
「そう思って買ってきたんだ」
「え?」
 桜が振り返ると、真山がコンビニ袋を目の前にかざしていた。
「猫缶。とりあえず十個だけ」
 買いすぎだよ……と思いつつも、真山の無邪気さを桜は鼻を鳴らして笑った。

 香奈が事務所を訪ねてきたのは、午後四時になろうとしたところだった。
 桜は香奈を応接室に通して、まだ寝室から出てこない嘉神を呼びに行った。三十路ともなると、徹夜は身体に応えるのだろうか。寝室の戸をそっと開ける。
「先生、香奈ちゃんが――」
 と思ったら、嘉神はベッドにいなかった。
「ああ、香奈ちゃん来た?」
 嘉神は、寝室の隣にある書斎にいた。
「ちょっと作業をしているから、もうちょっと待つように言っておいてもらえるかな」
 そう言いながら、こちらを見向きもせずに、パソコンのキーボードを猛烈に叩いている。
 嘉神が出てくるまで、桜たちは三人で仔猫と遊んでいた。ビニル紐をカシャカシャと床に這わせて猫がパンチを繰り出すようすを見て三人ではしゃいだり、香奈は猫を抱き上げて頬ずりしたりしていた。真山はといえば、文字どおり猫なで声を出して、猫とコミュニケーションを取ろうと猫の前にかがみ込んでは、猫パンチを食らっていた。それでも怯まずに、しょうがないなあと言いつつ笑顔で挑みつづけるところがなんとも真山らしい。
 嘉神が応接室のソファーに腰を下ろしたのはそれから十分ほどしてからだった。嘉神の隣に、桜と真山は座った。
「さて、それじゃ報酬の代わりに、と言っておいたよね」
「……はい」
 香奈が小さくうつむいた。少しの沈黙。
 そして、対面する香奈に嘉神はゆっくりとした口調で切り出した。
「どうしてきみは、飼ってもいない猫を僕らに探させたりしたんだい?」