サウスカロライナのチャールストン空港には、大好きな飛行機が沢山いた。
ボーイングの組み立て工場ができるらしく、大きな部品を運ぶグッピーと呼ばれている馬鹿でかい飛行機もいる。
滑走路の端には軍用輸送機が何十機も整然と並んでいる。
突然、戦闘機が空気を切り裂きながら雲の彼方に消えてゆく。
その後を軽飛行機がブーンと飛び立ってゆく。
飛行機好きにはたまらない。
この国ではいずれの空港もそれぞれの役割をうまく果たしている。
何の定見もなく運用方法も考えることなく、エゴにまみれた成田、伊丹、関空なんか作った奴は誰だー。
国土交通省のお役人は、一人でアメリカの田舎を旅してみるといい。
ソルトレークに土曜日の夜遅くに着いた。
日曜日には特に予定もなく、ゆっくり起きて町の散歩と決め込んだ。
ここには主イエス末日教会(モルモン教)の大本山みたいな教会があって、興味深い。
ヨーロッパの教会とはずいぶん違う。
街を歩くと、日本の街と何もかもが違う。
きっと地震もないに違いない。
三匹の子豚の煉瓦の家のような住宅を建てている。
耐震設計など必要がないらしい。
きっと日本の家みたいにすごいお金がかからずに素敵なお家が建てられるに違いない。
レストランでは、一皿の値段は日本と同じだけれど、量が違う。
まずいと聞いていたが結構おいしい。
一度食べれば一日食べなくてもよさそうだ。
見回せば四方を高い山に囲まれている。
山々は雪をかぶり美しい。
車で一時間かからずに行ける20箇所ものスキー場があるという。
4月、5月になればバレーは緑の草で覆われ、午前はゴルフ、午後はスキーだってできるのだそうだ。うらやましい。
ソルトレークに来た目的は、ここにある医療器具会社との交渉である。
社長はアメリカンドリームの権化みたいな人であり、一代で有名企業を育て上げた。今、世界を相手に仕事を始めている。
ゴルフ場の中にあるような広い会社の敷地。工場も事務所も機能的で美しい。
事務所の窓から見えるロッキーマウンテンは額縁付の絵のようだ。
今回の米国旅行は、米国の豊かさを肌身で感じる旅でもあった。
同時に民族問題、銃砲所持の問題、所得格差の問題もその片鱗を感じることもできた。
米国で暮らすということの意味を少しだけ理解した気がする。
国土のほとんどが山岳地帯で、台風に襲われ、地震に揺さぶられ、津波に呑み込まれる日本。
資源もなく狭い場所で生きて行かなければならない日本人の負い目を、私たちはどのような生活の仕方で生き繋げてゆけばいいのか。
70年も前のことだけれど、誰だあ、こんな国と戦争しようとした奴は。
一目この国を見ておけば、あんな空しく悲しい戦争なんか起こしようもなかったはずだ。
アメリカの最後の夜、フランス系アメリカ人のJMVから電話が掛かってきた。
10年余の昔、親友の契りを交わした間柄だけど、電話で正確に思い伝えるのはいつだって難しい。
でも、親友からの電話ですっかりうれしくなり、積もり積もった話をした。
あれだけ心配していた奥さんの乳癌も再発していないそうだ。息子は父親の期待に反して音楽の道に走ろうとしているらしい。
おまけに最近はFacebockにはまって勉強もしなくなったらしい。
父親の心配が身に染みる。
電話を切ってしばらくして気がついた。
彼は理解不能だったフランス訛りの英語をしゃべっていたはずなのに、なんだか気持ちも通じ、話したことも話されたことも互いの心にすっかり伝わったようだ。
あれー?
少しだけ英語がうまくなったようなのは、気のせいだろうか。
その後、
日本に帰り、東京に居て東北関東大震災に襲われた。
揺れも恐ろしかったが、その後の不自由も実体験した。
数々の天災はこの国で暮らすが故の日本人の不幸と試練であろう。
でも、身の不幸を嘆いていても仕方がなさそうだ。
この国から逃げ出すわけにもゆかない。
日本人はアメリカ人とは違う生き方で、自分たちの幸せを掴むしかない。
そして折角掴んだのに指の間からこぼれ落ちてゆかないような幸せとは何か、それを見つけ出さなければ、と切に思う。